「秋高馬肥」
澄みきった空に
紅に染まりゆく一葉が彩りを添える
「開炉」の茶会となりました。
令和3年10月30日
皇室ゆかりの 重要文化財 茶室「光華」
東京都庭園美術館 にて
第五回「重文わかる茶会」を開催しました。
陶芸家・茶道家 沼尻宗真
重要文化財 茶室「光華 」で行われる
第五回「重文わかる茶会 」
前日準備を致しました。
秋晴れの清々しい天気の中
沢山のお客様が
芝生でくつろいでいました。
現在は特別展「英国王室が愛した花々 」展開催中
庭園美術館にふさわしい
展覧会は大好評のようです。
洋の庭から、和の庭へと移動します。
少しずつ🍁紅葉も色づき始めています
神無月が終わり、
そして「開炉」
明日の一期一会
楽しみにしております。
「木曽路は全て山の中である。」
島崎藤村先生の小説「夜明け前 」は
こうしてはじまる。
そんな木曽路の黒瀬街道沿いにある
岐阜県加茂郡八百津町八百津は
古くは黒瀬地区と呼ばれ
木曽川の川船が遡る最終拠点として
名古屋↔️木曽一帯の物流を司る
重要な場所でした。
そんな物流拠点には
明治以降、旅館や酒蔵、味噌醤油、
各種商店が街道沿いに建ち並びました。
近年は🇯🇵日本の偉人
「杉原千畝さんの記念館 」のある町として
有名です。
そしてその歴史ある町の中に現在
八百津の「栗きんとん」を
代表する名店の数々が明治期に
生まれました
それでは、
日本🇯🇵の秋を代表するお菓子
岐阜発祥の銘菓「栗きんとん」の奥伝
八百津四天王、永久保存版をお伝えいたします。
品名:栗金糖 1つ 200円
黄色味がつよく、栗の香りも強い
栗の粒が一番粗くしっかり
糖によって湿度が保たれ
栗を食べている感じがしました。
シンプルに栗本来の味と甘味が特長。
◼️素材と成分
栗と砂糖のみ
塩やトレハロースの表示はありません。
栗は八百津産のみ使用。
手作業で皮を向いているため
渋皮が混入しません。
一切添加物を使用していません。
*八百津観光協会サイトより
品名:栗金とん 1つ200円
黄色味が薄く、栗の粒は小粒
栗の香りは弱め
味は落雁的な粉感かつしっとり
昔懐かしい、麦菓子のような食感と味も特長
◼️素材と成分
栗、砂糖、塩
栗は地元の栗み使用。(企業サイトより)
品名:栗きんとん 1つ200円
黄色味が一番濃い。
栗の粒はほとんどありません。
モンブランを食べているような
スムージーな洋の食感と味
甘味も一番強いのが特長です
カフェスペースでは
モンブランも大人気です。
栗金飩 :1つ200円
黄色身は自然の色、栗の香りも一番強い。
栗の粒も粗くあり、しっとりした食感と甘味
全てが栗そのものでした。
◼️素材と成分
栗、砂糖、塩、トレハロース
栗は岐阜県産のみ使用。
一つ77キロカロリーも、
初めて知りました。
梅屋、亀喜、藤乃屋、緑屋
梅屋、亀喜、藤乃屋、緑屋
そこで、個人的な主観により
ランキングいたしましので、
各お店の栗きんとんをぜひ食べ比べて
ご参考にしてみてください。
●甘みランキング
1.藤乃屋
2.亀喜
3.梅屋
4.緑屋
●栗っぼさランキング
1.緑屋(甘さと渋み両立)
2.梅屋(上品な甘さの極み)
3.藤乃屋
4.亀喜
●1つの重さランキング
1.緑屋 28.4g
2.梅屋 25.4g
3.亀喜24.2g
4.藤乃屋23.3g
●茶巾絞りの形ランキング
1.緑屋
2.亀喜
3.藤乃屋
4.梅屋
●栗粒々ランキング
1.梅屋
2.亀喜
3.緑屋
4.藤乃屋
●しっとりランキング
1.藤乃屋
2.緑屋
3.梅屋
4.亀喜
以上です。(文中敬省略にて)
ぜひ岐阜県東濃の旅の際には
「栗きんとん 」巡りや
「美濃焼 」巡りをお楽しみください。
桃山茶陶の聖地
岐阜県多治見市にある
とうしん美濃陶芸美術館 にて
「MINO茶碗100展」が
