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知足の蹲踞から、龍安寺茶室「蔵六庵」へ/沼尻宗真




img_03082.JPG


知足の蹲踞で心身を浄めたなら

次は茶室です。


茶室は「蔵六庵」と言います。

こちらも非公開です。


僖首座(きしゅそ)1616−1696 


江戸時代前期の僧であり千宗旦の門人で,

茶杓の製作で知られた方です。


僖首座 の好みのままに、

点前座にある、

水屋の掛け窓からの

灯りとりが珍しいです。


二畳台目二畳 中板敷。

こちらも珍しいですね。





蔵六とは亀の別名です。


甲羅の中に頭、尾、四肢の

六つを隠すことからきています。


仏教においては

「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」の

意味合いがあるとされています。


⚫六根清浄とは

人間に備わった6つの力を

清浄に収めることの意味合いがあります。

6つの力とは、人間の「五感」と

未知の力となる「第六感」を

加えた力のことです。


眼根(視覚)

耳根(聴覚)

鼻根(嗅覚)

舌根(味覚)

身根(触覚)

意根(意識)




img_03036.JPG


日本最古の侘助椿は

龍安寺にひっそり佇んでいます。



宗 真

https://ameblo.jp/chazenichimi




知足の蹲踞「吾唯足知」/沼尻宗真



私の郷里茨城の偉人、水戸光圀公が

京都龍安寺に寄進した銭形の蹲踞・つくばい

(非公開)


観光客が見ているものは、レプリカです。


中心の口を共用し

「吾唯足知」となり

禅の格言を図案化した無言の悟道です。


鳩摩羅什 (くまらじゅう)の 訳した

遺教経(ゆいきょうぎょう)には


「若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、

まさに知足を観ずべし。

知足の法は即ち富楽安穏の処なり。

知足の人は地上に臥すといえども、

安楽なりとなす。


不知足の者は富むといえども、しかも貧し。

不知足の者は常に五欲のために牽かれて、

知足の者のために憐憫せらる。

是を知足と名づく」とあります。


現代は物や情報が溢れかえっていますから、

お金さえあれば何でも買えて手に入ります。


しかし、知識や経験などは

お金では買えない、

素晴らしい価値のあるものです。


茶道は古の先人が残した経験や知識を、

現代に生きる私たちに古を引き継ぎ

教えてくれます。


あぁ日本人で良かったな!

と思う瞬間が必ず生まれます。


「足る」を知り、むさぼる事なかれ!


ご住職の言葉が身に染みます。


img_03123.JPG



「時ならぬ さくらが枝に ふる雪は 

    花を遅しと 誘ひきぬらん」


安土・桃山時代、

1588年豊臣秀吉は蒲生氏郷や

前田利家らを連れ龍安寺で

和歌の会を催しました。



大雲山龍安寺


徳大寺家の別荘を、

宝徳2年(1450年)官領 細川勝元が

譲り受けて寺地とし、妙心寺の義天玄承を開山として創建されたものである。


方丈の前庭は枯山水の石庭として著名で、

臨済宗妙心寺派に属します。



沼尻宗真








宝塚歌劇団と茶道の源泉/沼尻宗真



明治から昭和にかけ、
多くの事業を手掛けながら、
名物道具を使って茶の湯をする
近代数奇者と呼ばれる人々が登場します。

その筆頭に、
益田鈍翁、井上世外、高橋箒庵、
原三渓、根津青山、小林一三らが有名です。
※敬称略



小林一三さんは、
政治家としては商工大臣、国務大臣を務め、
戦後は初代戦災復興院総裁を歴任しました。

また阪急・東宝グループ、宝塚歌劇団を
作った実業家として有名です。

その小林さんのコレクションだけは
他の数奇者とは違い、特徴があると
言われています。

それは単に金に任せて
道具を買っていないからです。

コレクションや茶室などは
一般に公開されておりますので、
ぜひ一度ご覧ください。


戦後、
小林一三さんが廃校となった古材を用いて作った茶室に「古彩庵」という茶室があります。



物資の貧しい戦後という
時代の中でこそ、
この茶室は生まれました。

実は小林一三さんは
戦災復興院総裁として
戦争に負けた日本人の気概を取り戻す為にも、戦後の義務教育に「茶道」の必要性を真剣に
訴えた偉人なのです。

−−−−−−−−−−−
或はさうかも知れない。
が、しかし苔むす石燈籠に、筧の音のさややくつくばひの静けさ、一枝の花、松風の音、この心持は外国人には判らないかもしれないとしても、「これがわからないとはかあいそうだ」といふ風に、お茶の境地そのものが、絶対的優位にあるものと自惚れてはイケナイ。
−−−−−−−−−−−
 
今はナゼか?
ヒップホップが義務教育ですが。
戦後70年間英語教育をしてきて、
英語が話せない日本人を増やして

今度はヒップホップって
本当に日本は残念無念な国になりました。




舞踊家の田中泯さんが、

舞踊が形式化されたものでなく

嬉しいから踊る

悲しいから泣く

それが踊る

つまり

心が躍るかどうかが先!

