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転勤/沼尻真一

JUGEMテーマ:日記・一般

今日は、お世話になった方が転勤になるとの事で挨拶に伺った。

仕事をして20年近く経ち、様々な方と出会ってきた。
定年で引退された方から、久しぶりに手紙をもらったり
また、街ですれ違ったりすると元気でいられる様子に、
年はだいぶ先輩ばかりなのだが、
現役の時は結構厳しい事を言われたり、
こちらも駆け出しでプライドだけは高かったので、
何クソと思ってムキになって返したりで
結構やり合った事を思い出しながら嬉しくなったりする。
偶然とは重なるもので今週はそんな日が続いた。

最初はお互い仕事どうしなので、どうしてもちょっと固いけど、
うまが合う方はいるもので、そんな方とは付き合った時間の長さは
まったく関係なく、転勤となるともうしばらくは仕事が一緒に
できなくなるので、同志との別れのような寂しさを感じる。

仕事の上ではあたりまえに利害関係があるが、
それだけの関係ではなく、お互いを知り合い
認め合う事で新しい可能性が生まれると思う。
そんな縁が生まれるのが仕事の面白い部分でもある。
沼尻真一













30年ぶりの駄菓子屋の買い食い/沼尻真一

JUGEMテーマ:日記・一般

今日の昼は30年ぶりに買い食いをしてみた。

ちょうど今日、つくば市の選挙があったので投票所に行った帰りに
その近くの小学生の時、買い食いしていた駄菓子屋に寄ってみた。

車から降りるなり、駄菓子屋のばあちゃんがちょうど軒先にいて
最初はこちらの顔を見て?していたので、自分から名前を名乗ったら
「あ〜全然わかんなくなっちゃったよ」って言いながら
なんとなく僕を思い出してくれたようだった。

ばあちゃんは今年で80歳を超えたとの事で
白髪になったほかは、肌のつやも良くて
粋なしゃべり方も昔のまんまだった。
駄菓子屋の木造の家も、むき出しの梁も、トタン屋根も
みーんなそのまんまでほんとに懐かしかった。

僕が通っていたのは、ちょうど小学校2年〜6年。
いつもこの家は、人懐っこい犬を飼っていて、僕らの時代は
耳の垂れた真っ白な巻き毛のおばあちゃん犬と、
その子供の白黒ぶちの犬だった。

当時は今のようにペットブームじゃないので、どこの家も
犬を飼う余裕なんかなかったので、この2匹の犬を皆は
とても可愛がっていた。
今は、2匹のオスメスのダックスフンドと、捨て犬の
チビという大きい犬がいる。

店の中は昔と変わらずに奥の土間に3〜4人ストーブを
囲む様に座れるようになっていて僕はそこに腰掛けた。
ここは上級生が良く座っていた場所。
学年が進級するたびに、だんだんと店の奥の方に入って
いける様に、小学生の中の暗黙の了解で、5〜6年になってやっと座れる所。
それまでは、軒下あたりの駄菓子と20円のガチャガチャとか。

当時流行っていた、プラモデルがちょうどその奥の席の
近くに陳列してあって、僕らは上級生がいない時だけ、
とてもこずかいで買えないけど
食い入るようにプラモデルの箱を眺めていた。
おかげで戦艦や、スーパーカーの名前に詳しくなった。

ばあちゃんがお茶を入れてくれて、今はもう亡くなってしまった
釣り好きの駄菓子屋のじいちゃんの話や、昔の小学生が本当に
みんな良い子でほんと可愛かったって話を聞かせてくれた。

そんな話をしている最中にも、また小学校4年生や2年生の
女の子や男の子が買い物に来ている姿を見ながら、
いったいこのばあちゃんは、何万人の子供たちの成長を
見てきたんだろうと思った。