2021.9.15〜12.26迄開催されます。
平成10年代(2000年前後)以降、
多くの若手作家が
新しいスタイルの器表現をめざしてきた。
その「新しい器」の先に改めて
🇯🇵日本文化の粋とも言うべき茶碗を発見した。
〜中略〜
その中心の一角を担ってきた現代美濃茶碗を
楽しんでいただければ幸いである。
館長の金子先生と茶道の侘体感ワークショップ
茨城県陶芸美術館/板谷波山工房にて
人間国宝の鈴木藏先生、加藤孝造先生はじめ、
七代加藤幸兵衛先生から新鋭作家まで
美濃を代表する方々の茶碗が展示されます。
今回の展覧会にあわせて
制作した拙作の茶垸「幻映」も出品して
おりますので、御高覧いただければ幸いです。
また深まる秋に
茶碗の聖地「美濃」にお越しの際には
ぜひ下記の茶の湯ゆかりの地も
オススメいたします。
(文中 順不同、敬称略)
白州正子さんの小説にも出てくる
白州さんが荒川豊蔵先生の元に
通った五斗蒔街道を走ります。
日本一有名な窯跡です。
⚫土岐市美濃焼伝統産業会館と陶芸村
私も修行させていただいた
大嶋先生の子の日窯もあります。
桃山陶を復興された荒川豊蔵先生の作陶の
状況と、魯山人さんとのエピソードが
有名です。
人間国宝の作品から現代作家の作品を
見る事ができます。
荒川豊蔵先生の作品や現代作家の作品展示
私の美濃陶芸 庄六賞 茶碗展大賞の茶碗も
こちらに所蔵されています。
こちらの茶室では、人間国宝の茶碗で
一服いただけます!
人間国宝の作品から現代作家の作品を
見る事ができます。
まだまだ 沢山の窯元やギャラリーも
ありますので、お調べください。
コロナ禍でもありますので、
予め電話予約されるとスムーズです。
清風帷簾を動かし
風鈴の音に日本の夏を感じる
令和3年7月31日
東京都庭園美術館
重要文化財 茶室「光華」にて
開催いたしました。
またこの茶会は
庭園美術館で現在開催中の
hommageから
あくまでガラスにこだわり
庭園美術館の依頼により
ガラス作家 青木美歌さんが作られた
花入、茶器、水指を用いた特別な茶会
となりました。
おもてなしの道具を生かす為の、
「取り合わせ、花や室礼 」そして
「点前や菓子 」
茶の湯はまさに🇯🇵日本美の総合芸術
与えられたテーマを
美しく茶の湯の伝統の中に落とし込み
クリアするのは本当に難しい事ですが、
と同時にワクワクします。
私達はラリックなど
美しいガラス作品の中に
なぜ静けさを感じるのでしょうか?
「永遠に包まれる美の時」
そんなイメージを展開しました。
床は佐渡島で僧侶・写真家として
活動されている梶井照陰さんの「NAMI」
青木さんの花入に
ユラユラと撫子が舞います
茶器:青木さん作
主茶碗は見立で
ラリックが1924年にデザインした
COQUILLES -コキール/貝殻
.
ラリックが好んで用いた
オパルセントガラスは、
乳白色に優しい光を発しています。
.
オリンピックを記念して作った「TOKYO2020碗」
菓子は主催者である
庭園美術館 学芸員の板谷さんから
ぜひ錦玉でというご依頼を受け、
神楽坂梅花亭 のご主人井上さんと
何度も試行錯誤を繰り返し
そこへたどり着きました。
ラリックのモチーフである
アネモネの華を庭園美術館のイメージで
瑞々しく包み込む事ができました。
銘「Haute couture」
主催者の庭園美術館 学芸員 板谷さんから
ラリックに縁ある美術館として
ガラスの茶会を開催できたこと。
そして何よりも展示ではなく
実際にラリックの茶碗と
青木美歌さんの新旧作家の作品を
茶会で用い、手にとり体感してもらう事は
まさに美術館に相応しい茶会の姿ではないかと
お話をいただきました。
Ce qui est créé par l’esprit est plus vivant que la matière.