授業としての必要性なら
日本芸術が学べる「茶道」でしょう。


茶道サミットを開いて、
流派を越えて各御家元が話し合い、
教育と茶道を話し合い政府に提言したり、

コミケを越える茶道イベントを春・秋
開いたら、もっと茶道に親しむ方が
増えると思います。

小林一三さんは茶道についても、
どのようにするべきか?
具体的に詳しく書かれています。

・『大乗茶道記』
逸翁美術館編 浪速社 1976

・『新茶道』文芸春秋新社 1952/
熊倉功夫解説 講談社シリーズ茶の湯 1986



この「古彩庵」
外見は単なる古い民家のようにも見えますが、
中に入ってみれば、それはやはり茶室で
背筋が伸びます。


天井にも躙口にも、
古材らしく釘の後が
残っていたりしますが、
釣瓶の水指の釘染みのようにも見え
景色にもなっています。


どうせ廃材だからという諦めなく、
古材を選び抜き作られています。

茶室ではありますが、
茶室では味わう事のできない懐かしさや、
身近さも感じられます。

非日常性が求められている
茶室。

空間から、器を考え。
器から空間を考え、
庭から空間を考える事ができます。

各流派の通りとなる
忠実な茶室も良いですが、
この「古彩庵」という茶室が
現代の等身大の茶の湯のあり方に、
示す役割は大変大きいと思います。

何千万と金をかけて
本歌を写す茶室も素晴らしいですし、
この「古彩庵」のように

自分にとっての意味や、
自分の由緒あるもので作る茶室も
また素晴らしいという事です。

大切な事は一点だけ、

例えば初歩的ですが、
いくら炭を使わないとしても、
コンセントに向かって点前、
コンセント点前しないようにする
などもそうです。

広間、小間、四畳半等ありますが、
茶室の各々の約束事だけは
最低限抑える事が大切だと感じました。

難しいのは、茶室を知る
大工さんが少ない事です。


沼尻宗真



茶の湯のカネ割り「易経」「南方録」/沼尻宗真



利休大居士は一人になって
道具を置き合わせられたとい言います。

終生このカネ割りを
疎かにしなかったのであると、
弟子の南坊宗啓は「南方録」に伝えています。


カネ割とは一定の長さを
等分割して生じる分割線
そのものをさしています。

台子なら天板と地板の横の長さ、
畳なら短辺の内両畳縁をのぞいた、
残りの部分の長さを
等分割して生じた分割線のことです。


「易経」には
茶事を行う場   ー  茶室は

もともと
天地陰陽を和合した空間、即ち一つの
小宇宙として創られた場に座して、
主客ともに「仙薬」の茶を喫する事は
まさに「天地人合一」なのである。
宇宙と人事の変化を相対する陰・陽
の消長によって示されている。
と記されています。




「易経」に示している
宇宙大自然の最高の理想の境涯は
天と地の和の中に人がいることです。

天地の和とは、即ち陰陽の調和のことです。

なぜ、茶室の台子や畳目にまで
三陽四陰の七つカネや
五陽六陰の十一カネなど道具を細部に
置かれる場所まで、決められてきた歴史が
あるのかと思う時に、
私は茶室が小宇宙空間としての法則の場であるという事を踏まえ考えてみました。


画像引用


地球の公転軌道面である黄道面に
月の公転軌道面は5.1度傾いて軌道し、
それが月の位相や地球の潮汐が、
太陽と月の相対的な位置関係に
よって変化しています。

また水、金、地、火、木、土、天、海、明の
太陽系の八つの惑星が同じ平面を
同じ方向に公転している
という宇宙の原理とまったく同じ理念を、
茶室の中に具現化し、

茶の湯を行う者にまさに現世において
万物が呼応しながら昇華されている様を、
生きながらにして
曼荼羅の世界を体験させるべく
創られた法なのではないかと考えています。

してこれら道具の置き合わせの位置などは、
あくまで我々の「降魔成道」の
プロローグに過ぎず、

究極のカネ割りとは、
心のカネであり、

己自身の強さや弱さに真摯に向き合う姿、
また新たな明日へと
挑もうおうとする姿にこそ
実は真のカネ割りの姿があるのだと
私は考えています。

台子の点前手順ができるか
どうかの問題ではなく、

なぜその位置の決定なのか?

