鯉のぼりも最近はあまり
見かけなくなりましたが、
悠然と泳ぐ姿を見た時には
やっぱり壮観です。
最近はこれでもかって具合に、
鯉のぼりも、雛人形も飾りますが
何段飾りや、何匹は業者の思惑ですね。
冷泉家の雛人形も御内裏様と御雛様のみ
ですから、鯉のぼりもありますね数が。
自分も子供の頃に鯉のぼりを立てて
もらった記憶があります。
やがて
そんな記憶もとっくに薄れた頃に、
子供の頃に罰として
閉じ込められた築120年ぐらいの
蔵の二階に上がって
押し入れの戸を開けた時には、
あの鯉のぼりの大きな目玉が出てきて、
本当にびっくりしました❗
デカイ❗
畑には葉菖蒲が植わっていて、
このブログにも良く出てくる
大正生まれの ばあちゃんがわざわざ
菖蒲湯をしてくれるんですが、
鼻が溶けるぐらい強烈で
子供の頃は、見つからないように
風呂の外に出してました。
いずれにしろ、
子供の頃の記憶
幼児体験はちゃんとあるもので、
世の中、暦を重んじるような
稀有なおばあちゃん達は
少なくなってきているので、
歳時記にまつわるこんな習慣を今は
若いご両親が担っていくのだと思います。
春めいた上巳の節句も終わり、
桜が咲いたら
すぐに「端午の節句」ですね。
なぜ「端午たんご」
と言われているのか?
意外に知られていません。
中国漢の時代以降の暦として
月を十二支で表記し
11月ー子(冬至を含む月を子とする)
12月ー丑
1月ー寅
↓
5月ー午
つまり午うま
五月は午の月であり
その午月の端の日
つまり端とは、なんと(はじまり)を
意味して最初の午の日を
端午としました。
その後、
やはり 3月3日、7月7日、9月9日と
同じように
午の重なる
5月5日が端午の節句となりました。
夏至前の時期、
疾病予防や邪気を祓う
ために蓬や菖蒲などの薬草を摘む
習慣が中国から日本へ渡り、
鎌倉時代以降は菖蒲が尚武と
同じ読みから、男の子の成長を
願う節句へと発展したという事です。