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レからドが好き

JUGEMテーマ:アート・デザイン
 

ドの音にどのくらい思いをもっているだろうか。
なぜドから始まり、あんなにもドの音が魅力的なのだろうか。

中学の音楽の時間に先生を馬鹿にしていたら
生まれて初めて2をもらった、後にも先にもそのときだけ。
この中年の女の先生はとってもヒステリックで
大嫌いだった。

でも作曲の授業があって、やっぱりいろんなドで
作曲したのはとても楽しかった。









JUGEMテーマ:アート・デザイン


紙でもキャンバスでも何も描かないままが一番美しい。
日本画でも墨だけで描いたものの方が私はいいと思います。
どういう訳か人は色のある絵を好みます。

絵を墨だけで描いた後で、人が色をつけてくれと
持ってくる時がありますが、たいていの場合は
色をつけると余裕がなくなってしまう。

色というものはいろいろの意味で考えものです。


>>白が一番難しいと、ある人は
自分につぶやくように言い聞かせた。
なるほど白にも五万と色がある。
スーッと吸い込まれそうな
この白をいじるほど野暮なことも
無いように感じるのは、コピー用紙に落書きしたって
覚醒するもんだ。

それぞれの白があるように、
自分にとっての白が雪の白なのか、装束の白なのか
犬の白なのか、歯の白なのかどの白なのか。
それは何かと縁のある白だろう。










芸術家の社会的存在意義

JUGEMテーマ:アート・デザイン
 


□芸術家の社会的存在意義について


清楚で質素な生活を宗とし、ものの不足のなかから
心の充足、美の発見を求める。

美とは生きる喜びであり、感性である。
万物全ての本能である。

その美を発見し、作品へと昇華させ
生業として世に問うていく者を芸術家という。

自己にも他者にも存在する
陰陽ある心の機微を、それでも黎明へと
向かわせる意気、
それが芸術家の社会的存在意義である。

沼尻真一











愛知トリエンナーレ 納屋橋会場・草間弥生ファニチャー

JUGEMテーマ:アート・デザイン

暗いお化け屋敷に、1960年代
ウォーホールを真似した
つまらない映像の垂れ流し、または
嫌がらせの音と光が蔓延していた。

ネガティブで暗い表現をすれば、
神秘的で高尚に見えると思っていそうだが、
まったく面白くなかった。

現代美術がいつからノスタルジックな
オタク文化と同じになってしまったのだろう。

草間弥生のソファで休むぐらいが
納屋橋会場はいいだろう。

アートで元気を失くしちゃ意味が無い。




















カブトの門

JUGEMテーマ:アート・デザイン

植物や動物を育てるなんて、
こんな時代にとても必要な暇なのだと思う。

それはどんなに慈しんだものでも
あっけなく何も言わずにだまって消えて
なくなるからだろう。

カブトが死んでも、トマトが枯れても
やっぱり何かしでかした自分と出会う。

野菜を育て食してみれば
あんなにも小さな種から
育った大きな実を食わせてもらえることは
とってもありがたいし、
やっぱりそれは命を戴くのだろうと
それは凡人でも感じた。

習い事は何でも結構なことだが、
稽古場だけで上手くできて、品よく見える事と、
その人間の品格とはまったく別物
それが私生活、もっと言えば自分の心や思想とはまったく
乖離して無関係に行動しているのはどういう事だろう。

どんなに金と時間があっても品と感じないのは
俗に擦れた心を自覚して
なんとかするしかないのだろうか。

高額な金をかけて高尚な教育を受けたり、
偉い先生や高名な和尚さんに習い
諭されればなんとかなるんじゃなくて、結局
どこでもいつでも、なんでも構わず
何かを感じて心に気づければ
新しい門の外に違う世界が
あることに気づくのだろう。





























あの頃、ヒグラシがないていた

JUGEMテーマ:アート・デザイン


急に追いついたような影を見ながら
夕方畑から祖母と一緒に帰ってくるときには
よくヒグラシが鳴いていた。

祖母も小さい頃からよくヒグラシの声を聞いていて、
その声を聞くとお父さんやお母さんが
恋しくて寂しくなったと、小学生の自分に言っていた。
あの頃の僕にはそれが良く分からなかった。

誰もが晩夏のヒグラシで思い出すのは
きっと大切なひとではなかろうか。



































伝統と伝承 − 沼尻真一

JUGEMテーマ:アート・デザイン


それは特徴が何も無いのが都の伝統だという。

次に新しいものを作り出していくという流れが
そうだ。

一方、そのままを職人の技術を受け継いでいくことを
生業としている 伝承 という領域があるという。

つまり、伝統と伝承の二つが存在している。

やはり伝統はすでにここにあり、そこにあるようだ。

伝承者、伝統者その二つに別れた考え方は

とても興味深い。





















産地の出口はどこにある

JUGEMテーマ:アート・デザイン


 
あの成功事例はこうだ、この成功事例はこうだと
いくら一見高名なデザインコンサルタントと言われる
人間の話を聞いても、これじゃ産地の人間は丸呑みで
益々?さ迷う結果は眼に見えている。
と思ってその講義を聴いてみた。
 
