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We celebrated the eve of Independence Day.

 



粉引きイメージ2012のコピー3.jpg

        +Photo & Ceramic & Graphic :Shinichi Numajiri+


We celebrated the eve of Independence Day.

MINO CERAMICS NOW 2012
Museum of Modern Ceramic Art Gifu
exhibitor :Shinichi Numajiri
2012.9.1-2012.11.11


















JUGEMテーマ:アート・デザイン


















同性の師の存在ありて − 沼尻真一

 
 
男性と女性の役割が違うように
どんなに男女平等な社会になったと言われても
やはり男性には男性の世界が
女性には女性の世界があることは確かだ。
 
そこでは先達の経験を重ねた
尊敬できる同性の師、メンターを見つけることが
何よりも肝要なのだと思う。

同性の師とネットで検索しても、同性愛や同性婚等の
役に立たない説明ばかりで、日本国内に
同性の師を持たなければならいことに、先達の方の意見が
見受けられないのは、いささか残念という感がある。
だから日本が腐っているのだろうし、
男女平等といっても性別として役割が違ううえでの
平等というものだろう。


同性の師と言っても
どこかのとんでもない有名人である必要は無く、
それが自分の両親であればベストであり
女性が自分を産んだ母親を尊敬できる状態は
一番身近な女性としてベストだろうし、
男性は母娘と同じように父親と兄弟のような
または友人のような関係になることは少ないので、
外に師を持つことも多いと思う。
無理に家中にいなければ、外に持つということにして。

これら同性の師を持つことは
学校や仕事それ以外の場所で探す、自分から
意図的に求める必要があるのは確かだ。
人生80年にしても、何も求めなければただ100円のファーストフードでも
毎日食って生きていけるような時代なのだから、
確かにただ会社に行って帰ってきて
なんとなく80年はあっという間に生きてはいける。

しかし師がいるのといないのとでは
まったく別の次元と世界を生きることができるのは確かだろう。
それには自分がどんなに自画自賛できる優秀な
人間であったとしても兜を脱ぎ頭をたれるだけの
門下生としての覚悟と志が必要である。
異性の師ではまったく意味がなく師になり得ない。

ゆえに自分の生き方や考え方は
その師からの影響が大いにあるし運命が変わるといっても
過言でないだろう。
顔から火が出るような悔しい言葉であったり、
自分が胡坐をかいて座っている状態だったりした時に
その師の働く姿や、またはアドバイスによって
自分が見ていたフィールドとはまったく違う
もっと大きくて広いフィールドが開けている事を
諭された経験は枚挙に暇がない。
 
この同性の師から教えを請うことも
教えを頂くことも結局は自分の素直な心や志次第だと思う。
 
先日も70代の方が90代の師から
いまだに教えを請うという現実を見れば
この師から厳しい言葉や自分の人生の軌道修正を
してもらえなくなった時に、それが10代だろうが
50代だろうが人は年齢や肩書きや地位に関係なく
自分の人格の成長が
止まった時なのだと思う。
 
それは依存よりもむしろ自立のために必要なことなのだ。



沼尻真一
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Overture to Egmont - Opus 84 / Ludwig van Beethoven

 
 


Overture to Egmont - Opus 84 / Ludwig van Beethoven



















1812 Overture - Tchaikovsky 序曲

 
 

1812 Overture - Tchaikovsky 序曲



















「ヴァージニア」 コッポラの終焉

 
 
キリスト教と牧師と子供と吸血鬼というお決まりの
マンネリ化されたアメリカ映画の素材で、
神秘性やオカルト性を描かれてもまったくつまらない最低な作品。
 
意味ありげで実は意味がない宗教宣伝なんて
キリスト教でなくとも、仏教でも、イスラムでも救える余地がないほど
日本はとっくのとうに突き抜けて、日本は歯止めのないロリコン地獄に
陥っている。1985年に今とまったく同じ世界を秋元康氏がつくりあげ、
夢中になった人々と渦中の人間の25年後の結果と人生模様と
容姿がどうなったかはまったく誰もが知っているので
この先25年後がどうなるかも結果は見えている。
 
ヒッチコックのシリアスさを出したい+キョンシーの方が肌きれいだし可愛い
+20年前のパリコレのビジュアル写真でも
見せられているようなビジュアルやメイクファッション、美術は
コッポラももうこんなロートルになったのかとつくづく感じた。
いっそエドガーランポーに阿部サダヲでも出してくれたほうがリアルでは。
 
