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「衆人愛敬」祖父と祖母を忘れない − 沼尻真一



祖母はまさに、私たち一族みんなの母のような存在でした。

戦争写真.jpg



大正時代に生まれ、沼尻家へ嫁ぎ


特に戦時中は、陸軍へ出征している祖父に代わって


空襲警報が鳴る中でも、蓑を着て田畑を耕し家を守りました。



戦後は沼尻運送、そして政治活動をする祖父を支えながら


たくさんの孫やひ孫まで、しっかりと育ててくれました。





その人生を振り返ってみると、どんなに逆境の時であっても


決してあきらめない「勇気と根性」があったと思います。



私たちの世代がそれを学び、


そしてまた新しい世代へと、受け継ぐ使命があると思っています。



祖父母.jpg



いつまでも

ありがとうございます


沼尻真一


















































Franz Liszt - Liebestraum - Love Dream

 



Franz Liszt - Liebestraum - Love Dream

































Sergei Rachmaninoff plays his Piano Concerto No. 2

 





Sergei Rachmaninoff plays his Piano Concerto No. 2






























「男の条件」曽野綾子×櫻井よしこ

  
櫻井よしこ S
今の男性は鍛え方が全然足りない。
 
中略
 
ハワイ大学に行っていた時に本当にお金がなくて
アメリカ人の家庭に一年ほど住み込みで働いた事があるんです。
クエーカー教の家庭で、本当に粗食でした。
日本風にいうと一汁二菜くらい。お肉もほんのひと切れずつなんですが
その小さなお肉をお父さまがうやうやしく銀のフォークとナイフで
皆にきりわけるのです。家長意識を強く感じました。
 
曽野綾子 A
よくイスラエルに行くんですけど。
ユダヤ教は金曜日はシャパット、安息日なんです。
お父さんが上座に座ってパンを割くんです。
オレが稼いできたパンをお前たちに食わせてやるという感じで。
父というのはこういうものだと思いました。
 
家長は尊敬されてしかるべき存在ですし、
威厳を示していいと思うのですが。
そういうものを否定してきたのが戦後の日本ですし、教育ですよ。
 
中略
 
道楽っていいですよ。さらに酔狂となると、命を賭ける。
「酔」で「狂」ですからね。泉鏡花の「滝の白糸」の舞台を
観たんですけど、水谷八重子さんが水芸専門の女芸人を
演じて、東京帝国大学法学部の貧乏学生を好きになって、
月謝を出してやる。そのお金が原因で殺人を犯すことになって、
女は裁かれるわけね。
 
裁判長が最後に「水芸の女がなんで大金をだしたんだ」と聞くと、
水谷さんがカッコイイ後ろ姿を見せて、「だから言ったじゃありませんか。
私の酔狂だったんですよ」というの。
 
出典:「男の条件」曽野綾子×櫻井よしこ 小学館
 
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曽野さんと櫻井さんの対談だが、
全文はあまりにも的確すぎて現代女性からは
性差別と批判されそうなので一部とどめるが、
この二人の才女の男の見方が女性から、逆に批判される
世の中というのが、現代日本の教育。























萩焼・三輪壽雪・三輪休雪「破格の創造」/沼尻真一



三輪休雪先生

エロス(愛)とタナトス(死)をテーマに創作する。

フロイト、ギリシア神話をモティーフに
生と死の衝動は一体であるというフロイトの言葉

人間シリーズは若いときの心境
未知なる女性への憧れ

龍神伝説の女性はフィクションであり、
イマジネイション。

卑弥呼シリーズでは、日本人として一番ぴったり来る女性。
本の形は文化の象徴であり、栄華と崩壊そして
女性の恥部は新たな生命誕生を予感暗示させる。

龍神伝説は2004年から10年 17シーンあり、
龍神が自分である。

生を受け、愛を知り、愛欲との葛藤そして反乱を起こし
最後は仏に救いの手を求める

中国から空海の持ち帰った五鈷杵が本来の武器から
自分の身を守るものとして、
すなわち愛欲と戒律です。

花園という作品はドラクロワの作品に影響をされました。

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父が一番してくれた事は、一言も作品に対して
何も言わなかったことです。


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三輪壽雪先生から学んだことは? 