流行を後追いしながら、それに関係する商品を
無理無理コラボレーションといいながら、作り出す。
 
そんな商品やブランド化なんてフレーズは
死語に等しい最悪のものだ。
しかし、地方ほどまだまだこんな言葉遊びで
世の中に報われるなんて幻想を描いている。
 
それでも、行政から頼まれたらむりくりでも
形にしてしまうのが、行政がらみの
デザインコンサルという分野だ。
軽薄短小、大量生産時代から、ヒューマン文化へと
価値観が変化したと言いながら、それでも
大量に売ることを第一に考えている。
 
中国から毎日50万件の商標や特許に関する
調査が日本へかかっている。
日本の有名なものの名前はそのほとんどが
中国企業に登録されてしまっているのは
周知のとおりだ。
だからといって、そのあおりで急いで商標登録
するなんて具の骨頂だ。
相手がそうなら、また名前を変化させれば良い。
著作権なんて、中小企業にはまだまだ秘策はある。
 
聴講していたある女性が、いつまでたっても
本題に入らずに自分の思い込みの成功事例に
酔いしれている、講師についに質問をした。
 
「もうすでに日本中のどの家庭でも
この類似商品を持っている状態の市場で
ではこの○○という産地はどのように
していけばいいのでしょうか?」
 
その答えは、結局 むりくりコラボーレーション
することをその講師は薦めていた。
 
このやり取りを大事な時間を潰して
聞いた時には、頭の中で僕はこんな回答をしていた。
 
じゃそういう産地、産地だって言ってる
あなたのお宅では、ちゃんとその商品を
素敵に使っているんでしょうね?
 
あなたが素敵に使っているんであれば
もちろん大丈夫、何も高額の金を払って
何か変な会社にSPを
頼むなんてしなくていいんですよ。
 
その姿を伝えるだけで、みんなが
欲しくなるんですから。
やることはただそれだけです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 

切れた歴史をつなぐもの − 沼尻真一

JUGEMテーマ:アート・デザイン

まったく先生は気づいていないと思うが、
それは無駄ではないことができたと自分は確信している。

そしていつかその形に気づくものが必ずいると感じている。
場所が違えばおのずと伝承された風景は違うものだ。

しかし面白いのは元を辿れば日本に入ってきた場所は
一緒の場所や国だったりするのだ。

ただ時間がたち
とうに忘れられている。
だからそれは2つの場所を
あるいは
3つの場所を知るものがつなぐことができるのだと自分は思う。

歴史を場所を、移動しながら人がつなぐことができる。

例えば、北と南、西と東。

その形は移動している自分が見たもの、聞いたものを
輸入してきて、現地の技術に合わせ伝承するという
工芸本来の持つ多様な雑種性なのではなかろうか。

それは江戸時代でも藩の財政を豊かにするために
あらゆる手段で、他の藩の技術を取り入れるために
人的確保をしたのと同じだろう。

いつかこの形が、この地に根付き、そしてまた
オリジナルとして昇華できればそれはひそかに
自分の思い出として心に刻むことができる。




























男たちの晩夏 − 沼尻真一

JUGEMテーマ:アート・デザイン

 
こんな人々に出会えるとは思わなかった。
彼らは車やバイクをデザインして作っている。
自分もそして誰もが知っているメーカーの人々だ。

私立で厳しかったのだが、祖父母を騙して
16で中免をとって、バイクそして18で車と
田舎の兄ちゃんのお決まりコースを自分は走った。
もちろんここで会ったメーカーにはすべて世話になった。

10代が、なぜあんなふうに風をほしがるのか?

それはチャリンコから脱皮するセミのような
まばたきなのかも知れない。
峠やサーキットなど十分危険な風に冒されて走れば、
もう20代では違う風で良くなっていて、
フルフェイスを自分は脱いだ。
 
人がまたがった姿までをイメージして
バイクはデザインされるという。
時にはテストライダーがまたがり
タンクホールディングなんかもチェックして
デザインを煮詰めていく。
 
何のためにどんな風に使うのか?
使ってなんぼ、
だからあたりまえの過程だね。という。
デザインするものは自分とは違えどまったく
同じ基本の流れだった。
それもカラーも合わせる。
カラーが違っていると、それだけでもう錯覚が
生まれるからだ。これも同じ。

しかしバイクは、
現在スクーターから、単車に乗るという流れが
無くなって、最初からスクーターそれからは四輪が
あたりまえになってしまっているという。
 
より便利により簡単に、バイクも向かった結果だという。
 
四肢すべてを使い、事故れば大怪我という
バイクだが、すべての五感を働かせなければ
操れなかったのがバイクの良さだったはずだ。
 
そんなバイクも今やそんなものが求められて
いないのは残念。
あのバイクが欲しくてバイトして金を貯める。
そして操る。
そんな野郎たちがもう、今は昔になるのは寂しい限りだ。
 
削りだしたタンクのアールに魂を感じてもらえるように、
デザインしている男たちの思いはまだ存在しているのに。