スクリーンよりも日本や世界で起きている現実の出来事が勝っていて
脚本の非日常性はまったく感じられない。
アメリカ映画はヒーローか、ピクサーアニメしか上映する価値がないと思う。
 
コッポラがいくら巨匠でも、やっぱりアメリカ人がニュアンスを
出すことは難しい。
森の描き方はまだハリーポッターの森の方が綺麗だし、
メイクはキョンシーの方が良いし、女の子はケイト・モスの
若い時の方が綺麗。
 
 
しかし普段本音を言っているのに

コッポラというビッグネームが作れば、それは必ずいい作品で
必ずなにか 意味があるというビッグネーム礼賛という講評は信憑性が乏しい。
 
古き良き時代にスクリーンで何かを学んだり、感じたりした時代が
あったが、80年代に比べれば世紀末的に
リアルに映画以上の出来事が起きてしまった
今という時代になっては、もはや必然性はなく
逆に人々のノスタルジーという記憶と心の中に新しい今や未来を
加える脚本の方を映像として見たいと自分は感じる。








JUGEMテーマ:映画










 
 
 
 
 

青磁求道者の守破離 − 陶芸 若尾誠先生 粉青瓷 /陶棲 沼尻真一

 
 
日本における青磁への取り組みは、第二次大戦後にはじまった。
北宋汝窯の青瓷、南宋官窯の青瓷、南宋龍泉窯の青瓷と
指標はさまざまだが、特にその表現が難しく
究極の青瓷と言われるのが、皇帝のためにつくられた
南宋官窯青瓷、修内司、郊檀下の官窯と言われている。


宮内庁所蔵 若尾誠先生 粉青瓷

特に1950年代以降に宋代の青瓷に挑みながら、
独自の青瓷をつくったのは、加藤唐九郎氏の長男
岡部嶺男氏であることはやきものの世界では有名だ。
中国で粉青と呼ばれる青瓷釉を再現し「嶺男青瓷」とまで
よばれる独自の青瓷の世界を展開した。
 
若尾誠先生は美濃焼きの代々の窯元の家に生まれ、
身近な環境で「嶺男青瓷」を見たことで
青瓷の研究制作に取り組まれるきっかけになったとお聞きした。
若尾利貞先生に師事した後は
中国の南宋官窯、龍泉窯の視察
台湾故宮博物院視察などを経て
現在の若尾先生独自の粉青瓷が完成している。






青瓷はなにより釉層が厚いという事を知っていたが
若尾先生に、ロクロ引きし成形した素地から
釉薬が掛かり焼成後の重さを比較させてもらったが
驚くほどの重さの違いが出る。




つまり、いかに素地を薄くつくり釉薬掛けに持って
行くのかが大事なポイントである。
それと同時に、釉層のコントロールも
素地が薄ければ、一度に大量に付着しないため
釉薬を重ねがけする難しさも教えてくれた。
 
また釉層が厚ければ、それだけ
釉薬の流れのコントロールが難しくなる。
特に、若尾誠先生の粉青瓷は赤土で作られているために
難易度はさらにあがる。
それは赤土は耐火性が低いこと、つまり焼成のゆがみが
出やすいこと、そして赤土が釉薬と反応することで
白系の土よりも釉薬の融点が下がる傾向にあること。




自分も粉引をしているので、先生ほどではないが
赤土の難しさをわずかながら体験している。
 
不純物を多く含んだ赤土は、鉄粉や様々な金属やガスが
焼成中あるいは釉薬の上に飛び出してくることで
ピンホール、釉のげ、釉めくれなど
ありとあらゆる問題が焼成とともに噴出してくる。
それをいかに焼成前に計算しつくっていかなければ
ならないかを説明していただいた。

青瓷はつまり、釉層、素地の成形など
焼成前の段階の計算されたコントロールが大方の
鍵をにぎっているといえる。
特にこのような中国陶を指標とするやきものの中でも
薄くしなやかな破綻のない精度が求められる
青瓷は、完品をつくるのが本当に難しいと思う。
 
若尾先生も言っていたが、一つ一つの作品を管理しながら
進めなくてはいけないので、一度に大量に作ることは
まずできないこと、一窯焼いてもそれが全て駄目になることもあるという。
これを磁器土で行えば
赤土の問題の多くがクリアされるが、
それでは色の深みや柔らかさ、そして何よりエッジの黒くしまった
優雅なラインがなくなってしまう。
故に若尾先生は赤土の土づくりから、制作が始まっていた。




