玉ねぎがあんな小さな種からこんなに大きく育つのは、
本当におもしろい。
友人の親父さんも野菜作りが上手いけど、
玉ねぎは時間がかかるし、スーパーであまりに安く大量に
売っているので、つくらないって言ってた。
野菜占いではないけど、野菜は育てる人との相性があると思う。
結局、自分や地質を考えながら、どの野菜が自分の性分とあっているのか
見つけた人が、●●野菜の専業農家になっている気がする。
新玉ねぎはおいしいけど、僕も来年は玉ねぎづくりは卒業しよう。
東京の古本屋で茨城県百年の歴史という本を買った
読み進めていく中で、懐かしい名前が聞こえてきた。
岩上二郎という1959年〜1975年に第2代茨城県知事を勤めた人物だ。
鹿島工業地帯、筑波研究学園都市の開発を行った知事だ。
知事という公職での業績だけでなく、
高度経済成長時代の流れを農民の民意を汲みながら融和させた。
当時の茨城の農家の収入は米で、開発により田畑が接収されることは
死活問題につながる、それを為せたのは、農業の現場や歴史を頭でなく
肌で知りえていたからなのだろうと思う。
当時僕の祖父は農民の一人として、知事に直談判にいきながら
逆に潔い人物の魅力にひきつけられたと聞いた。
その話では、政治家というよりも、むしろ民衆の教育者であり、指導者なのだと思う。
高校の親しい友人が偶然岩上知事の孫で、
本を読んだ後久しぶりに電話で話す機会に恵まれ
何ら変わっていない声を聞いて、懐かしかった。
つくば気象研究所 タワー・鉄塔の今年度解体のニュースを聞いて
僕なりの再利用の提案について、つくば気象研究所 企画室にメールを
してみたが、残念ながら返事をもらえなかった。
ただ良かったのは、ネット上でつくば気象研究所 タワー・鉄塔の
今年度解体のニュースが話題になっていたことだ。
同じような意識の人が少なからずいてよかったと思う。
つくば市は日本国内でもでも珍しく、
国や県や市の機関が一同に介している街だと思う。
僕が子供の頃は、今のつくばの研究所のようにフェンスや警備が
厳重ではなかった。
老若男女だれでも自由に研究所内の森に分け入りキノコをとったり、
通勤通学のために通りぬけたをしていたはずだ。
独立行政法人になったことで、むしろ城の警護は
いっそう固くなっているように見える。
ここは国の土地だから、ここは県の場所だから、
ここは市だからという国境、県境、市境のフェンスを
はずしていくことももっと必要なのではないだろうか。
イギリスなどのように、地域の住民が集まりその地域の
土地利用計画を決め、それを行政が実施するような
まったく日本とは逆の方法もある中で、
日本の一般人が唯一できる方法は、ネット上の発信なのかもしれない。