という根本的な所を
師匠から学ぶ事は大切ですね。





 

沼尻宗真




「心刀彫身」河井寛次郎・民芸運動の矛盾/沼尻真一

                     

河井寛次郎と聞けば、それは誰でも
柳宗悦、浜田庄司とともに、
民芸運動の中心人物であり、
陶芸家のイメージだと思います。



京都五条坂に清水家との縁から
窯を築き、誰もが知っている作品を
焼いています。

その空間に一歩足を踏み入れれば、
京町屋とはまったく違う、
気持ちのよい空間が開けてきます。




仕事に必要なものはもちろん
整然とそろっていますが、

作家の自宅兼工房というよりは
むしろ、
謙虚な姿として求道者の
佇まいを醸し出しています。




寛次郎の家では
毎日たくさんの来客を
もてなしていたそうです。

それゆえ荘厳でありながらも、
開放的な人なつっこさに、
すべてが満ち溢れている空間です。

寛次郎が生きた時代は
ちょうど戦前、戦中、戦後で

いきなり天皇が神から人になり、

鬼畜米英がギブミーチョコレイトになり、

日本は高度経済成長へと突入した時代です。

民芸運動をやってたから、
流行には興味がなかったのでしょうね。と
よく言われるんですが、
寛次郎はまったく違って、
例えば、車や電化製品などに
とても興味をもっていたんですよ。と
寛次郎の孫の鷺さんが教えてくれました。

浜田庄司は人間国宝になり、
益子を一躍活況に導きました。

河井寛次郎は、人間国宝を
辞退しています。
同じ民芸運動の仲間なのに
一体なぜでしょうか?


街の役員をしながら
多くの若者を戦地へと見送った戦中
そして、遺骨として
戻ってくる状況に
耐えられなかったと聞きました。

そして

大量生産大量消費の
戦後を見てきた寛次郎が
言葉や木彫に込めた思い、

いま日本では戦争は起きていませんが、
人の死や戦争という極限状態に
ならなくても、

あらためて各々が
何かを大切にしなければ
ならないという事を教えてくれています



民芸運動の中心にいながらも

「ものを持たず、みえないものを持った人」

孫の鷺さんの言葉です。

すべてを欲し
やりきることもできたであろう
寛次郎が己に戒めたものが、
誰かの北辰となる日がきます。

「無名の美」を称賛しながらも
作家として人間国宝になる事。

一口に民芸運動を括れない
複雑さがあります。

最後にこのような場を与えていただいた
京都・梶古美術の梶ご夫妻に
あらためて感謝申しあげます。


沼尻真一

https://ameblo.jp/chazenichimi







茶道のきほん講座開催します。


茶道と聞いて、


・正座か〜

・敷居が高い〜

・いつか学んでみたいな〜

・学生の頃やってたな〜


なんて方は多いと思います。


2020東京オリンピックを前に、

これだけ多くの外国の方が

日本文化に興味を持って訪ねてきても、


自分を含め

日本人が日本の文化を

なかなか上手く紹介できません。


まして、


茶道なんて〜

日本文化の結晶!総合芸術なんですが、


やっぱり敷居が高い〜


しかし、

そんな問題を一気に解決するべく

茶道がまったく初めての方にも


優しく丁寧に


そんな怖い心配が

まったく無いように、


わずか2時間で茶道のきほんを

学んでしまおう!

という、よくばり企画です。



−−−−−−−−−−−−−−−−−


〈茶道のきほん〉講座を

海老澤さんが開催します。


・茶の湯 500年の歴史解説

・抹茶はこんなに凄い!