約800年前の官窯青瓷の陶片を先生に見せていただいた。
茶碗ぐらいの大きさのものだろうが、素地は1mmぐらいしか
ない、まさに紙のような青瓷だった。
そして素地1mmに対して釉薬が3mmも4mmもある。



・約800年前の南宋官窯の青瓷陶片


また別の青瓷は口縁部分の丸みを
素地を直角にして置くことで、その上に釉薬をのせ
釉薬の厚みによって丸くつくられていた。




若尾誠先生のように陶のルーツを求め行動し、
自分のオリジナルの造形を作られていく
守破離とは青瓷を志す者にとっての定石なのだろう。









JUGEMテーマ:アート・デザイン


















 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

茶道 武者小路千家 千宗屋氏と美濃焼へうげもの茶碗/茶道・現代アート・茶碗 − 沼尻真一

 
唐物茶碗から和物茶碗へ移る歴史は
唐物の天目茶碗の写しから始まりました。
 
愛知県瀬戸市の瀬戸窯が鎌倉時代後期から室町時代
初期頃に茶陶の生産を始めたのを起点として、
桃山時代には日本でしか生まれない、独自の茶碗が
焼かれるようになります。
 
それが美濃焼の瀬戸黒茶碗、楽茶碗に見られる
天目形を脱した「半筒形」の茶碗でした。
 
和物茶碗最大の特徴となる半筒形がどのように生まれたかは
判然としませんが、16世紀から17世紀初頭にかけてをピークとして
美濃焼の黄瀬戸、瀬戸黒、志野、織部と楽焼という和物茶碗が
盛んに作られ、茶人の間で大いに用いられたのです。
 
それは必ずしも関白秀吉や武将たちの上流階級ばかりでなく、
特別富裕でない一般の町衆たちにも支えられた美意識だったはずです。
 
初期の美濃の陶工たちが、茶の湯の規範や茶人のディレクションとは
関係なく、時代意識と呼ぶしかないものを背景に作り出した茶碗には、
雄渾で自由な造形意識が横溢しています。
 
その規範を超えた自由さにこそ、桃山の茶人たちは魅了されたのでしょう。
 
■武者小路千家 千宗屋氏 

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抹茶茶碗の聖地である美濃なのに、
なぜか、千家の茶道と美濃の抹茶茶碗が
あいまみれないのかを疑問に思い、
先日下記のように自分なりの体験から述べましたが、
 
 
上記の千宗屋さんの話を見ると、大方同じように
見られていると感じました。

しかし、この美濃抹茶茶碗と千家茶道の関係の疑問を
特に説明してくれた方はいませんでしたが、
美濃の陶工の先生方を見ていてその気概から
読み取れたというのは、やはりこの場所に
日本のやきもののルネッサンスを起こした場所として
根底に流れている誇りがあるからなのだろうと思います。
 
また今も、平成の茶人を魅了できる現代の茶碗が
茶人、陶工との見立ての中でセレンディピティ
生まれていけばと思います。

※茶の湯は常に現代であるはずなのに
  いつから古典に限るになってしまったのか、
  古いものと新しいものを同居させていくのが
  本来の推進力のような気がします。


沼尻真一





























 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

大阪法善寺横町「本湖月」料理人 杉浦君と人間国宝 加藤孝造先生弟子 加藤三英先生個展



 
 
福井出身の杉浦君はもう15年、この大阪の名店
ミシュラン2つ星を獲得している「本湖月」で修行をしている。
魯山人の器はもちろん漆器まで、貴重な骨董から現代作家までの
器を日本で一番多く蒐集し、使っている料理店としても有名だ。
 
指導のもと、包丁一本飲む打つ買うの料理人ではなく、
休日も煎茶道の稽古や英会話、そして直接やきものの産地を
めぐり、器の作り手の思いを受け
料理に活かす努力をしている若い料理人だ。
 
杉浦君の実家も料理屋を営み
加藤三英先生も代々の窯元の家である。
僕は、こうしたある生業の血を受け継いだ志あるもの同士の
出会いがコラボレーションすることで
今後の日本のささやかな変化になっていくのだろうと
思っていたので、実現できてよかった。

