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きっちり床屋さん。/沼尻真一


いつも通るたびに気になっていた

多治見の床屋さん。


勝手に

ブエノスアイレスの店にしてる。


何もあーだ、こーだ

狙ってデザインしてないのにな〜


いい感じ。


自転車がきっちり窓枠の

ど真ん中に置いてあるから、


きっと

きっちりとした

髪型にできるんだろうな〜


ちなみにブエノスアイレス


沼尻真一









茶道七事式・七転び八起き/沼尻真一


七事式  しちじしき

-日本大百科全書より


茶の湯修練のための式作法。


本来、心技両面の錬成を目的として制定されたもので、七つの式作法からなっている。


江戸中期ともなると、茶の湯も漸次遊芸化してきた。


これを憂慮し将来を案じた表千家7世如心斎(じょしんさい)が、弟の裏千家8世又玄斎一燈(ゆうげんさいいっとう)と相談し、

大徳寺の大竜和尚(おしょう)、

無学和尚の教えを請い、また各方面の意向もいれ、協議を重ねて決定したもの。


七事式の由縁は、中国宋(そう)代の仏書(1125完成)『碧巌録(へきがんろく)』の「七事随身」による。


このうちの廻り炭は炉の季節で、他は無季。風炉(ふろ)は廻り炭のかわりに花寄せがある。


花月 

互換機鋒看子細

 

且座 

是法住法位

 

廻り炭 

端的底看漸


*実際は“漸”の字の下に“耳”がつく漢字で、“にい”と読みます。


廻り花 

色即是空凝思量即背


茶かぶき 

于古于今截断舌頭始可知真味


一二三 

修証即不無染汚不得

 

員茶 

老倒疎慵無事日 

閑眠高臥対青山


と解説されています。


元禄三年1690年が利休居士百回忌頃より、「南方録」の成立などから利休居士回帰現象が強く現れ始めたと

言われています。


確かに元禄時代には、

「茶道の繁昌〜」茶人藪内竹心が記した書「源流茶話」にも述べられています。


いっぽう


大辞林には

五〜一〇人が一組になって行う

遊戯的な茶の湯の式法。


あの七事式が「遊戯的な?」


と解説されています。


「大勢稽古に会する時、たた一筋に茶をたてる斗ばかりにては、その座しめり過て、

あるいはしまらず、世上の雑談などにまぎれはたすこともあれは〜」茶話抄


つまり茶道人口が激増していたこの時代、

利休居士回帰の精神主義が強調されつつも、


あわせて茶道における求道性の緩和、

遊興性の復活がはかられたと

云われています。


楽しくなければお茶じゃないって

感じでしょうか。



「七事式」をとっても、


江戸時代からすでに、


お茶は求道なのか?


遊興なのか?


は意見が分かれる所だったようです。


だから七事式は、

求道やねんって言われても、


実は正解でもあり〜


誤解でもあります。


しかし、現代では


あの複雑さと、各種道具の扱いを学べる点、

正座の長さは、確かに求道そのものです。


沼尻真一


 ・沼尻真一の茶道や茶の湯に関する記事

https://profile.ameba.jp/ameba/chazenichimi


























多治見の桜並木は、ぽっぽやから/沼尻真一

 

多治見でもやっと桜が咲きました。

 

さくらの由来には

数多く説がありますが、

 

穀霊(サ)の宿る坐(クラ)説が一番

好きです。

 

この歩道は元々は線路で、

鉄道が廃止されてから、こんな

綺麗な歩道になったそうです。

 

昔はこんな感じで

 

今はこんな感じに

 

 

 

京都も鴨川沿いの桜も綺麗でしたが、

多治見の元線路の桜も川沿いで、

車は無く、人も少なくいいですね。

 

歩いて5分ぐらいの場所ですが、

多治見では一番好きな場所です。

 

筑波では、谷田部航空隊があった

飛行場橋を渡った農林省の桜が

好きですね。

 

なぜか自分の好きな桜は

元線路や元飛行場、京都の植物園もGHQの

名残で北山が綺麗だし。


 

そういえば、横浜山手の

元競馬場も桜が綺麗だったな。

 

桜はとても華やかな花なので、観光目的に

これでもかって具合に植えられている

桜を見ると萎えますね。

 

周辺の間と関係してるのでしょうが。

 

 

結局自分の好きな桜の場所は、

全て何らかの遺構ばかりでした。

 

薄桜 兵どもが夢の跡

 

沼尻真一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


端午の節句と菖蒲湯加減/沼尻真一

 

 

鯉のぼりも最近はあまり

見かけなくなりましたが、

悠然と泳ぐ姿を見た時には

やっぱり壮観ですね。

 

最近はこれでもかって具合に、

鯉のぼりも、雛人形も飾りますが

何段飾りや、何匹は業者の思惑ですね。

 

冷泉家の雛人形も御内裏様と御雛様のみ

ですから、鯉のぼりもありますね数が。

 

自分も子供の頃に鯉のぼりを立てて

もらった記憶があります。

 

やがて

 

そんな記憶もとっくに薄れた頃に、

 

子供の頃に罰として

閉じ込められた築120年ぐらいの

蔵の二階に上がって

押し入れの戸を開けた時には、

あの鯉のぼりの大きな目玉が出てきて、

本当にびっくりしました❗

 

デカイ❗

 

畑には葉菖蒲が植わっていて、

大正生まれの ばあちゃんがわざわざ

菖蒲湯をしてくれるんですが、

鼻が溶けるぐらい強烈で

子供の頃は、見つからないように

風呂の外に出してました。

 

 

いずれにしろ、

子供の頃の記憶

幼児体験はちゃんとあるもので、

 

世の中、暦を重んじる

稀有なおばあちゃん達は

少なくなってきているので、

歳時記にまつわるこんな習慣を今は

若いご両親が担っていくのだと思います。

 

春めいた上巳の節句も終わり、

桜が咲いたら

すぐに「端午の節句」ですね。


なぜ「端午たんご」

と言われているのか?

意外に知られていません。


中国漢の時代以降の暦として
月を十二支で表記し

11月ー子(冬至を含む月を子とする)
12月ー丑
 1月ー寅
  ↓
 5月ー午

つまり午うま

 

五月は午の月であり


その午月の端の日

 

つまり端とは、なんと(はじまり)を
意味して最初の午の日を

 

端午としました。

その後、

 

やはり 3月3日、7月7日、9月9日と

同じように

 

午の重なる
5月5日が端午の節句となりました。

 

夏至前の時期、

疾病予防や邪気を祓う
ために蓬や菖蒲などの薬草を摘む
習慣が中国から日本へ渡り、

鎌倉時代以降は菖蒲が尚武と
同じ読みから、男の子の成長を
願う節句へと発展したという事です。

 

 

沼尻真一



 ・沼尻真一の茶道や茶の湯に関する記事

https://profile.ameba.jp/ameba/chazenichimi