・ご自宅での抹茶の点て方


【日時】

2018年 7月29日(日)

10時〜12時


【場所】

茨城県陶芸美術館

茨城県笠間市笠間2345


【受講費】

3000円

主菓子・干菓子・抹茶2服・

★京茶筅プレゼント


【定員】
先着20名様

【講師】
海老澤 宗香

詳しくはこちらから

https://ameblo.jp/ebisoko/entry-12392374851.html


ご予約・お申し込みは

茨城県陶芸美術館まで
電話 :0296-70-0011
FAX : 0296-70-0012



 ・沼尻真一の茶道や茶の湯に関する記事

https://profile.ameba.jp/ameba/chazenichimi













大雨警報・土砂災害 多治見市


強い雨が岐阜にも降りました。

友人のいる京都、愛媛、広島、岡山

方面は大変な被害でした。


多治見は何とか無事でした。


自然災害があると、救助の有り難さが

分かります。


そんな中、

自民党総裁選を前に

7/8自民党の石破茂元幹事長は8日、

鳥取市で開かれた自身の国政報告会で

講演し、災害対応を一元的に担う

防災省の新設を、9月の党総裁選の政策に

掲げる意向を表明した。

石破氏は「これは絶対に

やらなければならないことだ。

公明党からも賛同を得ている」と訴えた。


実は自分も10歳ぐらいの時に

たぶん何らかの災害を見て

「防災省」とかあればと

もっと専門的にやれるのになと

思っていました。


また、震災後は必ず

避難所問題や

仮説住宅問題が起きます。


前の東日本の地震でも

ぐるっと海で囲まれた日本ですから、

国で「防災客船」を所有し

災害地に派遣する事で、

瞬時に5000〜8000名を

たった一隻で収容する事が可能です。


2隻なら2万人近く収容できます。

食事、水、風呂、トイレ、

プライバシーなど相当緩和できそうです。



・世界一大きな客船

運行会社:ロイヤルカリビアン社

全長:362.12m × 66m

重量:230,000トン

乗客:5,535名

就航年:2018年

2018年4月から就航した新しい船です。

シンフォニー・オブ・ザ・シーズは

ロイヤルカリビアン社の船


・日本で船に住民票は可能のようです。

横浜ベイサイドマリーナでは民間人3人が民間船に住民票を置いています。

但しマリーナ内だけのようで、好きな場所に係留して生活できないようです。



石破さんのような総裁選候補の方でさえ、

やっと今「防災省」を提起できる。


まして、毎年各地で震災が起きて

仮説住宅問題も軽減できる「防災客船」

なんて、あと何回ぐらい国民が被災したら

検討されるのかな?

気を失います。



せっかくの島国日本、

日本海軍から相承したものは

露と消えたみたいです。


・日本の避難所はソマリア以下❗

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/222363/070100003/?ST=smart


・避難所に行かない避難

http://www.risktaisaku.com/articles/-/1440





一方、

東京オリンピックとなれば

防災と話は別です。


JTBが企画したホテルシップ!プログラム


窓が無い部屋も400室あったので、

旅館業法でさえクリアできませんでしたが、

内閣官房や横浜市長の特別許可で

クリアできちゃうんです。


使用する船舶はサン・プリンセスで、

客室数は1108室、乗船可能人数は2022名。


「日本にある1000室以上のホテルは

10施設ほど。それがオリンピック期間中に

横浜山下埠頭に現われる」と意義を説明。


https://www.google.co.jp/amp/s/travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1129/439/amp.index.html


なんか、理不尽、矛盾みたいな

素晴らしい日本国。


我慢・忍耐が美徳、変わらなくて良いと

思っている方が多いから日本は

変われないのでしょう。


1964年の東京オリンピックに

作られた時から、56年間

人も物もあまり変わっていません。

だから、歳時記や風物のように

当たり前にいつもの事が繰り返される。

たぶん、あと100年経っても

心地よいから日本は変われないでしょう。


せめて2020オリンピック後は

そのまま

国民の為に防災客船として

寄付頂けないですか。


窓が無くても構いませんが、

カビとか湿気は大丈夫かな?



 ・沼尻真一の茶道・茶の湯に関する記事

https://profile.ameba.jp/ameba/chazenichimi



・駄菓子屋の革命家 春枝さん/沼尻真一

http://numajiri.jugem.jp/?eid=903



・「ハレとケ」遠野物語:日本民族学の祖 柳田國男 / 沼尻真一

http://numajiri.jugem.jp/?eid=590

































『こゝろ』/沼尻真一


私などはじめて控室の

先生へお目通りした時は

和歌の事など全く分かりませんでした。

先生は机の側(そば)の

ソフアに嚴然と座り、

さあ何處からでもやつて來いと

言はぬ許りに構へ、禪坊主が座禪の時の

やうに落着いてゐるので、

どこへもとりつく島がなく默然

どうも何を聴いたらよいものか

しどろもどろでした。



先生から2018夏の手紙がきました。


まぁこんな感じから

スタートしまして、

1200年以上の

歴史ある和歌から


見てないものを創造で

リリックやフロウを

駆使しながら歌いあげる和歌


そこから


なぜに?