ばあちゃんが23歳〜はじめて、かれこれ60年近く経つ
この店には、今では親子3代で通ってくる人もいると聞いた。

今でもこの駄菓子屋があってほんとに良かった。
ばあちゃんには長生きしてもらって、
一日でも長くこの店をやってほしいと心から思う。
沼尻真一











アキノキリンソウ・セイタカアワダチソウと蜂蜜/沼尻真一

JUGEMテーマ:日記・一般
JUGEMテーマ:ナチュラル*シンプルライフ
JUGEMテーマ:小説/詩

秋の麒麟草?って聞けばいい感じだけど、それがセイタカアワダチソウ
だと知ったらとても嫌なイメージになると思う。
実際、今日はこのセイタカアワダチソウを刈り取る日となった。

家から離れた場所に休耕地があるのを知ったのは今から3年ぐらい前の事だ。
市役所からの依頼で、市道の境界の立会いに呼ばれたのがきっかけだった。
初めて見る場所に気楽な気持ちで出かけて行ったのは良かったが
到着するなり、その周辺に住む50代と70代の女性に囲まれ
いきなりクレームを言われてしまった。
その内容は、この休耕地がセイタカアワダチソウ畑になっていて
その方々には喘息の気があり、このセイタカアワダチソウが(彼女たちは
ブタクサが)喘息をさらに悪化させているという訴えだった。
こういう時は二人一緒に話されたりするので、だいたいこんな感じ。

そう言われれば、こちらとしても仕方がないので
以来年2回ぐらいは様子をみながら刈り取っているような状況だ。
そして今日がその日だった。

黄色の花畑に対しこちらはブルーな気持ちで作業しながらも
意外な事に気がついた。
あの黄色いお花畑の中に蜜を集めるミツバチやスズメバチが多いのだ。
僕も彼女たちが言っていたように、このセイタカアワダチソウは
百害あって一利なしだろうと全国の空き地に生えるセイタカアワダチソウ達を
見ていて思っていたが、実はミツバチの蜜集めには意外に役に立っている
事に気づいた。

早速ネットでセイタカアワダチソウを調べてみると、
何と養蜂家が蜜源植物として第二次大戦前に日本にいれたもののようだ。
さらに当然ブタクサとは別の植物であり、花粉はミツバチなどの昆虫によって
媒介していて、花粉を飛ばす植物(風媒花)ではなく、
花粉アレルギーの元凶なども濡れ衣という事だ。

早速、彼女達に報告したいところだが、あの黄色い花畑を忌々しいと思って
いる方にはやっぱりやめておこう。
ただ蜂蜜好きの僕の中では今日から、セイタカアワダチソウ達を
見る目が少し変わった。
沼尻真一






チェ・ゲバラとヘミングウェイのキューバに渡った/沼尻真一

JUGEMテーマ:日記・一般
JUGEMテーマ:小説/詩

1993年
25歳の時、僕はヘミングウェイのアトリエを見たくてキューバに行った。
他にキューバといえば、ハバナの葉巻ぐらいしか知らなかった。

日本と国交の無いキューバはジャマイカから乗り継いだ。

塗装もされていない、ジェラルミン色に光るその飛行機は
40人も乗ればいっぱいになるような小さな飛行機だった。
時代遅れのブルーのコスチュームを着たアテンダントが
いちおう一人付いていて陽気に飲み物をふるまった。

高度をあげ、機体が斜めになっているとき大きな
音がして操縦室のドアが一気に開いた。
機長が笑い、そしていつものように笑顔でドアを閉める
アテンダントを見て、さらに不安が増した。

今もそうだが、当時キューバはアメリカから経済制裁を
受けていて、社会主義国というだけで僕はちょっとビビッていた。

実際に行ってみたら、笑顔が無い国だった。
今思えば、笑顔が無いのではなく皆生きるために
一生懸命だったのだろう。
子供たちは上半身裸、裸足で野球をやっていたけど
僕と目が合った時でもニコリともしなかった。

