profile
selected entry
categories
links
archives
others

俺の赤いトラクター、耕運機/畑の流儀 − 沼尻真一

 















この耕運機 「畑楽」っていうんだ。

じいちゃんの残した耕運機だから、

もうかれこれ、30年ぐらい経っているんじゃないかな。

農協の人や近所の農家のおじさんに直してもらったり、

エンジンも係り悪いし、真っ直ぐに進まないんだけど

またそこがいいんじゃないかと思っている。

できるだけ長くつかってみたいと思う。

農協の人がエンジンをかけるときの紐があまりに

短くなっていたから、違うやつを置いていってくれたんだ。

農協さん、ありがとうございます。






















蓮 4 −撮影 沼尻真一



























 

蓮 3 − 撮影 沼尻真一



























 
















蓮 2 − 撮影 沼尻真一




















 

蓮 1 − 撮影 沼尻真一




農園の池で育てている蓮を
今日から、連続で「蓮」の花を写真で表現したいと思う。



























































薪割りはかまど炊きのために − 沼尻真一












かまど炊きをするときのために、薪を割る。 



樹齢300年、築200年の日本家屋をどうするのか?− 沼尻真一

 


茨城県の奥の奥にその村はあった。

今までも様々な村をみてきて、
米どころなのか、田に恵まれているのかなどで、その地区ごとの
経済的な豊かさが何となくわかる。

今回訪れたその集落はその昔、米で財をなしたのだろう。
村には、大きな名主らしき日本家屋が立ち並んでいる。

それにあわせて、敷地は約500坪ぐらいがだろうか。
敷地内には樹齢100年を超えるような、ケヤキ、樫などの
大木がザラに生えている。

その中に、一際大きなその家はあった。

築およそ200年近くたっていると思うその家は
樹齢200年〜300年という大木に囲まれた家だった。

門からして、今の家が4軒ぐらいは入ってしまいそうだ。

その荘厳な門をくぐって、母屋にむかう。

門をくぐった瞬間から、お寺や神社のような
霊気をその家は漂わせていた。

門も家も黒く、そして周りは大木。

今まで、全国各地で日本家屋をみてきたけど、
これほど圧倒的なスケールと迫力をもった家を
文化財でも見たことがない。

むしろ文化財とかいう問題を超越していた。
そんな家にこの地元茨城県で
どういう縁か出会った。

問題は、その家が今はまったく使われていないという事。

全体では1000坪ぐらいの敷地なのだろう。
その敷地に別の平屋の家をたてて、
この家の人は、そちらに住んでいた。

おそらく冬の寒さなどでは、とても使いづらいのだろう。
同じ茨城県民で古い家に住んだ経験のある人は
みんな分かる。

文化財などという安っぽい定義や言葉は
使いたくないが、これほどの家や門はもはや立派な
ふるさとの財産だと思う。

この家が、これからも様々な手入れをし、修繕をしながら
いつまでも保たれていく事を願うばかりだが、
果たして、そんな事が可能なのかどうか?

人の持ち物だし、このお宅にも失礼だが、
今でも修繕しているような様子は見られなかった。

このような財産をだまって見送るだけでいいのだろうか?

だからといって、文化財の指定や、古民家レストラン、
金持ちに買ってもらって
古民家移築させればいいってもんじゃないと思う。

せめて入場料を取ったり、映画やドラマの撮影に使わせて金をとって
それを、そこで暮らしてきた思いのある家の方が
修繕にあてていけばいいのにと思う。

時代はエコだのなんだのと言っているが、
NHKでさえ役者だかアイドルかわからない主役を起用した
ドラマの撮影のために、古民家の実物大セットを組み
そしてまた終了後は壊すという繰り返し
こんな古い家がちゃんとあるんだから、そこを借りて
撮影すれば家の保存にも貢献できるんだから、
なぜできないのだろうか?

