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茶道正月初釜【結び柳・綰柳わんりゅうの意味・由来】男の茶道★沼尻宗真


新春の初釜を迎え

様々な「葩餅」の記事拝見しました。


今回は「結び柳」のお咄です。

「結び柳」は

「綰柳」わんりゅう  とも呼ばれています。

綰 わがねる、
つまり曲げて輪にするという意味
からきています。

メチャメチャ わがねるのに
苦労しますが💧



「結び柳」は
旅立つ人を見送る際に、再会を期し
柳の枝と枝を結び合わせた
古代中国の風習に由来すると
先達の茶人は伝えております。

唐代の詩人、王維が 
旅立つ友の為に詠んだ
七言絶句の漢詩には






〈詩の意味〉

渭城の朝の雨は軽い土ぼこりを


しっとりと濡らし、
旅館の前の柳は
雨に洗われて青々として、
ひときわ鮮やかである。

(さて君はこれから遠く
安西=あんせい=に使いするために
旅立つのであるが)
さあ、もう一杯飲み干したまえ。

西の方(かた)陽関を出てしまったら、
もう君に酒を勧めてくれる友人も
いないであろうから。


とあります。

なんと

戦前の日本では壮行会の席上
送られる者も、送る者も声を合わせて
この詩を朗吟したそうです。

モノや情報が少ない時代
そんな時代の大人の流儀は
カッコいいですな。

行く者と送る者との縁つなぎ

つまり


行く歳から、来る歳への縁つなぎを
「結び柳」はしているようです。
















茶道・正月初釜・花びら餅でなく【葩餅・ごぼうの由来】京都・川端道喜★男の茶道☆沼尻宗真

 



歳が明け

初釜の季節となりました。


今年も社中の初釜があり

京都・川端道喜さんの「餅」を頂きました。


干菓子は亀屋伊織さんです。




社中の初釜で御宗家と同じものを頂ける

なんてほんまありがたいです。



元は一月元旦の宮中雑煮の

雉酒の具として使われてきたものが

「葩餅」の起源です。


とここまでは

普通の「花びら餅」の

由来として説明されています。



しかし、

いま伝わっている「花びら餅」は


明治四年と明治六年に

十二代道喜さんがわざわざ東上し

作り方を宮中へ伝えたものなのです。


ゆえに道喜さんの「餅」が貴重です。


ちなみに 道喜さんでは

「花びら餅」ではなく




「葩餅」 と表記しています。



では「葩」の意味をみてみましょう。


白いはな・ぱっとさいたはな

はなやかな・あざやかなさま


阿弥陀如来が浄土で説法されるとき
「無量の妙華を雨らして風に随いて周遍す」
とされ華は浄土の荘厳の一つとして
表されます。

仏典では、特に「蓮」の華を
仏のさとりの象徴として描かれ
この「葩」も「蓮」の華の花びらを
かたどったものです。



ところで茶道の稽古をしている

皆さんは


葩餅」が何の花びらかご存知ですか?



1さくら


2もも


3うめ


正解は一番最後に↓




禁中年中行事を示した

「御定式御用品雛形」という絵巻物には


白い葩12枚、その上に

紅の菱餅12枚、それと押し味噌

竹皮で包んだ飴等々とまじり

年魚つまり鮎を二匹この

菱葩の上に並べてあります。


四季草という本には


「餅は魚物一色付ければ

                一献初献の肴となる」


つまり餅も酒の肴になる!

ゆえに宮中元旦の雉酒の肴に

なっていたという事です。



「鮎」は宮中ではおめでたいもので、

保津川、大堰川、桂川から「鮎」が

よく宮中へ入ってきたようです。



しかし、


なぜ「鮎」はめでたいか?を知らないと

せっかく茶道の稽古をしていても


正月の「葩餅」「初夏の風物」がまったく

理解できないので下記の解説をしています。



◆皇室と茶道の「鮎」の意味



◆白州正子さんの京都・平野屋の「鮎」



いまはこの二匹の鮎が

ゴボウに変わり

全国に「餅」が広まりました。



このような歴史ある「葩餅」を

頂ける事も茶道の楽しみの一つです。


最後になりますが、

御粽司15代川端道喜さんの

記録に感謝致します。



正解は、3うめ です。






【茶家の餅つき】餅をイワイと言う★男の茶道☆沼尻宗真





・師匠宅で餅つき



神にそなえる大きな餅の他に
もとは正月には
「身祝い」と称して
一人一人にも
やや小ぶりな鏡餅をすえ

それでまた
「オスワリ」という名もあった。





関西では雑煮の餅は円く
餅は円いものという概念が
まだ消えていない。

その小餅がいよいよ小さく
数でこなすという点が
団子と近くなって

後に「切餅」に作る風が
一般化してきたのだが

今でも東北地方に行くと
馬の餅、臼の餅、鉈の餅などと
家畜にも家具にも円い餅を供している。

つまり、このような
気持ちの良い配給のできる事が
餅というものが

「めでたいもの」と見られた
理由である。







餅を今でも「イワイ」という処が多い。


しかし、この鏡餅の分配が省略され
「イワウ」という日本語の
意味が変わってきたと思われる。


「イワウ」という語には
人のために喜ぶというような意味はない。

むしろ彼も我も共同して
神を祭るという厳粛な機会に臨む心構えが
「イワウ」なのである。

柳田國男 先生





師匠の餅切り包丁は、京都の老舗 有次
裏千家学園でも使っていて懐かしいな〜





今でも私の実家の蔵には
はるか昔に活躍した臼と杵が眠っています。

共に茶道の伝統を守る事を誓った同志
協力し、歳末の餅つきを復活させ

社中の方々にふるまいたいと
思っています。