革命前の名残を残したヨーロッパのような街中の移動手段は、
車ではなく馬車が中心で、蟻のように群がる人を乗せて走っていた。
そして街中には、革命の弾丸の跡がまだ生々しく残っていた。

マイアミにも近いけど、あんな抜けて乾いたパステルカラーじゃなくて
湯気の中で、一滴の黒を混ぜた黄色のようなイメージだ。
反映と革命が交わり、社会主義国特有の物足りない抜けが加わり
キューバ独自の文化になっていた。

その後日本でもブエナビスタソシアルクラブなどの曲が流行ったり
チェゲバラのモーターサイクル・ダイアリーズという小説や映画で
また違った一面を知る度に、なぜか口の中が酸っぱくなって
このときのキューバの事を思い出す。

沼尻真一

※そんな時代の影響を受けて作った作品が「tune」 





「畑から見えたコト 」 −つくばハーブ園


僕はこれまで畑から見えてきたものを紹介してきたが、
それは嬉しい発見と、どうしたらいいのか?というテーマに大きく分かれる。

今回はどうしたら?の話。
皆は農薬を使う量の多い野菜を知っているだろうか?
それは、白菜、ネギ、キャベツがこの辺りの栽培ではダントツだ。
恐らく、全国的にみてもそう大差はないと思う。

実際、今から30年も前に自然な暮らしを求めて
夫婦ともども教師の職をリタイヤし、キャベツや高原野菜の産地として
有名な群馬県嬬恋村に移住した親戚がいるが、
移住してみて驚いた事は、その美しい高原野菜たちが
面積が広いゆえに驚く量の農薬をかけられ、その農薬が飛散して
家にまで入ってきてしまうので、その時ばかりは戸を
締めきっておかねばならず、見るのと住むのとはこれほど違いが
あるものかと。がっかりしたという話を聞いた事がある。
そんな嬬恋も、現在は家が立ち並んだ事で農薬の使用が逆に抑制された
という変な話だ。

また最近は中国産の冷凍インゲン豆から、殺虫剤などの薬物が検出されて
ここ茨城県でもそれを食されて体調を崩された方がいるというニュースが
報道されたが、日本ではインゲン豆なんて無農薬で作れるくらい丈夫なので、
中国では種が違うのか、土壌や生息する虫の違いがあるのか、はたまた
栽培方法が農薬一辺倒という事ではないかと推測している。

この辺りでは、田舎の農家が4〜5人集まって飲めば、
どこそこの畑はこうだとか、畑や作物の話の一つは必ずでてくる。
「俺はあんな農薬いっぱいかけてる白菜なんて、ぜってぇ食えねーな。」
「あいつらは、白菜の植え付け方やほんとに荒れぇーな。石やゴミ全部
道路になげちゃーんだからよ。とんでもねぇ奴らだ。」
「あとネギだって、強い薬何回もかけっからなー。」
と、だいたいこんな調子で盛り上がる。

よく農家の人は自分で食べる野菜には、農薬あんまり使って無いでしょ?と
聞かれるが、出荷用の畑と、自家用の畑を持っている場合があるからで。
つまり自家用の畑は、小さく家で食べる分の多品種の野菜を混植している。
これぐらいであれば、農薬を使わずとも作れてしまうというのがその
答えなのかもしれない。つまり、出荷用の畑は単品種をなるべく
大きな畑で一元管理する方が、効率が良いからだ。

つくば市でもこの辺りは畑の周りに家が建ち、人口が増加し、
住宅街ができて来たことで、出荷先がJAという割合が多少減り、
直売所になったとしても、やはり綺麗で美しい野菜が断然売れる。

今は、冬から旬の白菜がこの辺りでも盛んに作られている。
茨城県は、白菜の一大産地となっている。
しかしそれは、個々の農家が作っているのではなく、
農業法人のような会社が休耕地をいくつも借り上げ、
一斉に白菜を作っているのだ。

