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地下で生きる。東京丸の内 − 沼尻真一

JUGEMテーマ:小説/詩


丸の内といえばオフィス街、しかし最近は三菱地所の
奮闘もあって、商業施設が増えだいぶイメージが変わってきています。

地上に見えない人影が実は地下の中に存在していました。



ちょうどいま、日本の玄関のひとつ東京駅の赤レンガの修復をしていますが、
東京駅を降りて見れば、八重洲側も、丸の内側も
人影の無い近代ビルで地下がお披露目では、
なんだかとっても寂しい都市となってきました。 


















数寄者 − 沼尻真一

JUGEMテーマ:小説/詩


 
何かに挑んでいるという事と、好きだから何かをしている
という事は、つまりは一緒の意味。

勤勉さが誠実さのように囚われている側からみれば
好きだから何かをしている事は、遊びにしか見えないだろうが、
いやいやこれが、好きなものを続ける事ほど
勤勉なものはないのでは。

潔く挑む、好きだから続けられる、
そんな姿を見ているだけで
こちら側も、単純に「やりますか」という気になってくる。

そんな人と出会うのは楽しい、
ましてそれが恩師の姿であれば格別だ。


沼尻真一
















本はつまらない?− 沼尻真一

JUGEMテーマ:小説/詩
 
絵や写真のよさというものが分かりますか。
僕は全然わからないです。

最近縁があり、たいそう洒落たインテリアに仕立てた
書店に行ったんですが、もちろん美術コーナーも
洗練された雰囲気です。

そんな場所を見回っているうちに、自分も全然良さが分かっていないん
だろうと、本の洪水の中であらためて感じました。
結局は、有名だから価値があるだろうということしか
当てがないんですね。
そんな頭の束縛から解放されたいですね。

本屋に行って僕がまず最初にやることは、
なかなか手を出さない事です。
ポケットに手をいれたままです。

書店によっては一度も本に触れないで、
出てくることもよくあります。

本に触らない方がいいと思っているんです。
理由は感じたいからなんでしょうね。
タイトルや表紙の装丁なんかと対話しながら
自分の中でこみ上げるものが出てくるまで。

でもって、こみ上げて来た奴がいたら
手にとってあげます。上から目線で。

そして中をペラペラと。

美しくないですね。文字組みが。汚い。

だから本ってどんなに煽っても
読まれなくなるんですよね。当然だろうなと
思います。

ネットは駄目で、本を神様のように
信奉している方々もたくさんいますけど、
もっと本に文句を言ってもいいと思うんですね。
つまらないって。

太宰さんや漱石さんがもちろん悪いのではなく、
本のつくり型が単に面白くないんです。
だから雑誌は読むけど、本は読まないなんて人の
気持ちも良くわかります。
ネットの光RGBの方が綺麗ですもんね。

本の装丁はいわば広告みたいなものだから
編集者も売り上げに影響するからとても進んでいるけど
中身の文字組みなどのデザインは相当遅れていると思います。

僕も小さいころに、祖母からお経を読まされましたけど
難しい本を読む事は修行だって言われている意味が
良く分かります。
まだお経の方が、蛇腹な形でおもしろいかもしれません。

さらには辞書の方が面白かったら、残念ですね。

図書の流通の問題や、文庫本といえばこのサイズ、
書籍だったら200ページは無理してもつくろう。そして
価格はこれくらい。印税は何%って。

この辺りの定石は出版界ではもう完全にできているのですが、
いくら文字組みの悪い本を読むのが修行とはいえ、
中の見やすさがこれからは欲しいですね。

と思っていた矢先
タイミングよくマッキントッシュが今日i−padを発表しました。
やっと書籍や雑誌の流通も変わりますね。
紙の本?もだいぶ減るだろうと思います。
アマゾンが作家に印税を70%支払うという話も聞きました。
通常は10%なのです。

デジタル本では文字の大きさを変化させるだけでなく、
ユーザーが文字組みやフォント、行間、字間そして
好きな挿絵や写真まで挿入できるように
してもらえれば、美しい本が完成するかもしれません。
そんな手作りの本をプレゼントすることもできますね。

沼尻真一











































仏の座 − 沼尻真一

JUGEMテーマ:アート・デザイン


暮らしの中で仏に捧げる花ならば、
芸術性を求められることはなかっただろう。
しかしそうした花でさえ、今や「道」となっている。

生活芸術が日常の中に埋没することなく、活きる術それは
自然そのものの再生ではなく、虚構と抽象化のなかではじめて
芸術的な昇華が可能となる。

では虚構と抽象化とは何か。
つまり感じる力そのものでしかない。



                          事務所の明かりはこの電球だけだから夜はとても暗い。
































































ありがとう「デザインの現場」 − 沼尻真一

JUGEMテーマ:アート・デザイン

 

2010/01/26

『デザインの現場』休刊のお知らせ

1984年の創刊より、多くの読者の方々に支えられてきました
『デザインの現場』は、2010年4月号(3月27日発売号)をもちまして、
休刊させていただくことになりました。
今後はウェブや書籍などの他メディアによって、
新たな展開をしていく予定です。
詳細は次号4月号の本誌にてお知らせいたしますので、ぜひご注目ください!




