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TOKI織部大賞作品の再展示と【桃山陶探訪】男の茶道☆沼尻宗真

 



第12回 現代茶陶展 
TOKI織部大賞 受賞作品  沼尻 真一
土岐市収蔵



このたび受賞作品が
新たにリニューアルされた
土岐市文化プラザに展示いただける事に
なりました。
有難うございます。

土岐市にお越しの際は
ぜひ宜しくお願い申し上げます。

茶道家でも陶芸家でも
古田織部へうげものの里
土岐市に来るのであれば

良く京都やNY裏千家の友人達を案内
するコースをご紹介致しますので
あわせて宜しくお願い申し上げます。

白州正子さんの小説にも出てくる
白州さんが荒川豊蔵先生の元に
通った五斗蒔街道を走ります。




日本一有名な窯跡です。



私も修行させていただいた
大嶋先生の子の日窯もあります。





桃山陶を復興された荒川豊蔵先生の作陶の
状況と、魯山人さんとのエピソードが
有名です。


人間国宝の作品から現代作家の作品を
見る事ができます。


荒川豊蔵先生の作品や現代作家の作品展示
私の美濃陶芸 庄六賞 茶碗展大賞の茶碗も
こちらに所蔵されています。

こちらの茶室では、人間国宝の茶碗で
一服いただけます!


人間国宝の作品から現代作家の作品を
見る事ができます。








大体こんな感じでしょうか。
まだまだ 沢山の窯元やギャラリーも
ありますので、お調べください。

夏休み風鈴カキ氷
個人や社中でぜひどうぞ。














現代の陶芸家★別冊太陽☆沼尻真一


今から40年前の別冊太陽、カッコいい!

男だね。



今では伝説となっている

陶芸家の方ばかりだけど、

みんなちゃんと自分の言葉も

持ってたよね。


それを求めるお客さんにも

見識があった。


今じゃ100均で本当に品質の良い

陶磁器が手に入る時代。

プラスチックだって美しい商品がある。


それでもこの作家のこの作品を

どうしても求めたい、という状況に

なるように努力しないと

いけない。


その答えは、

外野の声でなく

自分の眼と自分の声にしか

手がかりはないと思います。


その美意識を間違えないことだけ。

美しいものしか、

だれも欲しくない。

























茶道の源流を訪ねて【まとめ】リーテ・ラトバリタ・ウルス ★沼尻宗真



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茶道の源流を訪ねて【宋の時代を知る】

【まとめ】

茶道の源流「宋の時代を知る」は

いかがでしたでしょうか。


ただざっくり茶道のお稽古で

唐だか、宋だか


お茶を渡来ものとして崇め

日本の今の茶道のイメージを

固定してしまうのでなく、


やはり、日本に伝わる前の

宋の国のイメージって

とても大事だと私は思います。


そこは千家流の茶道でも、

違う流派の茶道でも

宗派の違いも関係ありません。


表千家が品が良く

裏千家が華やか等々

間違ったイメージも必要ありません。


お茶はAiが教えているのではなく

人間が伝えています。

だから同じ流派でも全てのお茶が違います。





茶の喫茶法を栄西禅師が

日本に持ち帰り伝え、

利休居士がわび茶を大成した。


この茶道の歴史は

あくまで便宜上のものです。



茶道はそんな単純ではないようです。


だから茶道は深くて面白い。


なぜ茶道は点てるというのか?

なぜ茶道は一服というのか?



実はこの単純な言葉が


百丈懐海さん(ひゃくじょうえかい)

749年〜814年は、唐時代の禅僧です。

禅宗の清規しんぎとは、
禅宗の僧の生活規則です。

この百丈懐海さんが記した
『百丈古清規』から〜


日本の茶道となり


実は1200年の歴史を背負っていて

唯一変わらないものだとしたら、


茶道の稽古をする上で

とても大切なことだと

私は思っています。




リーテ・ラトバリタ・

ウルス アリアロス・バル・ネトリール 


ラピュタ語で


「我を助けよ、光よよみがえれ」という意味。


 シータは幼少期、この呪文

「困ったときのおまじない」として

祖母から教わっていました。


つまりシータと同じ偉大な先達の呪文かも

しれません💧


そして、それが


前礼・後礼を重んじる茶道の意義に

確実につながっているのです。



そんな茶の湯の全景を描きながら


私たちは皆さんへの大切な稽古を

点前だけではない実践を

していきたいと考えています。



茶道口に座し


「一服さしあげます」


挨拶が変わりますね。




茶道の源流を訪ねて【宋の時代】を知る★男の茶道★沼尻宗真


日本は新元号が「令和」になり

新しい時代が始まりました。

 

大化の時代から数えて248番目に

 

はじめて国書由来である 


万葉集から


「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、

梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」


の歌の序文から「令和」が生まれました。




これまでの元号はすべて、

古代東周春秋時代におこった

 

儒教の経典「四書五経」など漢籍を

典拠としていました。

 

元号ひとつとっても、

すべてにルーツが存在します。

 

ルーツを理解するからこそ、

物事を体系的に深く理解

できるのは、万物共通ですね。



 

 

私は、茶道の稽古をしていても

 

なぜ

「お茶、茶道は一服」と数えるのか?

