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陸の旅人 − 沼尻真一

JUGEMテーマ:アート・デザイン



一人で旅をする時間は
なかなか無くなってきている。

飛行機も車も良いが、汽車はまた一人旅には
時間の進み方も、空間も
そして景色との距離感も
もってこいなのだと思う。

そんなこんなで、
大都市をすりぬけて、だんだんと清流が見え
桜が見え
そして山が近づいてくる。
山の木は新緑よりももっと手前の新黄のようだ。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた」

川端康成の『雪国』ではないが、やはりそこに
トンネルというものがなければ、
その先はこの既視感のある大都市が続きそうで
おもしろくないように感じてきた。

もちろんトンネルは深い山あいに鉄道や車を通すために
掘られている。
簡単にいえば、ある種その山あいが
国境あるいは万里の長城のごとく街を閉ざすことで、
その中に限られた空間ができ、そこに独自の文化が発達したり、
あるいは不便という事で
何かが守られたりするものなのだと思う。

だから汽車でも車でもトンネルを抜けた先の
街がどんな街なのか最近はそれにとても興味がある。
そんな場所に古くから続いているような
ものづくりがあれば、旅はいっそう面白くなるだろう。

つくばのような関東平野にはトンネルといえば、
長城のような高速道路の下のトンネルぐらいのものだが、
これはこれでもある意味をなすのだと思う。

あるいは田んぼや川や大通りや、
そんなものが、境になっていて、あっちとこっちが
違ったりする。
あるいは発達したり、守られたり。

畑の中のちょっとジャンプすれば飛び越えられそうな
お堀でも、そこに伐採した竹を数本ならべて
橋らしきものを作ってみれば、
いつの間にか、人や動物が歩きだす。
文化もなにかこんな些細なきっかけなのだろう。

トンネルがあればさらに楽しみもますが、
陸の孤島を発見するのも
旅人たちにはおつなものではなかろうか。


沼尻真一




































残された日本の自然だけがつくり出せるものがある。

JUGEMテーマ:アート・デザイン
 


「残された日本の自然だけがつくり出せるものがある」


食品にしても、工芸品にしてもそのどれもが
やはり何らかの形で、自然の恩恵を受けています。

まして伝統的に続いているようなものであれば、
その場所の気候や風土から自然派生的に生まれた
手工業となっています。

だから、あちらでこれが流行っているから、自分の所も
取り入れようというのは、慎重になるべきものだと感じます。

無理をしなくても、
「素直なかたち」がきっと見つかるように思います。


沼尻真一






















京都に住むアメリカ人の視点からの学び − 沼尻真一

JUGEMテーマ:アート・デザイン
 

残念ながら京都という町は病気です。
京都に移ってまもなく、その「病気」に気が付きました。

友人に「京都の堕落はいつから始まったのでしょう?」と
聞くと、彼らは「大体江戸初期からだ」と答えるではありませんか!

それから京都はずっと江戸に対して深い嫉妬心を抱き、
明治になって首都が東京に移った時から京都は
自己嫌悪に陥ってしまったのではないかと思います。

京都は京都が嫌いなのです。

京都市民は京都は「東京」ではないという事実に耐えられません。
なるべく東京に近づこうとしていますが、それでも京都は
東京に追いつかない、という情けない気持ちになっています。

              *

この話や文体はアメリカ人特有のものかと思いますが、
実際に日本学に精通した京都に住んだアメリカ人の
とってもストレートな表現と意見なので気になり
取り上げました。

逆に京都の方からは、何千年という歴史から見れば、
天皇さんはちょっと東京に出張にいっているようなものだと
聞いたことがあります。

地方から見れば、東京も京都も違った魅力のある場所ですが、
やはり一番であったというプライドが
様々な気持ちを産むものだと感じます。

つくば市内でも東西南北の地質が違い適した野菜も違う
ぐらいですから、まして関東、関西という遠距離で
気候も風土も違う場所で、同じところをせめぎ合う必要が
ないといういうことでしょう。

京都に相応しい、東京に相応しい最適な
進む場所があるのと同じように、人間ひとりひとりにも
最適な道や場所があると思います。

    ・自然×OO+自意識 = 進む道

    ・自然×OO+無意識 = 回り道

それは生まれ育った場所や環境もあれば、縁もあれば、
環境もあれば、努力もあれば、運もあれば
といったところで最後は意識を持って定まって
くるのではないでしょうか。


