アメリカには、
このように熱心な方々が
日本の人口に迫る
8000万人もいると伝えられている。
この動画を見ながら
2011,3,11震災の翌年に書いた記事を
思い出しました。
あれから6年後の日本は
震災からは7年ですが、
6歳も歳を重ねた自分も含め
どうなったでしょうか?
まぁ、あの宗教がいいとか、
この宗教がダメとかではなく、
誰にでも、
たとえ神や仏でなくとも
何か信仰が大切なのは
言うまでもありません。
仏教も現代語訳すると檀家の
2012.07.20 Friday
一部抜粋〜
グローバルに見える国々の方が
よほどプリミティブであり
実は日本の方が表層的に
自分のルーツに対しての信仰や祈りという
真の教育や軸がなく、よほど
グローバル化してしまっている危険がある。
欧米の個人主義をまねて個人主義とは
男性一人、女性一人という単位を
個人であると考えて行動するのは
あまりに短絡的である。
神は男性と女性をその役割から
つくっている、
つまり男性一人は0.5であり、
女性一人も0.5であり
つまり、男女一対で
初めて一人という単位になると
考えるのが自然である。
例えば、映画を見るときに
一緒に座って映画を見るのと
個人主義だからと行って、
離れて映画を見るのとでは
どちらがこの国に
ある掛け算としての
阿吽が生まれるのだろうか。
また美術館で一緒に絵画を見るのと、
別々のルートで絵画を見るのと
はどうだろうか。
欧米の個人主義は、0.5と
0.5はどこまで行っても
0.5と0.5なのである。
掛け算もしなければ、足し算もない。
しかし、その個人主義である
0.5同士を緩やかにつなぐシステムが
欧米にはある。
それが「宗教システム」である。
日曜学校や礼拝により、
この個人主義同士をある方向へと導き
結びつけているのだ。
まとめれば、
欧米の個人主義とは、
信仰とや祈りとともにあって
初めてできる個人主義行動である。
ちゃんとそこには、保険が利いている。
つまり、日本に生まれた日本人が
個人主義と言う言い訳や
自己催眠で行動したとしても、
実はその信仰や祈りという
システムが破綻している
日本において成立することはない。
つまり一見憧れてしまっている
西洋のブランドやファッションは、
実は、修道服から生まれた
ココシャネルの服のように
信仰と祈りの結果としての
産物でしかないのだ。
だから上辺を物まねしても、
ハーバードの学歴や肩書きがあっても
いつも自分たちは西洋のペット、
猿にしかなれない。
日本人には、日本の神仏に対しての
信仰や祈りがあるし、
自分のルーツに対しての
祈りの精神はきっとある。
日本の文化を巧みに使った
上納金制度になっていない場所へ
そこにちゃんとフォーカス
していくことにより、
西洋のファッションの物まね、
バービー人形になりたい整形人間ではない
3.11以降の日本人としての
新しい価値感やファッションも
生まれると思う。
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