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愛知トリエンナーレ 納屋橋会場・草間弥生ファニチャー

JUGEMテーマ:アート・デザイン

暗いお化け屋敷に、1960年代
ウォーホールを真似した
つまらない映像の垂れ流し、または
嫌がらせの音と光が蔓延していた。

ネガティブで暗い表現をすれば、
神秘的で高尚に見えると思っていそうだが、
まったく面白くなかった。

現代美術がいつからノスタルジックな
オタク文化と同じになってしまったのだろう。

草間弥生のソファで休むぐらいが
納屋橋会場はいいだろう。

アートで元気を失くしちゃ意味が無い。




















カブトの門

JUGEMテーマ:アート・デザイン

植物や動物を育てるなんて、
こんな時代にとても必要な暇なのだと思う。

それはどんなに慈しんだものでも
あっけなく何も言わずにだまって消えて
なくなるからだろう。

カブトが死んでも、トマトが枯れても
やっぱり何かしでかした自分と出会う。

野菜を育て食してみれば
あんなにも小さな種から
育った大きな実を食わせてもらえることは
とってもありがたいし、
やっぱりそれは命を戴くのだろうと
それは凡人でも感じた。

習い事は何でも結構なことだが、
稽古場だけで上手くできて、品よく見える事と、
その人間の品格とはまったく別物
それが私生活、もっと言えば自分の心や思想とはまったく
乖離して無関係に行動しているのはどういう事だろう。

どんなに金と時間があっても品と感じないのは
俗に擦れた心を自覚して
なんとかするしかないのだろうか。

高額な金をかけて高尚な教育を受けたり、
偉い先生や高名な和尚さんに習い
諭されればなんとかなるんじゃなくて、結局
どこでもいつでも、なんでも構わず
何かを感じて心に気づければ
新しい門の外に違う世界が
あることに気づくのだろう。





























あの頃、ヒグラシがないていた

JUGEMテーマ:アート・デザイン


急に追いついたような影を見ながら
夕方畑から祖母と一緒に帰ってくるときには
よくヒグラシが鳴いていた。

祖母も小さい頃からよくヒグラシの声を聞いていて、
その声を聞くとお父さんやお母さんが
恋しくて寂しくなったと、小学生の自分に言っていた。
あの頃の僕にはそれが良く分からなかった。

誰もが晩夏のヒグラシで思い出すのは
きっと大切なひとではなかろうか。



































作られたのではなく、生まれたもの

JUGEMテーマ:アート・デザイン
 
何ものも永久にとは建てられない地震国で、
自然と不規則、鋭厳、簡潔とが支配する岩の庭の、
厳しい完璧さの平常素直な佇まいに、
このつつましい美しさが認められるのである。

                             *
意図的でないどうしようもなくつくられた形は
単なる偶然ではなく、意思があってそこに
生まれたものだろう。

結局手前の生き様から生まれたものだけが、
他の心をも動かすことになるのだ。

生き様はスーッと、今の自分へと線が引かれている
どんなに今を繕ったところで、その線を
切ることは一生できないし、消すこともできない。

最終学歴がどうだこうだとそんな履歴書はクズだし、
それが生きることだと思っているのは余りに貧しい
むしろ自分の生き様年表が納得して
書けるかどうかそれだけだろう。





















































伝統と伝承 − 沼尻真一

JUGEMテーマ:アート・デザイン


それは特徴が何も無いのが都の伝統だという。

次に新しいものを作り出していくという流れが
そうだ。

一方、そのままを職人の技術を受け継いでいくことを
生業としている 伝承 という領域があるという。

つまり、伝統と伝承の二つが存在している。

やはり伝統はすでにここにあり、そこにあるようだ。

伝承者、伝統者その二つに別れた考え方は

とても興味深い。





















産地の出口はどこにある

JUGEMテーマ:アート・デザイン


 
あの成功事例はこうだ、この成功事例はこうだと
いくら一見高名なデザインコンサルタントと言われる
人間の話を聞いても、これじゃ産地の人間は丸呑みで
益々?さ迷う結果は眼に見えている。
と思ってその講義を聴いてみた。
 
流行を後追いしながら、それに関係する商品を
無理無理コラボレーションといいながら、作り出す。
 
そんな商品やブランド化なんてフレーズは
死語に等しい最悪のものだ。
しかし、地方ほどまだまだこんな言葉遊びで
世の中に報われるなんて幻想を描いている。
 
それでも、行政から頼まれたらむりくりでも
形にしてしまうのが、行政がらみの
デザインコンサルという分野だ。
軽薄短小、大量生産時代から、ヒューマン文化へと
価値観が変化したと言いながら、それでも
大量に売ることを第一に考えている。
 
中国から毎日50万件の商標や特許に関する
調査が日本へかかっている。
日本の有名なものの名前はそのほとんどが
中国企業に登録されてしまっているのは
周知のとおりだ。
だからといって、そのあおりで急いで商標登録
するなんて具の骨頂だ。
相手がそうなら、また名前を変化させれば良い。
著作権なんて、中小企業にはまだまだ秘策はある。
 
聴講していたある女性が、いつまでたっても
本題に入らずに自分の思い込みの成功事例に
酔いしれている、講師についに質問をした。
 
「もうすでに日本中のどの家庭でも
この類似商品を持っている状態の市場で
ではこの○○という産地はどのように
していけばいいのでしょうか?」
 
その答えは、結局 むりくりコラボーレーション
することをその講師は薦めていた。
 
このやり取りを大事な時間を潰して
聞いた時には、頭の中で僕はこんな回答をしていた。
 
じゃそういう産地、産地だって言ってる
あなたのお宅では、ちゃんとその商品を
素敵に使っているんでしょうね?
 
あなたが素敵に使っているんであれば
もちろん大丈夫、何も高額の金を払って
何か変な会社にSPを
頼むなんてしなくていいんですよ。
 
その姿を伝えるだけで、みんなが
欲しくなるんですから。
やることはただそれだけです。