精神によって創られたものは、
物質以上に瑞々しい。
Charles Baudelaire
東京オリンピック2020では
🇯🇵日本選手の皆さんの大活躍に
毎日感動をいただいています。
そんな熱い暑い東京で
明日7/31東京都庭園美術館
重要文化財茶室「光華」で
昨年度の企画展「生命の庭」の
出品作家であった青木美歌さんが、
庭園美術館の依頼により
「光華」のために制作した
ガラスの茶道具を使った特別な茶会です。
ちょうど現在は展覧会
ラリックの作品からも
そんな佇まいを感じる事ができます。
光を包み込む
ガラスの透明感はそれだけで
静かな美しさを感じます。
しかし、
茶の湯は「空」ではありません。
作品は道具として生き
人と人との感性の橋渡し役を担います。
だからそれは
単なる一つの道具ではなく
また
道具を個に並べるものでもなく
「道具組」「取り合わせ」が
役を生きる上で
重要なのだと思っています。
明日は「賓主互換」から生まれる
心の化学反応が楽しみです。
*賓主互換:時には主となり、
時には客となり、光ともなり影ともなる。
相手のことを思いやる慈しみの心や
譲り合いの気持ちも、
わたしがあなたであなたがわたし、
その心から湧き起こる。
「雨過天青」
雨上がりのしっとりと水気を含んだ翠によって
茶室は瑞々しい気に包まれました。
令和3年6月26日
皇室ゆかりの 重要文化財 茶室「光華」
東京都庭園美術館 にて
第四回「重文わかる茶会」を開催しました。
・マスクは撮影時のみ一瞬外しました。
卯の花が
白から紅に染まる皐月
館長の岩井利美先生より
今後再開が予定されている
茶室での呈茶を、
さらに安全に美しく向上する為に
研修をとご依頼を賜り
「第一回 学芸員研修会」に
茶道講師としてお招きいただきました。
館長の岩井先生、美術館スタッフの皆様、
休館日にご協力をいただきまして
誠にありがとうございました。
歴史と伝統ある
私も多治見工業の専攻科時代から
學んでいる美術館であり、
また美濃陶芸 庄六賞 茶盌展にて
庄六賞を賜りました「白月盌」を
収蔵いただいている縁ある美術館です。
〈 陶芸 + 茶道 〉
陶芸だけでなく、
京都 裏千家学園 で修養した茶道で、
桃山茶陶のふるさと多治見に
貢献させていただける事は
本当に光栄です。
1.わび茶の歴史、抹茶の製法を學ぶ
・栄西禅師〜利休居士までの流れ
・抹茶の覆下栽培〜効能など
2.呈茶を學ぶ
・茶を安全に、美味しく点てる為の準備と実践
・呈茶の実践や片付け方など
・岩井先生は自作の茶盌で美しいお茶が点ちました
◼️茶席体験
・客としての菓子や茶のいただき方
・道具拝見の仕方
・季節の室礼
本格的な茶室で
人間国宝をはじめ数多くの作家の中から
好みの茶盌で一服いただく事ができる
美濃焼ミュージアムの呈茶席は
とても人気があります。
私もみどり会留学生 や
国内外のお客様をお連れして
何度も利用しています。
岐阜 現在の美濃地方出身の
古田織部公にちなみ
鉄風炉に寸松庵瓦
茶盌は呈茶にも用いられている
加藤卓男先生のラスター盌
棗は春慶の河童
隠居所として大徳寺龍光院に
寸松庵を建立した
佐久間真勝(名古屋城築城奉行も務めた)は
あえて織部焼を用いて
師の古田織部公を偲んでいたように感じます。
その瓦を表千家七代如心斎宗匠が
下賜された後、地元の織部焼が
今も脈々と茶道の世界に息づいていることを
学芸員の皆様にご紹介する事ができました。
・多治見の和菓子屋さんにて
床には 地元多治見出身の
日本画家 林雲鳳さんの太田道灌の軸 が
掛かっておりましたので、
合わせて花を入れました。
利久梅、黄菖蒲、千萱
漆桶
「茶碗の産地で一服」
多治見市美濃焼ミュージアムに
ぜひお立ち寄りいただけたら幸いです。
・美濃焼ミュージアム手作りのピンバッジ
(文中敬称略)
雪柳(ゆきやなぎ) 京都鴨川にて 4/10
肩衝茶入 銘 雪柳 瀬戸
日本・桃山〜江戸時代 17世紀
雪柳手と呼ばれる茶入の本となる作品。
胴全体に黄釉が幾筋も流れ、
その景色を春の柳に積る雪にたとえ
かつらぎや はるのみさとの ふる柳
よそめはおつる 滝の白糸
小堀遠州さんが歌を引き
「雪柳」の銘がつけられました。
◼️京菓子「花の宴」
御菓子司 聚洸さん
「小田巻」という、餡や練切を
細い糸状にする技法で都の春を表現しています。
本格的な春がもうすぐ
桜のシーズンが待ち遠しいですね。
近いうちに「桜」も取り上げてみたいです。
榊(さかき) 6/30 香取神宮
綿(わた) アオイ科 9/5撮影 東京
「仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙」という意味で
水辺に育ち、仙人のように寿命が長く
清らかなという意味から
名付けられたとされています。
また前回紹介したように
「雪中四友 」として古代中国から
尊ばれてきた花です。
このような背景から
日本では吉祥の花として
茶席でみかけますが、
実は意外な事実ばかりです。
◼️万葉期、日本に水仙は無かった!