特に器が料理界に流通するしくみを見ると
陶器商や骨董店から→料理店という流れが多く
どうしても、やきもの=薪窯焼成最高級=高額
という流れや、
大正、昭和初期の潜在的なやきもの数奇趣味
青山二郎さんや、白州正子さん、魯山人
あるいは柳宗悦氏の民芸運動の健康的な美という
それだけの固定観念の呪縛から
買う側もそれを見るお客さんもなかなか
懐古趣味既視感から抜け出せず、ある価値や価格が定まったもの
だけが高価であるとか、どこかで見たことがあるような
あるいは完璧な古典の写しを求めてしまう傾向にあるのが、
そういう選択肢だけになるのは実にもったいないように感じるし
狭い領域と流通経路内の選択になると思う。

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・大阪 高島屋 加藤三英先生個展

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売るほうとしては、もちろん何らかの拠り所が必要なのだろうが
やきものは何処でいいものが突然焼けるか
わからないのものだから、その拠り所を紹介する
ギャラリーに頼るだけでなく実際に作家に足を運んで
自分で発掘してみるとまったく作品が違ってみえると思う。

その発掘する楽しみ、つまり醍醐味が唯一日本に残されているのが、
骨董めぐりだけでなく、日本の工芸もっと言えば
産地、産地のやきものや、漆器等なのだと思う。
そしてまた作り手の生き様も興味深いと思う。
価値を自分の眼で見出す、見立てる面白さの方が
人に決められた価値よりも面白い。
陶芸家というと火サスのイメージと思う人もいるかもしれないが
ちゃんと電話でアポをとれば快く作品を現場で見せてくれる。


唐津の中里隆先生と小山富士夫先生の
花ノ木窯で出会ったときに、
「先生唐津は歴史があっていいですね」と言うと
美濃の方が断然歴史があるよ。
唐津は途中途絶えちゃってそれを復興したんだから
と言われて、あらためて、太くなったり、細くなったりしながらも
脈々と続いてきた美濃のやきものづくりには関心した事を思い出したし、
一楽二萩三唐津も、一井戸二楽三唐津も
日本六古窯を命名した小山先生も自らその著書で
述べているように、ある便宜上まとめる必要があったと記してある。
このような価値感が流通する上での売る側の商品の付加価値と
それを鵜呑みに審美せずに買ってしまうという
歴史が日本の産地のやきものにあるのは歪めない事実だろう。

しかし時代はとうに進んで実際
国立近代美術館工芸課を頂点とした括りの
日本の伝統工芸は、もっと現代美術に近い現代工芸に
なってきているので、おそらく普通にやきものというイメージよりは
もっとアヴァンギャルドで現代美術に近い感じを受けるだろう。

しかし一般の人が求めるやきもののイメージは、
むしろ伝統工芸というよりも伝統芸能的な
側面が強く、歌舞伎の中村屋だったらこういう演目でこういう配役だろうとか、
同じように、師匠がだれで、志野なのか織部なのか黄瀬戸なのか
という具合で、どちらかといえばお茶道具の陶芸もこの家系、系譜に
価値を置く傾向があると思う。

しかし、この2つは一見違うように見えるけれども
両方にまたがっている作り手も数多くいるので、
魯山人の写しを作ってもらっても、恐らく写しきれないし、
それを有難いと思わないように、どのポジションにいても
その作り手にしかできない芸術的な自己表現が、作品に求められている
という背景を知っていることが価値を判断する上で
大切なのだと思う。

この辺りは明確な線引きができるわけではないので、
抽象的だが、それを知ろうとする料理人の杉浦君は、
白州正子著「器つれづれ」を持って来たが
帰りには現場を見て目から鱗が落ちていたと思う。

そのぐらい工芸は特に美濃はへうげものの織部魂ではないが
革新しているし5年後、10年後を見据え
現代の粋、現代の数寄の見立て、
骨董と現代工芸の取り合わせ
まだ価値の定まっていない新しい作家の発掘のように
もっともっとアグレッシブに清新な風が
器を見立てる料理人にも求めれてくるのだと思う。
 
日本料理は、イタリアンやフレンチよりも
長い板場の修行そして、店舗の数寄な室礼
最高の素材と美しい器という、食の総合芸術であり、
一番ハードルが高いが、一番利益が出し難いという
特徴を持っている。
 