 

なぜ

「お茶は、茶道は点てる」と言うのか?

 

という


まったく素朴な疑問が解決できない事や

 

茶道口に座り


「一服差し上げます」の挨拶も


もっと茶道を嗜む多くの方が

その言葉の背景を

イメージできるようになれば

という思いから

 

お茶や茶道はどうして一服というのか?

なぜお茶や茶道は点てるというのか?

http://numajiri.jugem.jp/?eid=854


という記事を数年前に書きました。

 

そして現在

いまだに多くの反響をいただいています。

 

しかし裏をかえせば、

せっかく茶道をしていても

 

茶道はすでに600年の歴史を

経ていますが、

 

未だ

「誰もわからないし、教えられていない。」

 

という現実があるのだと言う事が

分かりました。


もちろん私の記事でさえ

何ら確証はありません。

 


しかし、諦めず


今回はその第二弾として

 

茶道の源流である「宋」という国は



どんな国であったのかを

出口治明先生の文献から引用したものを

ご紹介させていただきます。

 

お茶や茶道はどうして一服というのか?

なぜ点てるというのか?

http://numajiri.jugem.jp/?eid=854

という記事と

併せてお読みいただけたら、

参考になるのではないかと思います。



この記事がお茶を楽しむ、

お一人お一人の一助になれば幸いです。


引用 http://blog.livedoor.jp/aritouch/archives/4272133.html

 


●茶道の源流「宋」について知る

 

中国では、大唐世界帝国が

907年に滅びたあと、

幾つもの王朝が短期間に

交代する五代十国時代を経て、


960年に宋が建国されます。

 

これが、「唐宋革命」と呼ばれる

大変動を引き起こしました。

 

宋の繁栄をもたらした第一の要因は、

北方の強国キタイ(契丹)への懐柔策。


お金や絹布を贈ることによって

戦を避けて南北が澄み分けるシステム

(澶淵の盟)です。

 

これによって三百年の平和の基礎を築き、

産業や文化を発展させました。



【政治・軍事革命】

皇帝による直接面接制を導入し、

忠誠心に厚い優秀な官僚を集めます。

それによって貴族や

外戚を政治の中枢から排除しました。


引用

http://songchao.baike.com/article-306044.html



【農業革命】

宋の時代に、チャンバ王国(今のベトナム)からチャンバ米という長粒種の稲が入り

普及します。


これは収穫が早いので、

長江周辺では米と麦の

二毛作が可能になりました。

 

それによって食料生産がいわば二倍になり、

人口も倍増しました。

 

それまでは漢や隋・唐時代の

五、六千万人がピークでしたが、

宋の時代には

人口が一億人近くにまでなったのです。



引用

https://m.sohu.com/a/83661608_409244/?pvid=000115_3w_a 

 

 


【海運革命】

唐から宋に移る頃にジャンク船が

登場します。


この船は竜骨が無く、

その代わり船体に穴が開いても

浸水を一部の区画に留める

水密隔壁が内部に設けられていました。






【飲茶革命・火力革命】

唐の760年にすでに「茶経」という

本が出版されていますが、

当時のお茶は貴族階級が嗜むものでした。

 

やがて宋の時代には広く

市民がお茶を飲むようになります。

 

そのため茶碗などの

陶磁器の需要が急増し、

生産も大規模になりました。


有名な景徳鎮は、この時代の景徳

という年号(1004〜1007)

からつけられたものです。


 

宋の青磁や白磁は、

色彩豊かな唐三彩に対し、すっきりした

美しさで知られています。

 

また石炭やコークスが燃料に

使われ始めたのもこの時代で、

それによって陶磁器の生産性が高まり、

食べ物を高温で炒めたり

揚げたりする現代の私たちが食べている

中華料理の原型ができあがりました。


http://mobile.japanese.china.com/393/20150420/351179.html

 


【都市文化革命】

唐の都・長安は人口百万人といわれた

世界有数の大都市でしたが、

城壁に囲まれ、夜になると

門が閉じられて出入りができない、

全体としては暗い街でした。

 