数多くの花を詠んでいる万葉集や
勅撰和歌集に残念ながら
「水仙」の歌はありません。
まず、私は「水仙」の原産地に驚きました。
日本水仙などの名前はありますが、
原産地は主にスペイン、ポルトガルから
北アフリカまでの地中海沿岸地域から
アジア中部です。
鍾馗水仙(しょうきすいせん)
とくにこの水仙は彼岸花に似ていますね。
水仙はなんと、ヒガンバナ科なのです。
日本の植物学を代表する
牧野富太郎先生はヒガンバナ科の水仙を
「海流漂着説 」だと推測されています。
また他には、室町時代以前に
中国を経由して日本に入ったと
考えられています。
現在「水仙」を町の花にしている場所は
ほとんどが沿岸地なので
牧野先生説はやはり説得力があります。
このように「水仙」は比較的新しい花であり、
「紫陽花 」同様日本において
「水仙」の美意識が確立されたのは
江戸時代の頃からとなります。
ゆえに「椿」の背景から考えれば
明らかに真の花入に
「椿」は相応しい と思いますが、
「水仙」を、真の花入に相応しい花として、
私にはその背景が全く見いだせませんでした。
◼️水仙こそ、和漢のさかいをまぎらかす花
室町時代の茶人と伝わる
村田珠光さんは「わび茶の祖」
といわれています。
珠光さんの記した「心の文」には
「和漢のさかいをまぎらかす」という
言葉があります。
それまでの唐物中心の茶の湯の道具に対して、
和物(国産品)をどのように唐物と調和させて
新しい美をつくるかというところに
珠光さんの関心があったことが伺えます。
それはこの「水仙」こそ
相応しい茶花だろうと私は思います。
では「水仙」に
和ものの花入を合わせたら
理には叶いますが、
あえて花と花入を一体と見れば
全体を洋にまとめて
あえて「水仙」だからこそ
原産地 地中海の雰囲気のある花入を用いて
茶室に室礼してみるというのも面白いと思います。
どうしても「日本水仙」という名前や
「水仙」は古代中国から伝わってきたという
第一階層のイメージばかりに
ひかれていますが、
下のような水仙の原種である地中海の
ペチコート水仙をイメージできれば
洋風な花である事は一目瞭然だと思います。
水仙の原種 ペチコート水仙
◼️和菓子では葛製を水仙という
「水仙」とは、和菓子では
「葛製」を表す言葉として用いられています。
製は? 水仙です。の方が粋ですな
家庭画報 川端道喜 左 水仙粽、羊羹粽
素心蝋梅(そしんろうばい) 2/23東京
雪の中にあっても、緑の色をそのまま
保っている松や柏。
信念や志を固く守り
変えないことのたとえです。
これは論語にある言葉です。
“子曰く、歳寒くして、然るのちに
松柏の凋む(しぼむ)に遅るるを知る。”
松や柏が厳寒にも
葉の緑を保っているところから、
逆境で苦しい状況でも信念や志堅く、
屈しないことの例えです。
鍵善良房京都祇園の和菓子屋「鍵善良房」のウェブサイトwww.kagizen.co.jp
2020〜2021年は日本をはじめ世界は
日本の古のめでたい植物は「松竹椿」であった!
竜胆(りんどう) 11/11 長野県
晩年逢わなくなってしまった男性に向け
詠まれたとされる歌には、
男は冬枯れの中のそうした
水々しい竜胆であってほしいという
和泉式部なりの気高い美意識が
込められているようです。
一方の才女である
清少納言は『枕草子』で
異花(ことはな)どもの皆霜枯れたるに、
いと花やかなる色あひにてさし出でたる、
いとをかし
⚫訳
他の花々が皆、霜で枯れてしまう中
豊かなあざやかさで顔をのぞかせている姿は
とても趣があると語っています。
いかがでしょうか?
平安の才女二人の
「竜胆」へのイメージは皆様に伝わりましたか?
私はこの竜胆で、二人の感性を比較してみて
この歌をイメージできました。
花をのみ 待つらん人に 山里の
ゆきまの草の 春を見せばや
茶道をしている人なら
誰もが知っている
茶の湯の境地を
利休居士がたとえた歌です。
これは元々「若草」
を詠んだ歌で
(まだ花が咲かない春が来ないと)
待っているだろう人に、
山里に積った雪のあいだに
わずかに芽吹いた若草にも
春は来ていると見せたいものです
そんな意味が込められています。
分からない人が多い時代だから、
絢爛華麗な分かりやすさも
一見多いに魅力的に映ります。
しかし
その内側の寂しさや不足でなく
その先の美に気づける心の境地こそ
茶の湯本来の「侘び」ではないか?と
利休居士は豊饒の海に生きる私達に
茶道を通じ、教えてくれているようです。
《吾唯知足》を學んでみませんか
今日は地元岐阜県出身の偉人
杉原千畝(ちうね)さんをご紹介したいと思い、
「杉原千畝記念館」に伺いました。
第二次世界大戦中、リトアニアの
カウナス領事館に赴任していた杉原さんは
ドイツの迫害によりポーランドなど
欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。
1940年7月から8月にかけて、
外務省からの訓令に反して
大量のビザ(通過査証)を発給し、
避難民を救ったことで知られています。
高野箒(こうやぼうき) 1/13撮影 東京都
皆様こんにちは
今回も茶花から、茶道や日本の文化
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
今回は【高野箒こうやぼうき】です。
◼️弘法大師の教えから生まれた高野箒
読者の皆さんは以前、私が記事で紹介した
映画「空海」を見ていただきましたか?