杉浦君は「炊き立てのご飯か、そうでないご飯か判る。
世界でも一番繊細な食の感性を持っている
日本人の食を、自分たちの世代やこれからの若い世代の人に
伝えていきたい」という使命を持って日本料理に取り組んでいると言った。
ちょうど、9月5日(水)から加藤三英先生が、
本湖月のそばの大阪高島屋で個展を
されるタイミングともあい、橋本徹大阪市長ではないが、
くいだおれの町大阪から、
食も政治も日本が熱くなって行きそうだ。
 


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■加藤三英先生個展
 
人間国宝 加藤孝造先生に師事
 
・9月5日(水)〜9月11日(火)
・高島屋大阪店6Fギャラリー
 午前10時〜午後8時まで
・TEL06−6631−1101

 
 

 ・沼尻真一の茶道や茶の湯に関する記事

https://profile.ameba.jp/ameba/chazenichimi

 
 
 


JUGEMテーマ:アート・デザイン





 

英霊の御霊を弔う終戦記念日 8・15

 
 
●中国の行動
【北京・工藤哲】中国外務省の傅瑩次官は15日夜、
丹羽宇一郎駐中国大使を呼び、沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)に
上陸した香港の民間団体の活動家ら14人が沖縄県警に逮捕されたことに
厳重な申し入れをし、即時かつ無条件の釈放を求めた。

傅次官は丹羽大使に「中国は釣魚島と付属の島の主権を有する」との
立場を改めて表明したうえで、日本側の対応について「違法な拘束だ」と述べた。
傅次官は山口壮副外相にも電話をかけ、同様の申し入れをした。


結果は17日中国の主張通り、無条件釈放 強制送還


●韓国の行動
【ソウル=黒田勝弘】韓国の李明博大統領は10日、
日本の強い反発にもかかわらず島根県・竹島(韓国名・独島)への訪問を強行した。
 
【ソウル=加藤達也】11日ロンドン五輪のサッカー男子3位決定戦、
日本−韓国の試合後に韓国の朴鍾佑選手が竹島(韓国名・独島)領有を
主張するメッセージを掲げた
 
韓国紙、ソウル新聞は13日付早版で、韓国慶尚北道が、
日韓が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)に
李明博大統領直筆のハングルで「独島」「大韓民国」と書いた石碑を設置し、
朝鮮半島の植民地支配からの解放を祝う15日の
「光復節」に除幕式を行うと報じた。(共同)
 
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8月15日「英霊の御霊を弔う終戦記念日」に、
日本という国が韓国人、中国人の一民間人や政府に
意図的に屈辱的な行動をされ、
軍事的行動や国内問題に発展しない、
日本という国の平和痴呆具合も末期的症状だと思う。
 
8・15正午にサイレンが鳴り、黙祷を実行している
市町村もちゃんとある日本なのに残念。
日本のサッカー男子が負けたとしても、同じように
竹島は日本の領土だ!とメッセージを掲げる選手がいても
いいだろうし、バレーボール女子が掲げても良いだろう。
 
靖国神社に総理大臣が参拝しなくなっても、
何も変わらない、中国と韓国。
 
それは天皇がたとえ訪韓・訪中し謝罪しても、
同じ事を繰り返す国民だろう。

 
日本大衆はスリムに大きく整形した韓国アイドルに熱狂し、
日本企業は中国に活路を見出す
そこここの市長村議員、県会議員、国会議員含め
発言と行動を本来の生業としている職業政治家も
原発問題、中国問題、韓国問題に対してだけは
自分の首が絞まることを恐れて
明確な姿勢を示さず逃避しながら見栄をはる。

しかし、そんなアイドルに夢中の方も
そんな金儲けや、贈収賄や利権に夢中の政治家も
会社も
祖先を思い起こせば、戦時中は子供から大人まで
日本という国のために
あるいは国ではなく、日本に住む
家族のために戦った祖先や犠牲になられた
祖先がいると思います。
 
確かに戦い、あるいは犠牲になったこれら
自分たちの祖先の意思と歴史を敬った所で
今の私たちの金もご飯も快楽も得られませんし、
確かにそんな祖先と今の自分は
ちゃんと血はつながっているけども、
直接話を聞いたこともないし、顔も写真も見たことも無いし、
親から話を聞いたこともないからリアリティないし
今の自分には関係ないからという理由で
国土が侵されたり、日本の一番神聖な日を冒涜されるという
矛盾まで抱え込めるほど、
ハイブリッド国民になれたのでしょうか。

