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能・能面師・孫次郎 − 沼尻真一

JUGEMテーマ:アート・デザイン







                     
                                   孫次郎 


奈良時代に中国から伝わった散楽から、日本古来の伝統と
融合して発達した猿楽が鎌倉時代の中頃に、寺社などの行事と
大衆の信仰とが結びつき「能」というものは誕生したようです。

農村の芸能から発達した田楽も能を演じ、田楽と猿楽が
互いに競いあうことで、鎌倉時代末期から室町時代初期に、
能は完成してきたと言われています。

能面については、既に300年以上前には完成され
その後は、名のある面(おもて)の写しを能面師がつくるという
流れで今日にいたっているそうです。

折りしも今日は、その寺社の行事である
大杉神社の秋の大祭、大杉祭が開かれた日でした。

そこで私は、以前能楽師の安田登先生から能について
お話を聞かせて頂いた
事があるという話から、
大杉神社の神楽の面や、能面を彫る秋本玄影さんと
知り合う事ができました。
早速行事が終わってから、秋元さんの工房に立ち寄らせて
いただき、能面の制作方法などについて話を伺うことができました。




特に興味深かった点は、真新しい能面でも
既に長年使い込まれたような古さを表現されていた事です。
室町時代には、電気はもちろんありませんので、
かがり火やろうそくの灯かりで、能は舞われており
そのような光の加減の中で、能面だけが浮かないように、
着物などと調和するよう、仕上げられていたという事です。

大杉神社の節分際には、秋本さんの作られた
神楽の面をつけて、氏子のみなさんが舞われるそうです。

祖父の代から恵比寿の面をつけて舞っているという
氏子の方は、作り手である秋本さんの思いを
感じて舞うと言われてました。

秋本さんの能面も神楽の面も売られていません。
神楽の面は神社に奉納されているとの事です。
そんな潔さが、蔵の中の工房で作られる
能面にも表れていると思いました。

またお嬢さんが、国内で唯一といっていい
桑を育て蚕を育てながら糸を紡ぎ、
機織から着物を作られているという事も
このような環境が影響しているからではないかと感じました。




能面:孫次郎について
金剛孫次郎という、能楽シテ方五流派のひとつ金剛座の大夫が若くして死んだ
妻の面影をしのんで彫り上げたものと言われていて、この作者の名を取って孫次郎と付けられ、
その面の裏にはオモカゲと記されているそうです。








土作り・ヤンマー俺の赤いトラクター − 沼尻真一




大型トラック、車、バイク、船、自転車、耕運機、田植え機、
運転することが大好きですが、
このトラクターは特に好きな乗り物です。

この形やそして自由自在に小回りがきくという点や
ロータリーをおろして、一気に畑を耕してしまう爽快感。

畑でおじさんたちがトラクターを乗っているのを見かけたら
大変だなと思わずに、とっても心地よいんだろうなと
思ってもらって間違いないです。







 それは、宇宙を輪廻する赤い牛である。

















秋の実は星から来たの − つくばハーブ農園



何の実かわからないけど
秋になるとたくさん
何の実か分からないものが
落ちている

それは まだ名も無き星にも見えるし
見たことも無い 生きものにも見える

おいしそうにも 見えるし
まずそうにも 見える

とにかく きみは不思議だね









 


on ne voit bien qu’avec coeur.

心で見ないと ちゃんと見ることはできないんだよ

                                              Le Petit Prince


















花梨・かりんの詩 − つくばハーブ農園


花梨 

かりんとは、とても響きの良い名前がついていると思います。































 

大杉神社・大杉祭・あんばさま・阿波様・市川久仁守 宮司茨城県稲敷市 − 沼尻真一 

JUGEMテーマ:アート・デザイン




大杉神社で毎年開催されている大杉祭に、宮司の市川様の計らいにより
参加させていただくことができました。

大杉神社は、四方を霞ヶ浦や川に囲まれた土地柄から、海運や水の神様として
地元稲敷市はもちろん、海運による恩恵を受けた様々な企業から信仰を集めて
いるようです。





神社のご神木である、巨大な杉は「あんばさま」と呼ばれ
船から見えるランドマークとしての機能を果たしていたと聞きました。

ちょうどこの日は、いまから200年以上も前に焼失してしまった
「麒麟門」再建の上棟式が執り行われました。







四方の神に祈りが唱えられたあと、建前ではつきものの、餅まきを久しぶりに
見ることができました。

四方および中央を示す色に塗られた、五色の餅が麒麟門の上からまかれました。





この写真は神饌です。
これも秋の収穫を神に捧げるものですが、
宮司さんのはからいで特別に拝見させていただくことができました。



海の品、畑の品、米、酒、野鳥、水鳥、川魚、海魚などが
盛り付けられていました。








・大杉神社 茨城県稲敷市 市川久仁守 宮司

神社というと、初詣ぐらいしかなかなか縁の無いなか、
市川宮司さんのはからいにより、今回このような貴重な体験を
することができました。

さらに氏子の方々も、まったくの新参者の私を
とても気さくに受けいれていただきました。
この風土はある意味、海運という船町に由来し、
この地の出身者でない者でも受け入れるという
度量の広さのようなものではないでしょうか。