まだ見られていない方は、
ぜひ年末年始にオススメします。
その弘法大師(空海)の開山した
高野山では利潤が得られる果樹や
竹の伐採を禁じたそうです。
そこで竹の代わりに高野山で、
ホウキの材料とされたことから
「高野箒こうやぼうき」の名前が付いたそうです。
◼️新年に相応しい【初子の玉箒(たまははき)】
初春(はつはる)の、初子(はつね)の今日(けふ)の、
玉箒(たまばはき)、手に取るからに、
揺らく玉の緒(を)
大伴家持
⚫訳
初春の初子(はつね)の今日、
賜った玉箒(たまははき)を手にとるや
玉の緒が音をたてた。
そのたまゆら(玉響)の響きに、
わが魂もふるえて甦るようだ。
天平寶字二年(758年)正月三日の
初子の日に孝謙天皇が
諸臣に玉箒を下賜され
宴が催されたときに詠われました。
この初子の玉箒とは、
高野箒を根引きし根付のまま束ねて箒とし、
その把手に紫で染めた鹿皮を巻き、
さらに金糸で巻きます。
そしてさらに、箒の先の細枝に
白・緑・黄・青・赤などの
色ガラス(ビーズ)玉を貫き通して
飾りつけたものです。
「魂 (たま) の緒(お)」の意から、
玉は生命(いのち)、魂(たましい)とされ、
緒(お)に貫くことにより生命の永続を祈念
されたと云われています。
子日目利箒(ねのひのめとぎのほうき) 正倉院蔵
手辛鋤(てからすき)
元来は天皇が手辛鋤で
田を耕す仕種しぐさをして豊穣と祖先を祀り
皇后は玉箒にて蚕室を掃き浄めて
蚕神(さんしん)を祀りました。
そして、その揺らせたときに
玉箒の枝先の玉と玉が触れ合う
その音の響きによって
新たなる年の養蚕の吉凶を占ったそうです。
その往時の初子の玉箒
「子日目利箒ねのひのめときほうき」が
正倉院の御物として作りが僅かに異なる
2本一対伝承されています。
この行事は、周・漢の時代の
正月の行事が日本に伝えられたと
され、唐の時代の観月宴「中秋節」
「秋の月見」の起源と似ています。
令和三年、2021年
「初子の日」は、1月4日(月)です。
「初釜」には少し早いですが
今から1263年前、
758年の「初子の玉箒」に思いを走らせ
見立ててみるのも一興です。
また大正生まれの祖父は正月飾りの注連縄や筵など
なんでも、藁や竹で作ってくれました。
初釜の飾りとして「玉箒」は
私も作ってみたいと思います。
理由は刷毛目茶碗の
藁の刷毛を作る具合と似ているからです。
薺(なずな) 3/27撮影 神奈川県
茅(かや)
皆様こんにちは
今回も茶花から、茶道や日本の文化
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
今回は【茅(かや) 】です。
◼️茅(かや) と共に生きる日本人
まず、あまり知られていない所では
またイネやムギなどの茎(藁)は
水を吸ってしまうのに対し、茅の茎は
油分があるので水をはじき、耐水性が高く
古くから茅葺(かやぶき)屋根
として利用されてきました。
茶室の茅葺屋根はもちろん、
私の住む岐阜県にある
世界遺産に認定された白川郷の
合掌造りの茅葺屋根はあまりにも有名です。
◼️浅茅生(あさぢふ)から生まれた日本の抒情
茅といえば晩秋〜初冬の風情ですね。
影とめし 露のやどりを 思ひいでて
霜に跡とふ 浅茅生の月
飛鳥井雅経
⚫訳
秋には、月はちがやの露に
かりそめの宿を借りて、
光を映しとどめていたが
冬になった今、その頃を思い出して
その名残を訪ねるかのように
霜に映って光る月
◼️『浅茅生』『露』そして『月』を愛で
確立した日本人の美の感性
醍醐天皇の勅命により『万葉集』に
撰ばれなかった古い時代の歌から
和歌を撰んで編纂した
『古今和歌集』は平安時代前期
905年〜912年ごろ完成しました。
その中で「秋の月」は8首しか
撰ばれていません。
対して
後鳥羽院の院宣により定められ
平安時代後期1201年〜1210年に
完成した『新古今和歌集』では
その様子が一変します。
秋の月が70首
春の月が14首
夏の月が11首
冬の月は約30首
も詠まれています。
『古今和歌集』の編纂から300年後に
『新古今和歌集』は編纂されました。
この300年の間に日本人の
