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京都の茶事・ナゾナゾの主菓子/茶道・茶の湯 沼尻真一

 

主菓子を何にしようかと
考えるのがデザインするようで
楽しいです。

 

形や色、素材、趣向とのバランス

などなど。

 

自分の場合はいつも
京菓子司

聚光の高家さんに相談しています。

 

今回は

 

 

「葛だけど一度食べると、
   違う食感が楽しめる葛」

 

そんな?

 

ナゾナゾのような

 

無茶な提案をして、
高家さんを惑わして
新しい葛のお菓子を創って頂きました。

 

 

木地の重箱を用いて涼しげに

 

 

 

聚光さんにお願いしている理由は、

 

高家さんの抜群の察知能力と、

アートに対する際立った感性に

共感できるからです。


そして

 

一番大切な

 

菓子屋のご主人と、茶事の亭主が
様々な意見を出し合いながら

菓子を作れるという所です。

 

 

〈以前のいい加減な回想シーン〉

 

 

葛や言うても、

葛がどないなもんか

見たこともない人が

大勢いますさかい。

 

こんなに大きいんですか!

 

赤ちゃんぐらいありますわな

 

寒天か

 

本葛か

 

わからんで

 

葛や言うてもあきまへんな。

 

陶芸を生業にしている自分にとっても

作っている人間以上の知識など

皆無に等しいと思うから

職人に話を聞くのは本当に

学ぶ事ばかり。

 

 


何度もお願いしているうちに、
色や形の好みなんかも

分かってもらえてきてる気が?

しています。

 

 

京都にはそれこそ!

 

どえらい菓子司が沢山あります。

 

そこがTOKYOと違います!

 

だって年越し新年に

和菓子食べはるし

 

そんな中から新しい菓子を

一緒に作り上げられる
お店と出会えたら、
菓子作りはもっと楽しくなると思います。

 

因みに聚光さんは

 

当代 楽吉左衛門氏の
茶会のお菓子を作られている事でも
よく知られています。

 

 

因みにどえらい京菓子司の一つといえば

和菓子の作り方を指導いただいた、

末富の山口富蔵先生も

重鎮として知られています。

 

山口先生からは

作り方以外にも

 

菓子・砂糖の歴史から、

今と昔の作り方の違い、

本物の素材と代用素材の違いなど、 

 

本物を見て味わう眼を

教えて頂きました。

 

きんとん6月〜9月

こなしは5月〜9月まで

熱が入らないから基本作らない

 

東京では、こなしは練りきりと呼ばれ

餅が主体となる。

 

京都の和菓子はざっくり感が大切。

 

東京の和菓子は写実的すぎる。

 

京都では、練りきりは

 

いも餡(自然薯)真っ白で

 

澄んだ白となる。

 

しかし、固くなりやすいから、餡を入れて

 

少し柔らかくなる。

 

きんとんは、全てが餡である。

 

さらに

京菓子司のバイブルとして

川端道喜のご主人が書かれた

『和菓子の京都』岩波新書

という本をお勧め頂きました。

 

御所に葩餅を納めていた歴史から、

裏千家11代玄々斎宗匠から伝わる初釜の

主菓子としての歴史まで記されています。

 

お茶を嗜む方や、

和菓子好きな方にはオススメの一冊です。

 

 

沼尻真一

 

炉開き、亥の子餅、口切の茶事ー沼尻真一

 

 

「ハレとケ」遠野物語:柳田國男 / 沼尻真一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


もう1つの甲子園、もう1つのオリンピック/沼尻真一

残念ながら、甲子園では

茨城 常総学院は準々決勝で

熊本 秀岳館高校に負けてしまいました。

 

しかし、ベスト8は素晴らしい成績です。

 

すでにプロ顔負けのスピードと

パワーの時代に突入し、

あの頃の木内マジックとは、

全く違う時代に突入しました。

 

高校野球といえども

プロ同様の肉体作り、技術習得が

甲子園には必要なように感じました。

 

 

準決勝では、秀岳館は北海高校に負け、

明徳義塾は、作新学院に負けました。

 

この結果にホッとしている方は

意外に多いと思います。

 

何故なら、

 

熊本代表 秀岳館高校には、

熊本の選手は誰もいませんし、

 

高知代表 明徳義塾高校にも

高知の選手がいないからです。

 

だから作新学院や北海高校のように

地元っ子で作られているチームに

やっぱり勝って欲しかったからです。

 

県外から選手を集めてはいけない、

なんてルールは無いとおもうので

問題はありません。

 

しかし、

やはりエスカレートしてくると

 

私立高大会、公立高大会や、

県外者大会、県内者大会などと

いうようにカテゴリー分けが

必要な気がしてしまいます。

 

同じように、

 

一方オリンピックも、

 

ロシアのドーピング問題からはじまり、

卓球さえもラケットのドーピング問題も

あると聞きましたが、

 

ドーピングはその効果が10年も継続し

効果を発揮するものもあるらしく、

 

たとえ参加資格が回復しても

効果が残ってたら、何か違う感じが

してしまいます。

 

ならば

 

ナチュラル オリンピックと

 

サイエンス オリンピックなどに

 

こちらもカテゴリーを分けて

しまう事で、見ているこちらも

スッキリしそうな気がします。

 

 

いずれにしても、スポーツが

大きなビジネスと結びついた事は、

選手の為には大変良かったのですが、

 

より過激に結果を追求するように

なっているようです。

 

だからアマチュアとプロなんて

たてまえ上の境を設けること事態、

お金のもらい方の違いだけで、

もう意味が

無い時代なのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


京都の茶事ー前礼・後礼の本当の意義/茶の湯・茶道 沼尻真一

 