戦後の財閥解体、農地解放により、このような文化財並みの建物や
場所を維持保存するような、文化に投資してくれるような
地元の金持ちがいなくなってしまったようだ。

まして、第二次大戦の召集令状赤紙がきて甲種合格して軍隊に
入隊することは、お国のために立派な人や家柄だと言われた。

持病があることで、軍人になれない男は
村では駄目な奴として、扱われながらも、
村に男衆がいない状況の中では、あっちの田んぼ、こっちの畑と
手伝ってほしいと懇願され、村ではたいそうな威張った状態だったらしい。

そこに来て、敗戦と同時に小作人への農地解放で
そのまま頼まれていた畑や田んぼをもらってしまい
財をなした家は日本中に数多い。

一方、お国のために戦死し、男衆が帰ってこないばかりか
田畑まで没収された家は、どんな思いだったか分からないはず。

こんな結果は、日本が敗戦しただけでなく、
その家も家柄もすべて敗戦であり、二重の敗戦を抱えている
家が日本の各地にはすくなくない。

こんな家にどんな哲学やアイデンテティが生まれるんだろうか?
大体その頃の人は80〜65歳前後だと思う。
そんな家々の多くが、今まで自民党を支持してきたというのも
分からなくはない。

お盆にいけば必ずといっていいほど、どの家にも
軍服をきた若き日の軍人の遺影がある。
それを見ながらその家にどんな歴史があったかを想像できる。

このお宅も相当の田んぼを小作人に農地解放させられたに違いない。

古民家、古民家というが、結局は金がなくて立て直せなかった
だけなんだよと教えてくれた人もいる。
現実はそんなもんだと思う。

研究学園都市といわれるつくば市の地区に、そんな
築100年以上の建物が残っていないのも、
みんな学園都市の区画整理された土地を売って、
換金し、家を建てたそうだ。

だから古い家が残っていない。

エジプトの文明も、その他の多くの文明も
大木をきることで、文化も一緒に消滅したらしいと
植物学の先生が教えてくれた。

古い日本家屋を壊されれば、大木が次に切られる。
そして分譲される、つくば市の集落によくある光景だ。
日本であれば、そんな古い日本家屋を守って
行くことが、文化を守ることなのだろう。































































夏の終わりの夏野菜/パプリカの栽培 − つくばハーブ農園





夏の終わりの夏野菜たち

今年はパプリカを新たにチャレンジした。

この頃すっかり有名になってきたパプリカ。

ところが、いまだに輸入品が日本マーケットの9割を占める状態で、
国産はごくわずか。
という事で、緑のピーマンが好きな僕でも一応パプリカを作付けしてみた。

早速青い実がなったのだが、
ところが、パプリカはいつまでも赤や黄色になってくれない。

この色になるためには、日照や温度が必要という事が判明した。

つまりパプリカを栽培したければ、ハウスで栽培をしていくことが
早く、美味しくパプリカを育成するコツ。



























みつばちの花粉団子とサルスベリの花 − つくばハーブ農園





今年、つくば市のこの辺りでは、サルスベリの花がよく咲いた。

つくばハーブ農園にもある、サルスベリもご覧のように
例年になく満開だ。

サルも登ろうとすると滑るところから名前のついた木だけど、
僕も小学生ぐらいの時に祖母からこの木の名前を教えてもらった時には
とっても名前がおもしろくてすぐ好きになった。

蜜蜂が花粉団子をいっぱいつけて、サルスベリの花から
花粉を集めている。

1つの花に止まっている時間はわずか2~3秒。

花それぞれの、花粉の量によって、留まる長さは変わると
思うが、花ごとにその長さを比較した研究もありそうだ。

 

密を集めたミツバチは、花粉を採取した後、花粉を後ろの足で
団子状に丸めて足元に付けて持ち帰る。

団子状にする時にミツバチは、自らの体内から分泌される酵素を使って
固め『花粉団子』を作る。

このミツバチが作った花粉団子をビーポーレン(蜂花粉)と言うらしい。

















沖縄ゴーヤ、ニガウリ、レイシの花と実そして、ゴーヤチャンプルーへ − つくばハーブ農園

 














ゴーヤチャンプルーにして早く食べてみたい。