そして青々としたその葉は、虫食い穴一つとして存在しない。
なぜなら、1週間ごとに大きな農薬のタンクを載せたトラックが
どこからともなくやってきて、屈強な男たちが噴煙をあげながら
大量の農薬を散布していくからだ。
バッタや、青虫にとっては微量の農薬でも大問題ゆえに、一口も食べたりしない。
しかし、虫は正直で農薬が使われていない白菜は、葉っぱがレース状になるまで
食べつくされているのが現実で、やっぱり虫が食う野菜は安全だという話は
負け惜しみでない気がしている。







このような農業法人で働いている方々は、アジア系外国人の方が意外に多い。
そんな光景を見ていて、今から15年ほど前にアメリカとの自由貿易協定後の
メキシコティファナの大農園で見た光景が重なった。
農場主が沢山の日雇いの労働者を使いながら、作物をつくる光景だ。
こんな作物が日本に輸出され、自分たちが食べているのかと思いながら
遠い国の出来事のように車窓からボーっと見ていた。
綺麗ごとではなく、農業法人のようにそれで生計をたてていくとは
人件費を安くする事と、虫に食われたような売れない粗悪品を
作らずに、歩留まりを高めるという生産管理が当然だと理解できる。

こんな話をしていると、農薬がすべて悪いという指摘のように聞こえるが、
JASの無農薬栽培でも、一部の農薬が認められているように、
長年の栽培経験から安全な農薬が日本では使われていると思う。
そして僕もすべてが無農薬野菜を食べているわけではなく、
おいしくその野菜も買って食べている。

ただ、僕が残念に思うのはその栽培光景だ。
鳥インフルエンザのブロイラーの飼育環境にしても、
野菜の栽培環境にしても、水耕や屋上栽培などで合理化しすぎて
しまうのではなく、自然の中で思いを持った農家が
栽培された作物を食べていきたいと思うのだ。

野菜を作る事とは、この場所の野菜をちぎってそのまま食べてみたいとか、
この人の作る料理をいますぐ食べたいとか、シェフのオープンキッチンの
ようなものが僕にとっては目指したい野菜づくりの方向だと思っている。
沼尻真一






土浦花火大会





















牛車と馬車で嫁入りする−沼尻真一

JUGEMテーマ:日記・一般
JUGEMテーマ:ナチュラル*シンプルライフ

今から60年前、人や物の移動、運搬には馬車や牛車が使われていた。
もう83歳になるおじさんは、つくば市の隣り、現在の牛久市に嫁いだ
姉の嫁入り道具をつくばから一日がかりで牛車で運んだという。

馬は速くて、牛は遅いイメージだが
聞くと長い距離になればなるほど、そう大差がないらしい。
馬はスタミナがないが、牛にはスタミナがあるからだ。

昔の道は雨がふればぬかるんで、粘土のような土地の道では
ツルツルすべって、どうにも前には進まなくなっちゃうんだよ。
特に馬と違って牛の蹄は先が割れてっから、そっから泥が
全部にげちゃって、踏ん張れねぇ。だから牛は自分の前足を
折って、膝の関節を使って首を横に振りながら前に歩いたよ。
俺はそんな時でも動物が可愛くって、ケツを叩けなかったな。

つくばから、土浦の医者に年寄りを送って行くときには、
藁をあらかじめ切って、糠と一緒に混ぜて餌を持ってく。
着いたら、よーく藁を揉んであげて食べさせる。
ほんとに美味そうに良く食ったもんだ。
そうおじさんは話してくれた。

つくば市の家では、そんな馬や牛をどこの家でも、
農耕用、運搬用に飼っていた時代がある。
そのなごりとして、つくば市の古い家には母屋の隣に長屋がある、
うちもそうだが、今そこは離れの住処になっている場合が多い。
それこそ今は人が暮らしている場所だけど
その長屋に昔は、牛や馬が寝ていたと思って眺めてみるのもおもしろい。
沼尻真一