              *

人間を宇宙、世界の中心におき、人間の「理性」によって全存在を分類し、
意味づけるといった人為的作為的な科学の生き方の方向をとるのではななく、
日本的美意識とは人間をも含めて、すべてをあるがまま、
なるままの全体的自然として置くことである。

本来一体となっている自然にわざわざ裂け目を入れる
小さな人間のなまじの知性や理性を排除し、
全存在の中へ人間及び自分自身を溶け込ませてゆくことによって、
美的法悦の境地に達することができる「あはれ」の感覚


              *

沼尻真一















叩音人 − 沼尻真一

JUGEMテーマ:アート・デザイン
 

「わかるなんてやさしいことだ。むずかしいのはすることだ。
やってみせてごらん。美しいものを作ってみな。
できねぇだろう。この馬鹿野郎」 

そういいながら、傍らのコップを指先で叩いてみせる。

「ほら、コップでもピンと音がするだろう。叩けば音が
出るものが、文章なんだ。人間だって同じことだ。
音がしないような奴を、俺は信用せん」

            *

批評や評論をするのでさえも、それは知識がなければ
難しいこともかもしれないが、まして
つくるとなれば、こちら側から向こう側になるようなもので
その難しさも想像できる。

しかし、批評や評論できるということは、ある次元の世界を
分かっていることなのだろうから、そこに技術などの
力量を備え、具現化することで美しいものができる
可能性もあるだろう。

あるいは、技術を習得しながら同時に
学び広げ、頭ん中でもがき苦しみながら
美しいものも、そして批評もできるようになる事もできるだろう。

批評する側と作る側が別々になるのではなく
作る側が批評してみる事の方がよほど面白い。

叩けば音のする人になりたいものだ。

沼尻真一
































陰翳礼賛は鈴虫/谷崎潤一郎 − 沼尻真一

JUGEMテーマ:アート・デザイン
 


だが、いったいこう云う風に暗がりの中に美を求める傾向が、
東洋人にのみ強いのは何故であろうか。

西洋にも電気や瓦斯(ガス)や
石油のなかった時代があったのであろうが、寡聞な私は、
彼等に蔭を喜ぶ性癖があることを知らない。

昔から日本のお化けは脚がないが、西洋のお化けは脚がある代りに
全身が透きとおっていると云う。そんな些細な一事でも分るように、
われわれの空想には常に漆黒の闇があるが、彼等は幽霊をさえ
ガラスのように明るくする。
その他日用のあらゆる工藝品において、われわれの好む色が
闇の堆積したものなら、彼等の好むのは太陽光線の重なり合った色である。


案ずるにわれわれ東洋人は己れの置かれた境遇の中に満足を求め、
現状に甘んじようとする風があるので、暗いと云うことに不平を感ぜず、
それは仕方のないものとあきらめてしまい、光線が乏しいなら乏しいなりに、
却ってその闇に沈潜し、その中に自(おのずか)らなる美を発見する。

然るに進取的な西洋人は、常により良き状態を願って已(や)まない。
蝋燭(ろうそく)からランプに、ランプから瓦斯燈に、瓦斯燈から電燈にと、
絶えず明るさを求めて行き、僅かな蔭をも払い除けようと苦心をする。


昭和8年 谷崎潤一郎が「陰翳礼賛」(いんえいらいさん)より


              *

曾祖母の家は屋敷森に囲まれた藁葺き屋根で
土間があって、天井の梁は真っ黒に煤けていて
途方もなく高かった。

サッシはもちろんなくて、さっきまで天井の梁の上で
ねずみを追いかけていた三毛猫が、夕方になると
障子戸の一隅からスッと帰ってきた。

鶏小屋の隣に独立して建っている、離れの風呂場から
腰の曲がった曾祖母が杖をつきながら
風呂上り着物をきて居間に帰ってきた姿を
今でもよく覚えている。

あまりに暗くて怖いので、結局一度も
曾祖母の寝床には
行ったことがなかった。

身近で一番古い日本家屋の思い出だが、
家なのに外の自然と同じように住む人を寄せ付けない迫力が
昔ながらの日本家屋にはあるのかもしれない。

初秋、土間の暗闇の中から聞こえた
スズムシの音色の美しさは今でも忘れられない。

沼尻真一