「月」への関心が一気に
飛躍したことになります。
その理由は966年8月15日、
きっかけだと云われています。
「栄花物語」第一巻名の由来とも
なったこの「中秋の月見」は
以後宮中の正式行事として
定番化されました。
正式な宴には
もちろん「歌」が詠まれますから
「中秋の月」の歌が増えたことで
現代に続く『秋は月』という日本人の美の感性がここに確立されたのです。
つまり『浅茅生』『露』
そして『月』
それは源氏物語から定家へ、
そして現代の私達に継承された大切な
美の感性でもあるのです。
◼️村上天皇と『鶯宿梅(おうしゅくばい)』
ある時内裏の清涼殿の前にあった
梅の木が枯れてしまったので、
村上天皇は替わりのものを
探すように命じました。
あちこち探しますが、
まったく良いものが見つかりません。
しばらくして都の外れのある家に
たいへん見事な紅梅が見つかりました。
さっそく主命であることを告げ
その紅梅を掘り返し内裏に運ぼうとすると、
家の者が主からの文を短冊にして
枝に結びつけ、どうかこのまま
お持ちくださいといいました。
めでたく清涼殿の前に
移植されたその紅梅は、以前より
勝るとも劣らない立派なもので、
村上天皇も大変喜びました。
ふと見るとそこに短冊が結ばれています。
不審に思って開けてみると、
そこには
勅なれば いともかしこし 鶯の
宿はと問はば いかが答えむ
この歌の作者がただ者ではないと察し
村上天皇が調べさせると
その家の主人は紀貫之の娘の
紀内侍(きのないし)であること、
そして父の死後、彼女は父が手入れしていた
その紅梅を父の形見として
慈しんでいたことがわかりました。
その詩情を憐れみ村上天皇は梅を
元の庭に植え返されたという
心温まるお話です。
(大鏡・拾遺和歌集)
その時からこの梅が「鶯宿梅」又は
「軒の紅梅」と呼ばれ現代の私達に
風雅とは何かを伝えています。
風雅も風情も感じられる茶道をしませんか?
杜鵑草 ユリ科 10/4東京
皆様こんにちは
今回も茶花から、茶道や日本の文化
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
今回は【杜鵑草(ホトトギス) 】です。
東アジア全体に分布していますが、
日本では11種類の固有種があり
北海道〜九州まで自生しています。
名前の由来は、ホトトギス(杜鵑)の羽毛の斑点と
花の模様が似ているために、
花にもホトトギス(杜鵑草)という
名前がつけられたようです。
白花山路の杜鵑草 10/4日光
◼️和歌の「杜鵑」が映せるもの
ほととぎす 鳴きつる方を 眺むれば
ただ有明の 月ぞ残れる
後徳大寺左大臣
⚫意味
暁にホトトギスが鳴いた方を、ふと見てみれば、
ホトトギスはもうそこにはいない、
ただ明け方の月が空に輝いているだけだった
夏のはじまりに飛来するホトトギスは、
季節の訪れを象徴する鳥として、
平安時代の貴族たちに愛されていました。
特にホトトギスの第一声(初音)を聴く事は
非常に典雅なこととされ、
夜を明かして待つこともよく行われていたのです。
鵯花が映す「明鏡止水」とは?の中で紹介した
光沢のある雄の山鳥の尾を鏡にみなし
小鮒草(こぶなぐさ) イネ科 11/16撮影 東京
皆様こんにちは
今回も茶花から、茶道や日本の文化
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
今回は
【小鮒草(こぶなぐさ)】です。
名前の由来は、葉の形が鮒に似ていることから
小鮒草と名づけられました。
◼️小鮒草は黄八丈の染料になる
八丈島では小鮒草を八丈刈安と呼び、
古くから伝わる絹織物「黄八丈」の
黄色染料として使ってきました。
ちなみに八丈島の八丈という名前も
織物の単位に由来しています。
米の取れない八丈島では
江戸時代も島の年貢は絹織物でした。
八丈絹は江戸中期までは大奥の御殿女中や
大名・上級旗本などの使用に限られていましたが、江戸中期以降は江戸市中にも普及してきます。
幕末には医師が好んで用いていました。
江戸時代後期には歌舞伎芝居「八百屋お七」の
娘役などの衣装に用いられたことで大流行し