五感で体感する


「茶の湯」へと


日本の文化が変遷したのか?


      を


一つ一つプロセスを踏み

先生から学びました。


http://numajiri.jugem.jp/?eid=727


それが今に繋がり


分かりやすく

ワークショッププログラムを作り

開催しています。


茶道とは何ですか?


何故、あのように複雑な手続きで

たった一服の茶を点てるのでしょう?


という単純な

質問にどんな答えがあるでしょう。


茶道の核心は「侘び」そのものです。


茶の湯や日本文化に興味のある方は

どうぞ。



◼沼尻真一の茶道・茶の湯に関する記事

https://profile.ameba.jp/ameba/chazenichimi



◼「侘び」を体感するワークショップ/

海老澤 宗香 茶道教室  https://ameblo.jp/ebisoko/entry-12363895555.html



◼なぜお茶・抹茶・茶道は点てるというのか?なぜお茶は一服というのか?

/沼尻真一

http://numajiri.jugem.jp/?eid=854















がん医学権威「世界のナカムラ」が祖国に絶望したワケ

6年ぶりに

アメリカから中村祐輔さんという

凄いお医者さんが帰国するらしい。


一昨年も昨年も今年もずっと

お葬式が続いてます。


大往生は別としても

高校の親友が若くして

急逝した原因は

やっぱり この病です。


きっと、周りにもそんな

病が原因で悲しい経験をした方や

今もしている方は

沢山いると思います。


日本の医療は凄いから〜


今に全ての病が治るから〜


なんて話を、

カレコレもう20年〜30年聞いてますが

あんまりですね。


当社の生命保険では

最先端医療も受けれます。


宝くじに当たった人を

見たことがないように

こんな言葉が

どうも怪しく感じてしまいますな。


今回の中村先生の記事からは

そんな疑問が良く分かりました。





ここ

↓↓


「お腹の塊をどうにかして」と泣き叫ぶ患者を看取ることしかできない。この「悪魔」をどうすれば打ち負かすことができるのか。苦悩のなかで、がん患者には「個人差」があることに気づき、これは「遺伝子の差」が関係しているに違いないと考えた。



                                    #


中村は久しぶりの「日本」に対してぬぐいきれぬ不安があるようだ。

「後ろからたくさん矢が飛んでくるかもしれないし、周囲の人間からは、『中村先生がいなかった6年の間も、日本の医療はなにも変わっていない』と言われますから、まだなにができるかはわからない」


                                     .#


「日本の医師は研究費をもらうのに四苦八苦して論文を書くことがゴールとなっている。研究を患者に還元しようという人が少ない。それは国立がん研究センターも同じで、標準治療のガイドラインに固執するせいで、それらの治療法が合わず選ぶ道がない“がん難民”をつくり出していることに気づいていない」(中村)


                                 #


「司令塔のはずなのに、実際にできることは、各省庁に政策の助言をすることぐらいだった。予算などの権限が与えられていないためだ。気がつくと、各省庁が財務省と個別に予算交渉をして、政策を進めていた。自分は、室長という名の単なるお飾りなのだと思い知らされた」(12年1月28日付読売新聞)


                                  #


「日本を愛しているからこそ、あえて米国へ行くということです。現在の日本の医療体制では、患者さんに新しい薬を届けるのは難しい。ならば、環境が整っている米国で、もうひと勝負したいと考えたのです」

 勝負。これこそが今夏、中村が日本へ戻る目的だ。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

マジで6年間も日本の医療が

変わってないの?


