土の中から存分に噴出した雑味が化粧を飛び越え
いえる雰囲気に仕上がる。
灰から見直され
「しとっと黄瀬戸」が完成された。
加藤唐九郎の分類が単に定着しただけだから
自分の好きなように、思えばいいと思う。
黄瀬戸の釉薬の溶けるゾーンは微妙な
ところだから、桃山の本歌がどこといっても
本歌さえも色々ある。
自分の産土神が稲荷なので
黄瀬戸で、伏見稲荷の初午大祭に向けて
油揚も狐の作品も作ってみたいと思う。
そして今 疑問に思う事は、
半泥子、魯山人、唐九郎、豊蔵、青山などの
時代に活躍したような
やきものに眼を持った現代人がいるかどうか。
小難しい陶芸家がしか分からない
焼き物の知識を言っているのではなく、
茶人も学者も、作る人間の知識には
到底及ばないから
発言は最低限にしたほうが無難である。
単に本歌を映したコピーが必要ではない時代。
あるいは生活様式から畳や床の間が激減し
無くなっている時代に、求められる焼き物が
西洋陶磁器で十分であり、盆暮れ正月の
神事や仏事だけの時だけ、必要な和の陶器
つまり 9割は西洋陶磁器で暮らしていける時代でもある。
つまりこれら産地の焼物が生き残るための
寄り代に柳や柳田國男や宮本常吉の
日本土着ノスタルジーに
寄りかかっていても、ネット通販サイトで軽く
上澄みを掬いとられて怒涛の郷土性破壊が
行われている時代に、そんなマチュピチュの
センチメンタル性を持って、買いに来る人は
よほど珍しい人になってきているだろうと思う。
逆に言えば、知らせようとしなくていいし
自分がマチュピチュになる事が大切なのかも
知れない。
・東京 作陶展
丸善 日本橋店
開催日時:2014年12月03日(水)09:30 〜
2014年12月09日(火)17:00
日本橋店 3階ギャラリー
2014年12月3日(水)〜12月9日(火)
9:30〜20:30 (※最終日は17時閉場)