たそうです。
当時は江戸中の女性たちの
目の色が変わるほど熱狂したと
伝えられています。
小鮒草から、見事な黄金色に染まります。
着物を着て愉しむだけでも素晴らしいですが、
さらに着物で茶の湯をすれば
2倍〜3倍以上愉しみが増えると思います。
それは歳を重ねれば重ねるほど魅力的になるのが着物だからです。
浴衣を着て花火を愉しんでいたように
着物を着て、茶の湯を愉しむ
大人のライフスタイルはいかがでしょうか。
柘植(つげ) 4/3東京
今回も茶花から
茶道や日本の文化、工芸を
皆さんと一緒に學んでいきたいと思います。
今回は
茶の湯を代表する花
【椿(つばき)第一回】に続き、
【椿(つばき)第二回目】です。
何とか第二回目を小正月に配信できました。
◼️「万葉集」「日本書紀」に見る椿の霊性
《万葉集》
三諸は 人の守る山 本辺には 馬酔木花咲き
末辺には 椿花咲く うらぐはし
山そ 泣く子守る山
⚫訳
麓では馬酒木が咲き、山頂には椿が咲く。
ああ、心惹かれる山よ、
泣く子のお守りをするように大切にする山よ。
三輪山は、山全体が御神体とされる
神の山として知られています。
その麓には海石榴市(つばいち)という
市場があった所から、三諸の地は
三輪山とも考えられています。
民族学者の折口信夫氏は
「この場所は修験者のような呪力を持った人が
椿の杖を持ち、土地を浄化することで
この海石榴市を作ったようだと云っています。」
《日本書紀》
景行天皇が九州で起こった乱を鎮めたおり、
土蜘蛛(大和朝廷に服従しない民族)に対して
「海石榴(ツバキ)の椎」を用いた。
海石榴樹(ツバキノキ)を採って、
それを椎(ツチ=槌=工具)を
作って兵(ツワモノ=武器)を
作ったと記されています。
この中で「椿の木」は
土蜘蛛退治の武器とされ、
しかも呪術的な霊木として扱われています。
◼️東大寺二月堂「お水取りの椿」は
「卯杖」の儀式から生まれた!
日本の卯杖 (うづえ)卯槌(うづち)という儀式は
中国、漢朝の剛卯杖という風習が
日本に伝わり、
予祝行事に用いる神聖な木の棒。
小正月の粥(かゆ)をかき回すために用いる
「粥かき棒」または新嫁を叩いて多産を促す
「嫁たたき棒」など各地にある
「祝棒 (いわいぼう)」の風習と
混じったものと言われています。
正月から最初の卯の日に、
邪気を祓うため、
杖で大地をたたく儀式です。
→子の日は1月4日です。『【茶花から日本を學ぶ】新春正月・初子の玉箒、空海の高野箒★男の茶道★沼尻宗真』高野箒(こうやぼうき) 1/13撮影 東京都皆様こんにちは今回も茶花から、茶道や日本の文化工芸を一緒に學んでいきたいと思います。今回は【高野箒こうやぼうき】で…ameblo.jp
奈良平安時代、宮中で日本化し、
中国で霊力があるとされる「桃の杖」に代わり、
梅・桃・椿・柊や柳などの陽木で
尺3寸(約1.6m)に切ったのち
一本ないし二・三本を束ね、
五色の糸を巻いて寿詞の奏上とともに
天皇へ献上されました。
これを御帳の四隅に立て邪気を祓ったと
されています。
平安時代には縁起のものとして
互いに「卯杖」を贈り合い、
新年を迎えた最初の卯の日から節分まで、
室内の几帳や柱などに吊るして飾られました。
引用「卯日椿杖」正倉院 南倉
奈良の正倉院にあるこの「卯日椿杖」は
孝謙天皇が752年4月9日に
東大寺大仏殿開眼供養に使われたと
伝わっています。
そのお水取りの行法には
紅白の和紙で作った椿、
「二月堂椿」が供花されます。
なぜ椿の造花なのか?という答えの
一つにはやはり、
孝謙天皇が「椿杖」を用いて
東大寺大仏殿開眼供養に使ったことや、
椿の霊性が大きいのではないかと私は思います。
卯杖は、次第に全国各地の神社の儀式にも
取り入れられるようになり、
伊勢神宮にも卯杖の記録があります。
また京都の上賀茂神社では
現在でも卯杖を大神に奉納する神事が行われ、
他の全国の神社でも卯杖の儀式が
行われていますので、ぜひ皆さんの
近くの神社でも調べてみてください。
引用元:萬々堂通則さん
そしてお水取りと言ったら
2月〜3月中旬まで期間限定で販売されている
銘菓「のりこぼし」が有名です。