もう10年以上も前に、イラストをはじめて送った時から、
デザインの現場の編集スタッフの方にはとてもお世話になりました。
ここでそっと、ありがとうと伝えたいと思います。
ファンとして、また次の活動を楽しみにしています。

ここにきて、思い入れのある雑誌が次々と姿を消しているのは
とても残念に思うのと同時に、何が出版業界で起きているのかは
わかることができないが、そこに名物編集長・編集者が
たくさんのものを育んだことだけは知っている。



元号が変わるよりも時代が変わった事を僕は実感する。


                              沼尻真一

































drawing1999;shinichi numajiri 






drawing1999;shinichi numajiri 


Taxi Driver
Director:Martin Scorsese
Actors:Robert DeNiro
Jodie Foster























森の影と人影  -  沼尻真一

JUGEMテーマ:アート・デザイン
 


影が美しいのは何もパリの街並みだけではないように感じます。
こんなゆらめく森の影もおもしろい。

影が原像の補完となり、影が無ければ自我も生まれないと言われています。

とかく影とは裏方、暗いとおもわれがちですが、
影の無い明が美しいはずがありません。

画家レンブラントやフェルメールが
それを象徴的に表していると思います。










明るい場所が多くなりました。

いけない場所、見れない場所、うっそうとした森や沼に
もう踏み込めなくなった事は悲劇でしょう。

男は陽、女は陰という東洋哲学が何か言いたそうです。


沼尻41
























粗相・枯淡の美 − 沼尻真一

JUGEMテーマ:小説/詩
 

                     月も雲間の無きは嫌にて候


目に見えるものは、見えないものの為に多く捧げられているのであり、堂祠のみならず、住居や庭園や都市計画にも、それらに込められた祭礼的・精神的・象徴的意味を考えないわけにはいかない。


作り出されてきた様々な美術工芸は、最初は神仏のため、帝のため、やがて公家、将軍、武家などのために、町衆によってつくられてきた。やがて町衆同志が自分たちのもてなしや美しい暮らしのために工芸をつくり合った。
 これらの工芸は、使われる方と客をつなぐためのものであり、ただの物ではない。亭主が客への思いを言葉だけでなくものに託すのである。従って作り手には亭主との連帯した意識が求められるのである。


今日でも地鎮祭となれば、四隅に竹を立て注連縄を張り祭壇を作るなど、極く簡易な架設と所作により、地鎮神を降臨させて祝詞を奏上することができる。なぜなら、神は偏在しているからである。
 そして、この簡易な架設と所作によりいつでも容易に神を臨在させる術こそ、日本のあらゆる伝統空間の構造的特質の源泉といえる。













「風立ちぬ」 堀辰雄/「風立ちぬ自転車」 沼尻真一

 



これが事務所から見える景色です。

ケヤキや桜の森となり、その奥に水場があります。

まだまだ冬で寒いと思っていましたが、
春がもうそこまで来ていると今日実感しました。

「歌会始」は春の知らせでもあるのでしょう。

春に花見ができるのが楽しみです。

ある時は叱り、ある時は励まし
何度も止めたくなりましたが、良い師に出会い
自分でも納得のいく作品が今日は完成しました。


             
            

           風立ちぬ自転車 指切りげんまんは 春の日に

                                      2010年 沼尻真一









「風立ちぬ」堀辰雄







部族としての覚醒 2 −  沼尻真一

JUGEMテーマ:小説/詩
 
部族としての覚醒については、前回も触れましたが、
日本という国の括りもそういう意味では疑問を持っても
良いと思っています。

秀吉や、家康の時でさえ、
日本は本当に統一されているのでしょうか。

国家機能としての日本は統一されている必要性が
あると思いますが、日本中が東京になる必要はないと思います。
しかし、街は東京化を目指してしまう。

それはナショナルチェーンが悪いように言う人も
いますが、それは違うと僕は思います。
そこの民の意識の問題だと思います。
ナショナルチェーン多いに結構です。
必要ならばちゃんと生き残りますから。

どこに行っても、全国の模倣祭りが見られます。
これこそナショナルチェーンよりも、
そこの民の意識を表している問題だと思います。

日本はバラバラでいいと思います。
内向きでいいんだと思います。
もっと地方が、いうならば○○県○○市なんかそんな単位も
どうでもいいんです。

その次の○○という住所が大切なんです。
この単位こそが一番鍵を握っていますし、そこが皆の部族です。

内向きこそが、本質に迫れる唯一の機会だと思います。

平成の大合併で故郷を無くし、己の名前や部族まで無くし、
己が誰だかわからない難民が模倣した祭りを展開していくのは
良くないと僕は思います。

どこにいようが部族の誇りを忘れるべきではありません。

                              沼尻真一