もし日本人がこれまで欧米に数多くの留学経験者などが増加し
その経験者を中心とし日本もインターナショナルになったと言われるなら
それはナショナリズムを主張することを学んだはずであり、
衝突をさけて逃避するという処世術を
学ぶのであれば、海外留学の必要性もないと思います。

しかし現実は生で体験した日本の海外留学経験者が叫ぶ
ナショナリズムを聞いたことが
この時代になっても無いのは、
とてもおかしいし、やはり遊学にしかなっていないのだろう。

中国や韓国では逆に欧米留学経験者が先頭を切って
ナショナリズムを主張しています。

やはり日本という国が、自分たちの国というよりも
アメリカの一つの州か、どこかの親戚の国ぐらいに思っておく方が、
冷静にこの日本合衆国または日本合県国を見れるのかもしれません。
 
発達障害・適応障害の日本人が悪質な新興宗教に取り込まれるまえに、
もうそろそろ、自分の国として誇りをもてる、満足感のある
日本から独立した都道府県あるいは市町村が出てきて
そこに移住できるという
ナショナリズムをもった人間たちが
選べる選択肢が出てきても悪くないと思います。




中国に遅れること4日。
やっと尖閣諸島に上陸してくれた同志

時事通信 8月20日(月)0時5分配信

 沖縄県の尖閣諸島(石垣市)の魚釣島に上陸した日本人10人のうち、
茨城県取手市の小嶋吉浩市議(51)と東京都荒川区の
小坂英二区議(39)らが19日夜、石垣市で記者会見した。
いずれも、「尖閣諸島を中国に渡してはならない」と強調した。
 小嶋市議は「地方議員であるけど、(中国人活動家らの
魚釣島不法上陸事件を)許せない国民の一人として参加した。
あえて上陸することで、日本人の志を示した」と述べた。
 その上で、「何も行動しなかったら、尖閣諸島について
誤ったメッセージを世界に発信してしまう恐れがある」と指摘し、
中国人活動家らの不法上陸事件をめぐる日本政府の対応に、
強い不満をにじませた。
 小坂区議も、「尖閣諸島は日本の領土であるという
当たり前のことを言い続け、実効支配をきちっと強化すべきだ」と訴えた。 



次は韓国に実行支配されている竹島に日本人が
いつ日の丸を掲げられるかが勝負だ。



















































































 
 
 
 
 
 
 

以信得入 / 美濃焼の陶祖十四代 加藤康景先生 急逝

 
 
車の事故で8月13日に急逝された。
48歳の若さだった。

自分のルーツを踏まえ、ものづくりを行い
そして後身を引き上げる兄貴肌の先生だった。
 
誰にでもライバルが必要だから、いつでも遊びに来て
うちの弟子にも刺激になるからと言ってくれた。
 
静かに一人抹茶茶碗を挽いている先生の姿を
忘れる事はできない。
 
訪れる客に対しての凛とした振る舞いと、佇まいこそ
陶を求道する者の手本としたい。



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土岐の陶芸家衝突死 加藤正治さん、長野で
2012年08月14日12:41 岐阜新聞

13日午後4時半ごろ、長野県平谷村の国道418号で土岐市泉町久尻の6、
陶芸家加藤正治さん(48)の乗用車が道路案内標識の柱に衝突し、
加藤さんが腹部を強く打つなどして死亡した。
乗用車は道路右側の標識に衝突した。雨が降っており、路面がぬれていた。

美濃陶祖14代、03年に庄六賞 加藤さん

加藤さんは、美濃陶祖加藤景延の血筋をくみ、
2001年に14代を継承し「康景(やすかげ)」の名で活動していた。
多治見工業高校出身で、備前焼で知られる人間国宝の故山本陶秀に師事。
名古屋芸術大学彫刻科を卒業後、2003年に「志野茶わん」で
美濃陶芸協会の庄六賞を受賞した。

加藤さんが所属していた美濃陶芸協会の
林恭助会長は「突然の訃報に驚いています。
陶祖継承後も、美濃陶芸発展に尽くしておられた。大変残念。」

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●葬儀告別式
2012年8月16日 午後1時より
土岐市斎苑美しが峰
所在 土岐市肥田町浅野1100番地の1
電話 TEL0572−55−3342


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SHINICHI NUMAJIRI INDEX



・日本的モダニズムを作るには


・京都 桂離宮の見所


・「ハレとケ」遠野物語・柳田國男から「ハレと欠け」まで

・legend of 311  誰もが生きるという意義!