以前、茶事の日取りの決め方

お話しましたが、

それに関連して

 

「前礼・後礼」について

お話したいと思います。

 

 

お茶の世界では

特に「前礼・後礼」が重視されています。

 

何故これほど重視されているのか

最初その意義は

自分にも分かりませんでした。

 

 

「礼に始まり礼に終わる」

儒教思想から受けた、日本文化の

当たり前の感覚からかなと

思っていました。

 

2009武床工舎のdesign work .Numajiri

 

 

しかし、実は正客に事前に日時や客組を

相談するレベルから
正客が同輩なのか、貴人なのかにより
古へにはしきたりがあることを、

『草人木』や『茶道便蒙抄』には書かれています。

 

また前日には正客の家に出向き玄関先にて
挨拶のみで帰る、という前礼が今日でも
約束となっていますが。
後礼も同様です。

 

よほど至近距離でないかぎり、

現実の自分の茶事では

いつも連絡を取り合っている方法で

正客には前礼をしています。

 

 

しかし現代に沿わせるほど

やはり一番大事な事は
なぜこれほど 前礼・後礼が茶事に
重要視されているかという事です?

 

その意義を理解できなくては、まったく

形ばかりになってしまいますので、
その点を何とか要約してみたいと思います。

 

『草人木』には
「御茶下さるべき旨忝(かたじけなき)し」

 

『利休客之次第』には
ちや給わるべきの状うけたる時に〜

 

 

つまり

 

「茶を進ずる」という事も

 

「茶を給わる」という事も

 

古より


己の「一大事であった」ことが、

 

 

茶人の根本概念だと先達より
伝えられています。

 

そう言えば

恩師の一人も、

 

親が死んでも決まっている茶事は

決行するものです!

 

と説いてくれました。

 

ええええ…

 

ともちろん思いましたが

 

 

だから茶事がただの宴会ではないという事を

まだ茶事が解らない初心者にも

伝えたかったのだと思います。


また歴史的にみても織田信長公に

許可をもらわなければ
茶会もできない時代がありましたから
当然なのかもしれません。

 

また、抹茶そのものもとても貴重な時代でした。

 

それに関連した茶壷は、

床へ上げて飾る事のできる格の高い道具であり、
茶入や茶碗でさえ名前の無い時代に、
すでに銘を与えられていたものがあります。


お茶を蓄える壺として、

いかにお茶そのものを尊び、
重点を置いていたかという事も、
理解しておきたい点です。

 

 

先達が伝えるには

 

茶は栄西禅師の喫茶奨励にあり、
『喫茶養生記』の

 

「茶は養生の仙薬なり、延齢の妙術なり」

 


常に茶人はここに立ち返り、

 

 

「お茶を給わる由忝く(かたじけなく)」

 

 

という理念が最も大切な

茶の湯の第一義であると伝えています!

 

 

つまりその理念の中で、

行う行為が「茶事」であり


床に墨跡をかけ、

 

活きた花を入れ、

 

美術的にも相応しい優れた

品々を用いて、

 

よって心入りの振る舞いをするので
あると説いています。

 

 

私の未だ浅い見解ではこれ以上

深く読みきれませんが、

 

これほどの時間とお金をかけて茶事を

すると、だれもが絶対に失敗

したくない、

真剣になりますよね。

 

 

亭主も客もそれに見合った行為、

 

つまり

 

「己の覚悟の表れ」が、


巻紙、前礼、後礼を重んじる
意義なのではないかと私は感じています。

 

 

 

沼尻真一


 ・沼尻真一の茶道や茶の湯に関する記事

https://profile.ameba.jp/ameba/chazenichimi

 

・なぜお茶・抹茶・茶道は点てるというのか?

なぜ一服というのか?/沼尻真一

 

・「ハレとケ」遠野物語:日本民族学の祖 柳田國男 / 沼尻真一

 

・正月茶会・節分茶会・上巳茶会・ワークショップ/沼尻真一


・花びら餅って、

   何の花びらか分かりますか?

 http://numajiri.jugem.jp/?eid=880

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


常総学院 準々決勝進出おめでとう!/沼尻真一

横浜高校を破った

大阪履生社に勝利!

 

8:5位で勝つかなと思って

いましたが、7:4でした!

 

あと3つ勝てば夏2回目の

全国制覇!

 

常総学院頑張ってください!

 

 

沼尻真一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


京都の茶事ー露地のしつらえ/茶の湯、 茶道 沼尻真一

 

 

利休居士は

 

「樫の葉のもみちぬからにちりつもる
       奥山寺の道のさひしさ」
              

               西行法師

 

 

掃き清められ露を打たれた露地の風情には、
言葉では表現できない清清しさを覚えます。

 

露地の立派さ大きさではなく、
その姿に、亭主の気概が眼に見えるから
だと思います。

 

修行僧と共に掃除をする

 

 

仏教では「露地百午」という語があり、


「清浄無垢の境界、法身無相の端的をいう」

 

とあります。

 

目に映る自然のありのままの姿を通じて、

まず心の清浄を呼び覚ませ、
悟道の妙覚を意識によみがえらせるものと

先達より伝えられています。

 

 

以前、桐蔭席での茶事の前日準備で

露地の掃除をした際に


あーやっと綺麗になったと喜んで、

さっさと箒を片付けて
終いにしようと思った矢先、


業躰先生に

屋根の上、雨樋の中の掃除を指摘され
確認してみると大量の落ち葉というか、

 

もう、
腐葉土になりそうなのが出てきた事が、
今でもとても印象に残っています。

 

後は、突き上げ窓の中にも、
露地から沢山の落ち葉が
入っているのです。

お忘れなく。

 

 

沼尻真一

 

 

Index

*無なんてどこにもない/沼尻真一