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茶事 ・京都 四時牢落 /沼尻真一

 
四時牢落

春夏秋冬

四季も残すところ、冬となる。
あっという間に
一年も終わりに近づいている。





炭手前が楽しみになる時期でもある。


沼尻真一
















































































茶道文化検定と茶の湯のちがい/沼尻真一


大学時代に猛勉強し12%合格の
国家資格を取得してから、受験というものには縁がなく、
また金にもならない、履歴書にもかけないような
全国に流行している
〇〇検定なんかにはまったく興味がなかった。

しかし今回、茶道文化検定を受けなくては
いけない状況で受けた。

流儀に片寄らない検定を目指している内容は
茶の湯の広範囲な歴史上からして、大変な
苦労があると思う。

実際にテキストも簡潔にまとめられていて、
広範囲な茶道文化を学ぶには一つの
学びやすい形になっていると思った。

しかし、実体や実践が伴わない机上の知識
になりがちな部分と、点前手続きが伴なう事が
さらに理解するためには必要な部分がある難しさを
感じた。

流儀に片寄らないために、茶業や花、懐石、菓子などに
大きなセンテンスを割愛しなくてはいけない所などは
京都産業界への貢献はするとしても、
中庸重視が逆に専門的な問題や
実践に即した問題や知識を期待している人に
とってはなにか違和感を感じると思う。

自分も含めせっかく勉強するんだから、
茶の実践にばかり使いたいと思うからだろう。

いずれにしろ、日本中の安直な検定の流行に
茶道があてはまるかどうか?

茶道はあてはまり、茶の湯はあてはまらない
のかも知れない。

全国的に大々的にやってしまうとやはり、
教外別伝不立文字との兼ね合いなども感じてしまう。

茶道検定に限らず、全国にある〇〇検定が、
将来も続いているのだろうか。

沼尻真一

















茶の湯のカネ割りー「易経」「南方録」/沼尻真一

 
千利休大居士は一人になって道具を置き合わせられたという。
終生このカネ割りを疎かにしなかったのであると、
弟子の南坊宗啓は「南方録」に伝えている。
 
カネ割とは一定の長さを等分割して生じる分割線
そのものをさして言う。

台子なら天板と地板の横の長さ、畳なら短辺の
内両畳縁をのぞいた、残りの部分の長さを
等分割して生じた分割線のことである。

「易経」には茶事を行う場ー茶室はもともと
天地陰陽を和合した空間、即ち一つの
小宇宙として創られた場に座して、
主客ともに「仙薬」の茶を喫する事は
まさに「天地人合一」なのである。
宇宙と人事の変化を相対する陰・陽
の消長によって示されている。

 
「易経」に示している宇宙大自然の最高の
理想の境涯は天と地の和の中に人がいることである。
天地の和とは、即ち陰陽の調和のことである。

なぜ、茶室の台子や畳目にまで三陽四陰の
七つカネや五陽六陰の十一カネなど道具を細部に
置かれる場所まで、決められてきた歴史が
あるのかと思う時に、私は茶室が小宇宙空間
としての法則の場であるという事を踏まえ
考えてみた。

地球の公転軌道面である黄道面に月の公転
軌道面は5.1度傾いて軌道し、それが月の位相や
地球の潮汐が、太陽と月の相対的な位置関係に
よって変化していること。

また水、金、地、火、木、土、天、海、明の太陽系の
八つの惑星が同じ平面を同じ方向に公転している
という宇宙の原理とまったく同じ理念を、
茶室の中に具現化し、茶の湯を行う者に
まさに現世において万物が呼応しながら昇華されている様を、
生きながらにして曼荼羅の世界を体験させるべく
創られた法なのではないかと考えている。

してこれら道具の置き合わせの位置などは、
あくまで我々の「降魔成道」のプロローグに過ぎず、
究極のカネ割りとは、心のカネであり、
己自身の強さや弱さに真摯に向き合う姿、
また新たな明日へと挑もうおうとする姿にこそ
実は真のカネ割りの姿があるのだと私は考えている。
 
沼尻真一

 ・沼尻真一の茶道や茶の湯に関する記事

https://profile.ameba.jp/ameba/chazenichimi