コワ〜


研究費もらえないと、発見もないしね。

しかし、

助成金の論文書くだけで

死ぬほど大変なんでしょうが

そこがゴールでなく


やっぱり、国から予算出たなら

困ってる民に還元する所まで

何とかしてほしいです。


政治と最先端医療がこんなに

密接に関わっていて

うまく連携しないと

こんな世界を代表する

スゲーお医者さんまで

路線から外されるんかい。


事務次官やった凄い人まで

省庁辞めたら

ハブかれんだもんな〜


人間や組織は残酷だな。


肩書きなけりゃ、

みんなタダの人なのに。


タダの人として魅力的に

見えるかどうかですわな。


もったいない話だよ。


しかし、


中村先生の問題意識、


病への怒、怒、怒


行動力、素晴らしい大人を見ました。


国民栄誉賞って、

なんかTVで見りゃ

わかるよーな人にあげんじゃなくて、


この中村先生なんか

とっくのとうにあげていて

いいだろ。

本人が貰うかどうか別として。


ノーベル賞は本当に素晴らしいけど、

芥川賞や直木賞のように、

国内独自に

もっともっと

こんな方々を顕彰し、

ただ歳をとってる大人でなく、

尊敬に値する大人を知らせてほしいです。






−−−−−−−−−−−−−−−−−−−



戻ってきた“ノーベル賞に最も近い日本人” がん医学権威「世界のナカムラ」が祖国に絶望したワケ

2018/06/30 08:00

デイリー新潮

戻ってきた“ノーベル賞に最も近い日本人” がん医学権威「世界のナカムラ」が祖国に絶望したワケ


「ノーベル賞に最も近い異端児」が切り拓く「がんゲノム医療」――窪田順生(上)

 かつて祖国に絶望した男が再び戻ってくる――。「ノーベル賞に最も近い日本人」と称されたがん医学の権威が今夏、国内に復帰。彼が日本に舞い戻り目指すのは、「リキッドバイオプシー」と「ネオアンチゲン」というがん医療の普及だ。最新技術の現状を紹介する。

 ***

 この夏、日本の「がん医療」の行く末に大きな影響をあたえる男が、アメリカから6年ぶりに戻ってくる。ゲノム(全遺伝情報)を解析し、がんの治療に活かす研究の世界的権威として知られるその男の名は、中村祐輔(65)――。東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター長、国立がん研究センター研究所所長、理化学研究所ゲノム医科学研究センター長などを歴任後、2012年からアメリカに研究拠点を移していた中村が、シカゴ大学医学部教授という恵まれた立場を捨て、7月1日に東京・有明にある公益財団法人がん研究会「がんプレシジョン医療研究センター」のセンター長に就任するのだ。

 過去、大腸がん患者のゲノム研究で世界を驚かせたその中村が、まずは「ゲノム」と「がん治療」の関係について説明する。

「大腸がんの場合、たとえばAという遺伝子に異常があるとポリープができて、次にBという遺伝子に異常があるとポリープが大きくなり、さらにCという遺伝子に異常があるとがん化する、と段階的に進んでいくことがわかっています」

 つまり、我々が「がん」と呼んでいるものは、実は遺伝子の異常が積み重なり、細胞増殖に歯止めがきかなくなった状態を指すのだ。では、がん症状の「個人差」はどこからくるのか。それは遺伝子である。各個人の遺伝子異常の微妙な差が細胞の増殖具合の違いを生み、がんの「個体差」につながる。同じステージの大腸がんと診断された患者でも、進行度が違っていたり、抗がん剤が効く、効かないという「個人差」が生じたりするのは、すべて「ゲノム」の違いに由来するものなのだ。

がんゲノム医療

 このような「がん」をひきおこす遺伝子――「がん遺伝子」については、1990年代より世界中で解析が進み、それに中村も大きく貢献。既に米国では2万数千例という膨大な数のデータベースが構築されている。この集積されたがん遺伝子情報と、患者個人のゲノム情報を、スーパーコンピューターやAI(人工知能)で照らし合わせ、個々に最適な治療を見つけ出すのが「がんゲノム医療」である。この着想は、オバマ政権以来、米国が国家プロジェクトとして進めている「プレシジョン・メディシン」(個別化医療)のベースにもなっている。

「輸血する際に必ず血液型を調べるように、がん治療をおこなう際にも、遺伝子検査をすれば個々のがんの個性がわかり、効果的な治療を選んで、副作用の危険が高い治療を避けることができる」

 そう語る中村はこの分野の第一人者だ。彼はこれまでゲノム情報を活用した新薬の開発に長く携わってきた。それらの実績から、「ノーベル賞に最も近い日本人」と評されてきた「世界のナカムラ」が日本へ戻ってくるのだ。がん患者でなくとも期待に胸が膨らむ。しかし、当の中村は久しぶりの「日本」に対してぬぐいきれぬ不安があるようだ。