茨城県内でも都市化され、茨城県民特有の気質が薄れ
殺伐とした空気の流れるような街もある中で、
忘れてはいけないものが、阿波には残っていると
確信しています。

大杉神社の節分祭などで、神楽の舞の役回りを代々受け継がれて
されている阿波の氏子の方とお会いすることができました。
祖父以上の舞を舞うんだという意気込みを聞かせていただきました。

稲作を中心とした農業の発展してきたこの地において、
たくさんの収穫された新米を、代々にわたり奉納されている方と
お会いすることができました。

雅楽の面を一心不乱に彫り、奉納される氏子の方と出会いました。

代々受けつかがれてきた伝統を忠実に守り、育んでいる
大杉神社とその氏子の方々との関係が、いつ訪れても
清々しく感じます。



そして、僕はその中の氏子の方のお一人と
この日運命的な出会いをすることになりました。
















祈る場所はありますか? − 沼尻真一

JUGEMテーマ:小説/詩
 
今日、宗教は音楽、絵画、詩、建築など藝術すべての
「幹」として存在してきました。

ちょうど宗教の精髄が、複雑な神学に在るよりも
無心な信仰に在るのと同じなのです。
信仰史が宗教の正史なのです。

信仰の前に神学は二次なのです。

と柳さんが言われたように、
もはや宗教こそ完成されてからの年月が最も長いアートとして、
茶道などよりも著しく形骸化されていると思います。

しかし、キリストもブッタもいない時代の
われわれの多くの祖先を考えた時に、
星や月、太陽、山や滝、四季のうつろい、自然現象
など身の回りで起こる、さまざまな変化の中に、
人間とは違う存在を認め出してきたのではないでしょうか。

シンプルに考えるとき、
宗教の発生とはこのような
無心の信仰だけだったのだと思います。

しかし、形骸化されたとはいえ宗教が幹となり、
様々な藝術を生み出す原動力となっているのは明らかです。

ではこのような信仰が、ものづくりをする上で
必要であるとするならば
形骸化した宗教しかない、今という時代において私たちの
できることは、

「一人ひとりが、パーソナルな宗教をつくる」ことではないかと思います。

宗教の発生、信仰の発生を見るときに、
私たち一人ひとりが、古のごとく
「信仰」をつくればよいのだと思います。

おおざっぱに言えば、
宗教をなすものにどんなツールがありますでしょうか?

教祖、祭壇、バイブル、お経、仏像、教会、お寺
お線香、ミサ、賛美歌、位牌、仏壇などなど

人々がまだ野山や自然を神として自由に信仰し
そこに、統治も国も、確立されていない時代から
つまり発展途上の場所から、これらのツールにより
統治され、一つの秩序がうまれ政治的にも利用されて
きました。

そんな大それたものに対して、「マイ宗教」では

気に入った写真、自分や友人、先祖、両親、
言葉、音楽、本、品物を本棚の一角や
机の空いたスペースにまとめることで、

祈り、見、喜ぶため、そして信仰するための
マイ祭壇、マイ仏壇をつくり、それを信仰するのです。

でも実は、意識していなくても
部屋の一角やどこかに必ず、何となくそんなスペース
心の拠り所のようなスペースが以外に誰にもあるのです。

私たちの祖先が、神聖だと思った川原や海から
石ころを拾ってきて、洞窟においたように、
ただそのスペースをもっと意識してつくってみても
おもしろいと思うのです。













量産品に生まれる愛着や時間の経過が生む新たな価値について − 沼尻真一

JUGEMテーマ:小説/詩



ユニクロも無印良品も、現代の
とても優れた品物だと思います。

しかしそれらは柳さんの言うような
手仕事の品物ではありません。
むしろまったく逆の品物です。

僕は柳さんの時代に無かった、
現代の新しい美の価値の創造について考えました。

それは、「愛着ある時間の経過」についてです。

たとえ、それが量産品であったとしても、
それを大切に使い続けた結果、
愛着による傷やへたり、よれ、穴ぼこが生まれ
むしろ今まで無口で冷たかった量産品に、
手仕事の品物と同じように、
「温かい温度」や「対話」など、
新たな「美の価値」を作り出すことができるということです。

結論を言えば、現代の量産品であっても、手仕事の品物に
勝るとも劣らない健康的な美を、

「使い手がつくることもできる」という事ではないでしょうか。

古くて壊れたから新しいものを買うのではなく、
それを直しながら、つぎはぎしながら、何とか使っていくという
美しさが、今という時代に生まれた、新たな価値なのだと思います。

子供のころ、祖母にミニカーを買ってもらった当日、
砂場で遊びながら、石をぶつけたり、砂に埋めたりしながら、
ボコボコに仕上げたミニカーがかっこいいと思って帰ってきたら、
祖母にとても怒られたという経験が今よみがえりました。

でも今は、あれはあれでよかったんだと思います。


































瀧藤つくば農園&つくばハーブ農園/さつまいもベニアズマの収穫



























































 

野良井戸を掘る/映画『ジャイアンツ』(Giant)のジェームズ・ディーンのように掘れ − 沼尻真一


これが井戸を掘る機械。

まるで1956年ジェームズ・ディーン、エリザベステイラーが出演した
映画『ジャイアンツ』(Giantのよう、油田を掘り当てるようなイメージ。















 

つくばハーブ農園の夕景


つくばハーブ農園 午後5:27 南西の空