しかし、宋の開封は運河に向かって

開かれた都ですから、

人々が夜遅くまで活動し、

国際ビジネスに従事する

ユダヤ人街もありました。

 

茶館が建ち並び、講談や芝居、

大道芸人が市民の人気を

博していたのです。


茶坊・茶肆ちゃしと

呼ばれる茶店が多数あったようです


【仏教革命】

唐の時代は、龍門石窟の

盧舎那仏(武則天がモデルと言われる)に

代表されるような、国家を鎮護し、

また国家に保護される仏教が

中心でした。

 

武則天は全国に大雲経寺も

つくらせました。

奈良の大仏や国分寺などは

これを真似たものです。

 

そこで宋の時代には

国家に頼ることなく自力で

信者を獲得しようとする浄土教と

禅宗が盛んになります。

 

「南無阿弥陀仏」と唱えれば

救われると説く

シンプルな浄土教は庶民層に。

 

生きることをの意味を問うなど

難しい理屈の多い

禅宗は士大夫層

(官僚を輩出するようになった地主・読書人階層)に広まりました。

 

ここで布教に大きな役割を

果たしたのが木版印刷です。

木版印刷は唐代に始まっていましたが、

爆発的に普及しました。

 

引用 https://narashikanko.or.jp/feature/daibutsu/

 



■日本的になるものの原点


唐宋革命の日本への影響で

一番大きいのは、


禅と浄土教でしょう。

 

鈴木大拙は「日本的霊性」の中で


「それなら霊性の日本的なるものとは何か。

自分の考えでは、浄土系思想と禅とが、

最も純粋な姿でそれであると

言いたいのである。」と書いています。



日本人の心性をつくったこの二つとも、

宋から日本に伝わったものです。

 

日本文化と言えば必ず言及される茶道も、

お茶の葉を固めたものを削って飲む宋の

粉茶の習慣を継ぐものです。

 


「わび・さび」という美意識も、

宋の青磁や白磁のシンプルで

飾らない美しさと

関連しているようです。

 

能狂言や講談や人形浄瑠璃や歌舞伎なども

開封に花開いた文化の影響を

色濃く受けています。

 

引用:「0から学ぶ日本史」出口治明先生

 

 


 

 

 


和物香合筆頭【黄瀬戸・根太香合】とは★男の茶道☆沼尻宗真



2017年に開催された
「茶の湯」特別展・東京国立博物館は、
赤沼多佳先生が監修された
本当に素晴らしい展観でした。

もう二度とこのような茶の湯展は
見られないと思いました。

まさに金字塔です。



その中にも
桃山の美濃黄瀬戸「根太香合」
三井記念美術館所蔵がありました。

桃山の黄瀬戸「根太香合」三井記念美術館所蔵


私の陶芸の師である
大嶋久興先生は土岐市泉町九尻にて
黄瀬戸や織部を作陶しています。

稲垣休叟(表千家八代啐啄斎の弟子)が
文化三年(1816年 江戸時代)に書いた

『茶道筌蹄』には
「黄瀬戸根太、利休所持、
一翁宗守伝来、今出羽侯にあり」とあり、

天正年間から黄瀬戸が使用され、
志野、織部は慶長・元和の頃、
同じ頃に次第に備前、信楽、
伊賀、唐津などが焼かれるようになる。

と書かれており、

美濃で焼かれた黄瀬戸
「根太香合」が早くから
茶の湯の世界では使われていたようです。


安政二年(1855)に出版された
「形物香合相撲」番付表には、
黄瀬戸「根太香合」は
和物の香合の代表とされています。

この「根太香合」は平宝珠とも呼ばれ、
根津美術館さんに所蔵されている
美濃桃山の黄瀬戸「宝珠香合」とは
また違った趣です。

桃山の黄瀬戸「宝珠香合」根津美術館所蔵


「宝珠香合」「根太香合」
因みに根太とははれもの、
ふくらみという意味があるようですが、

やはり子供の頃に遊んだ
ベーゴマに似ているのが
「根太香合」に見えます。
まだ私はベーゴマを回せます。

現代茶陶展も、今日が最終日。

見ていただいた方や土岐市のスタッフの
皆様本当に有難うございました。

また、最終日に育てていただいた
師匠に珍しく孝行する事ができました。



端正に土と向き合う
先生の姿勢を手本に
今後も茶道・陶芸に
精進したいと思います。

◼大嶋久興先生
0572(55)4327

白州正子さんが荒川豊蔵先生のもとに
通った五斗蒔街道沿いにあります。