「後ろからたくさん矢が飛んでくるかもしれないし、周囲の人間からは、『中村先生がいなかった6年の間も、日本の医療はなにも変わっていない』と言われますから、まだなにができるかはわからない」

 言葉の端々から、日本の医療界に戻る不安、医療制度に対する危機意識が伝わってくるが、同業者らに言わせると、それもいたしかたないという。

「民主党政権時にあれだけ派手にハシゴを外されるという挫折を経験したわけですから。日本の医療そのものに懐疑的なのでしょう」(国立大学で先端医療に関わる研究者)

 世界的権威の「挫折」。それを正しく理解するには、これまでの中村の歩みを振り返らなくてはいけない。

「一匹狼」の日本批判

 1952年、大阪に生まれた中村は、府立天王寺高校、大阪大学医学部というエリートコースを歩み外科医の道を選ぶ。大学病院、救急医療、小豆島の町立病院などさまざまな現場を渡り歩くなかで痛感したのは「がん」に対する己の無力さだった。切除してもすぐに再発。お腹を開いても手の施しようがないほど進行している。「お腹の塊をどうにかして」と泣き叫ぶ患者を看取ることしかできない。この「悪魔」をどうすれば打ち負かすことができるのか。苦悩のなかで、がん患者には「個人差」があることに気づき、これは「遺伝子の差」が関係しているに違いないと考えた。が、「ゲノム」という言葉を使う人は限られていた時代。いったいどうすればいいのか途方に暮れていたある日、海外の医学雑誌の記事に目が留まった。米・ユタ大学のレイ・ホワイト教授が遺伝性大腸がんの研究をおこなうというのだ。これしかない。迷うことなく参加を志願する手紙を送った。「ゲノム研究者・中村祐輔」が誕生した瞬間である。

 ホワイト教授から快く迎え入れられた中村は、DNAのなかでどれが父親由来か、母親由来かを判別するマーカーを多く発見。それらは後に世界中の研究者から「ホワイト・ナカムラマーカー」と呼ばれ、遺伝子研究の発展に大きく貢献した。

 5年間の研究生活を終えて帰国した中村は、ゲノム研究に理解を示した菅野晴夫・癌研究会癌研究所(現・がん研有明病院)所長(当時)に迎えられ、36歳という若さながら生化学部長に就任。ゲノム解析を新薬の開発に結びつける研究をスタートさせ、それが結実したのが、がん細胞を殺す「キラーT細胞」というリンパ球を増やす新薬「がんペプチドワクチン」の開発だった。こうして誰もが認めざるをえない実績を積み重ねていく一方で、「一匹狼」「異端児」という陰口も増えていった。理由は、中村と5分も話せばわかる。

「日本の医師は研究費をもらうのに四苦八苦して論文を書くことがゴールとなっている。研究を患者に還元しようという人が少ない。それは国立がん研究センターも同じで、標準治療のガイドラインに固執するせいで、それらの治療法が合わず選ぶ道がない“がん難民”をつくり出していることに気づいていない」(中村)

 日本のがん治療では、外科治療(手術)、放射線治療、そして化学療法(抗がん剤治療)という3つが「標準治療」とされ、それ以外の治療は「邪道」扱いされる傾向が強かった。海外のがん医療で主流となってきた「ゲノム」への無理解は、中村からすれば時代錯誤以外の何物でもないが、「歯に衣着せぬ日本批判」をおこなう彼の主張は、「医療ムラ」から煙たがられた。

 そんな「一匹狼」に大きな転機が訪れる。2011年1月、民主党政権が日本の医薬品、医療機器の国際競争力を高めることを目的として設立した「医療イノベーション推進室」の室長と内閣官房参与に中村を任命したのだ。「医療制度こそ元凶」と訴えてきた中村にとって、医療改革の「司令塔」はまさに望んでいたポスト。彼はその意気込みをこう語っていた。

「日本発の革新的医療を日本の患者さんたちにいち早く届けられるよう全力をあげています。患者さんに新規の医療を届けたくても、日本独特の壁があってできない面も強かったですから」(同年3月15日付産経新聞)

ネイチャーが報じた〈日本に見切りをつける〉

 だが、この発言をしたわずか9カ月後、中村は辞表を提出。「日本独特の壁」を壊すつもりが、逆に返り討ちにあってしまったのだ。

「中村氏の起用は、自民党政権時と異なる改革路線をアピールしたかった仙谷由人官房長官(当時)の仕掛け。ただ、他の民主党の政策と同じく、聞こえのいいスローガンのみで霞が関や業界への根回しなど一切やっていなかった。そこで、後ろ盾の仙谷氏が官房長官を辞めると、推進室の会議を各省庁の幹部がこぞってボイコットするなど露骨な“中村おろし”が始まった」(全国紙記者)