父からは、作品に向かう姿勢を学んだだけで
何も教わりませんでした。

私は昔のものをなぞるのは嫌です。

すでに価値が定まっているものには興味がない。
その当時に最高のものはもうできているんですから、
新しいものを作ったほうがいいんです。

お茶も大いに現代を楽しむ茶をやるべきです。
私の花活けなんかを使えば、官能の茶になりますよ。

能や歌舞伎は「伝承芸術」ですから、親から子へ
手ほどきが必要なんです。

しかし、やきものは「創作芸術」ですから、
過去の伝統と同じものではなく、その当時の
もっとも革新的なものが伝統なのですから、
現在の時代のもっとも革新的なものが、
伝統になるはずです。

質問:では楽家などは、同じものを作っているように
見えますが、どのように考えればよいでしょうか?

一見して同じように見えるかもしれませんが、
創意工夫をされていると思います。

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最後に私から皆さんへお伝えしたいことは


1、人間というものは人生の中に様々な逆境が生まれますが、
逆境でも潰されないように、人間一心不乱にやることです。
人間がうちこむ姿が一番尊いし美しいのです。
とにかく命がけでやることです。


2、世界の中心は外にあるのではなく、自分の心の中に
  あるということです。心の持ちようで変わることができます。
    
    ※萩市内の事も良く分かりません。

3、芸術家は自家発電して、ものをつくれる体制を整えるべきです。


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茶碗の世界では一楽二萩三唐津などと云われ、
それが正論のようになっているが、

「能や歌舞伎が伝承芸術に対して、やきものが創作芸術であり
過去の伝統と同じものではなく、当時もっとも革新的な
ものが伝統なのであるから、現代もっとも革新的なものが
伝統になる。」

という言葉が、やはり日本のやきものには
2つの美がパラレルしていると思う。

1、日本という国が定めた日本伝統工芸の美と価値
2、各流派の宗家が決めた美あるいはゾーンの価値

このどちらが良い悪いではなく、どちらにも接点があり
そこはスパイラルになっている。

この1,2が大きく違う点は、未来へ目指すべき美の価値が
違うことは明らかである。

1,2は本来ひとつだった時代が日本にはある。
それが、分かれ美と価値も分かれた。

茶を嗜む人も、陶磁器を趣味に持つ数奇者も、
求める際にこの作家がどのゾーンのどの美の価値なのかを
知ることが難しい、どれが良くて、どれが悪いのか
まったく分からない時代になっている。

1、は主にギャラリーやデパートが扱う
2、は主に茶道具屋が扱う

ここが日本乱世の醍醐味となるだろう。


沼尻真一



























TCHAIKOVSKY - Symphony no.6 (Pathétique)

 







椿胤 − 沼尻真一 


椿胤(ちんいん) 




鬼に隠れてしゃがんだ陰で、

真っ赤な血潮を、苔の上に噴出しながら立っていた。

そこで椿という樹に初めて遭った。






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村の鎮守には境内がなかったから
いつも子供たちは、村中の屋敷の庭で
鬼ごっこや缶けり、かくれんぼをして遊んでいた。

どの家も農家だから、大きな庭に無造作にいろんな巨樹が
生えていた。

だから、隠れる場所は決まってそんな大木の陰で、
木に寄り添いながら息を殺して隠れていると、
いつの間にか遠くを気にしていたはずのピントが
自分にもどっていた。

スーッと田の風が透き通って
竹林の葉をざわざわと揺らすと、
なんだか一人おいてけぼりのようで
怖くなって、わざと鬼に捕まるようなことも度々あった。


椿の花からつくった「椿胤」という語は
誰でも子供の頃に経験したそんな意味をこめたい。

沼尻真一