 当時の中村はマスコミにこう明かしている。

「司令塔のはずなのに、実際にできることは、各省庁に政策の助言をすることぐらいだった。予算などの権限が与えられていないためだ。気がつくと、各省庁が財務省と個別に予算交渉をして、政策を進めていた。自分は、室長という名の単なるお飾りなのだと思い知らされた」(12年1月28日付読売新聞)

 このまま日本で「お飾り」に甘んじていても、誰も救えない。中村が退任を申し出て、研究環境の整ったシカゴ大学の教授となったのは、当然といえば当然の選択だった。

 中村の「日本脱出」は世界の医学界でも驚きをもって伝えられ、英国の科学雑誌「ネイチャー」(同年2月号)は「Genomics ace quits Japan」(ゲノム研究のエース、日本に見切りをつける)と報じた。ただ、中村からすれば日本を諦めたつもりなど毛頭なかった。著書『これでいいのか、日本のがん医療』(新潮社)に当時の心境が綴られている。

「日本を愛しているからこそ、あえて米国へ行くということです。現在の日本の医療体制では、患者さんに新しい薬を届けるのは難しい。ならば、環境が整っている米国で、もうひと勝負したいと考えたのです」

 勝負。これこそが今夏、中村が日本へ戻る目的だ。

(下)へつづく

(文中敬称略)

 ***

窪田順生(くぼた・まさき) 1974年生まれ。雑誌記者、新聞記者を経てフリーランスに。事件をはじめ現代世相を幅広く取材。『「愛国」という名の亡国論』(さくら舎)等の著書がある。

「週刊新潮」2018年6月21日号 掲載


https://www.dailyshincho.jp/article/2018/06300800/




index


・駄菓子屋の革命家 春枝さん/沼尻真一

http://numajiri.jugem.jp/?eid=903
















われ反抗す ゆえにわれあり/沼尻真一


もう腕が届かねーから


立ちながら

60センチを超えて

ロクロで筒挽きしてたら


ラジオから?


チョー  受ける、


コメントに

耳がもってかれた‼


そのラジオの若い画家の名前は

宮崎さんという方らしく、


俺の故郷つくばの

筑波大学院を卒業し

ストリートアートに憧れ

ロンドンに渡る。



そんなロンドンの奴らが


社会に対する怒り、怒、怒


これしかねー


これで存在証明


これで生きるという中で

ストリートアートを描き続けてるのを見て、


あっ、


普通の家庭に育ち

大学院まで出た俺に


そんな怒りあるのか?


俺、


そんなに怒ってんのかな?


俺のやってる

これって


物真似だな。


やっぱり

普通で楽しい事が好きだな。


http://tsukubaway.com/column/professional/1908



んで、


どこが

受けたかって?


ここ

↓↓


そんな怒りあるのか?


俺、


そんなに怒ってんのかな?



マジ羨ましい‼


なんか

前日から磁土を調整して

気合いと根性で

60センチまで上げて

膨らまして


ロクロしながら


熱風あてるなんざ邪道なんだよ



そのまま

一気に膨らましたら


完成間近で


なっなんと


壺の肩が落ちてきて


ウワーって!


大声で叫んだら



その弾みで椅子から後ろに


ひっくり返って

腰を打つ‼



それから


体はイテーし、足ケガするし


一気に怒り、


チクショー、イテー


チクショー、イテー


って


テメーが情けね〜


怒り満タンの壺だよ‼



やっぱり優雅に〜


ゆったりと〜


穏やかに

日本の家庭に収まるような

40センチで黙って座っとくか。


外のベンチには

ご隠居さんがひと休み。


シュールやわ!



◼夏の京都


・京都・夏越の祓えと和菓子水無月 /沼尻真一

http://numajiri.jugem.jp/?eid=797



・白洲正子さんの京都

  平野屋の鮎と茶の湯/沼尻真一

http://numajiri.jugem.jp/?eid=799



・京都・祇園祭 八坂神社の茶会・祇園万亭、一力/沼尻真一

http://numajiri.jugem.jp/?eid=862



・京都 祇園祭 油天神山を曳く ー 沼尻真一

http://numajiri.jugem.jp/?eid=716