化粧箱まで美しいですね。
◼️空海さんの錫杖も「椿」
日本に密教を伝えた
真言宗の開祖・空海さんもまた、
椿で作った錫杖(しゃくじょう)を
携えて全国を巡り歩きました。
「大同二年(807年)に空海(後の弘法大師)が、遣唐使として唐国に渡り、恵果大阿闍利より密教を授かり帰国、約二年間九州に滞在なされ、
当山椿堂に巡錫し、持した椿の錫杖で
奥の院のご霊水を、湧き出されたことから、
椿大師「椿堂」といわれとされています。
◼️「卯杖」「振振毬杖(ぶりぶりぎっちょう)」
「どんど焼き(左義長)」は共通の儀式
・奈良平安で確立された儀式
正月から最初の卯の日に、邪気を祓うため
杖で大地をたたく儀式「卯杖」
・平安時代の正月の遊びとされる
・1月15日の小正月に行われる
平安時代の厄祓いの儀式「どんど焼き(左義長)」
もぐら打ち(もぐらうち)は、
竹に巻いた藁等で家先や田畑の地面を
叩いてまわる伝統行事もある。
つまりこれら3つの儀式は
正月に行われること、
大地をたたく儀式として共通しています。
私はこれら3つの儀式は宮中儀式と
民衆儀式の形が違うのみで、
同じ目的の儀式・同じ祈りが
込められていると思います。
ゆえに、現代の茶道に見られるように
正月だから平安童の遊具として「振振」を
飾るというだけでなく
むしろ「振振」は新しいものであり、
もっと本質がわかれば室礼も趣向も
広く深くすることができるはずです。
すみません
やはり「椿」は二回で終わりませんでした。
次回「椿」最終回になります。
和の聖花・椿の全て《第一回》『【茶花から日本を學ぶ】和の聖花・椿の全て《第一回》★男の茶道★沼尻宗真』★SOSHIN_NUMAJIRl instagram今回も茶花から茶道や日本の文化、工芸を皆さんと一緒に學んでいきたいと思います。今回はいよいよ茶の湯を代表…ameblo.jp
今回も茶花から
茶道や日本の文化、工芸を
皆さんと一緒に學んでいきたいと思います。
今回はいよいよ茶の湯を代表する花
【椿(つばき)】です。
11月「開炉」になると
茶道ではあたり前のように
床に「椿」が入ります。
そこからは「初釜」も含め
椿一色になりますね。
何故でしょうか?
さらに茶道では椿一種
真の花入に相応しい
格も持ち合わせています。
そこにはどんな格が潜んでいるのでしょう?
日本原産であり、日本を代表する花
そして茶花を代表する花と言っても
過言ではない「椿」
しかし、その背景には不明な点が数多く
古今東西、著名な先生方が
「椿」の解明に取り組まれています。
それほど「椿」は日本人を魅了しています。
私も様々な資料に目を通し、
皆さんと共に學び、
「椿」に新しい視点を
持ちたいと考えています。
今回のテーマ「椿」は膨大な量なので、
二回に分けて配信させていただきます。
3/12東京
◼️椿の名前の由来
《古事記》
新嘗屋 (にひなへや) に生ひ立てる葉広 (はびろ)
斎(ゆ)つ真(ま)椿 其が花の照り坐し
其の葉の広がり坐すは 大君ろかも
仁徳天皇 皇后
仁徳天皇を讃える言葉として
「斎(ゆ)つ真椿」としています。
「斎(ゆ)」または、「斎(ゆ)つ真(ま)」とは
高貴な赤色の花を咲かせ、
神聖で清浄な葉を持つ木として
斎つ葉木(ゆつはき)とも呼ばれ
いつしか、つばきに変化したとも
されています。
引用:椿大神社より写真でみる御祭事 | 御祭事 | 椿大神社伊勢国一宮 猿田彦大本宮 椿大神社tsubaki.or.jp
三重県にある、みちびきの神と知られる
椿大神社(つばきおおかみやしろ)は
「道別(ちわき)大神の社」として鎮座され
「ちわき」の言葉が変化して「つばき」となり、
仁徳天皇を讃えた美しい「椿」から
漢字を当てたのではないかとも云われています。
記紀の神代の時代から「椿」は神の依代であり、
魔を退けることができる、呪術的植物の
代表として捉えられていたようです。
◼️「椿」という字は日本人が作った!
巨勢(こせ)山の つらつら椿 つらつらに
見つつ偲はな 巨勢の春野を
坂門人足(さかとのひとたり)
このように「椿」という漢字は
万葉集で初見されています。
⚫意味
大和の国から紀の国に向う山路で佇み、
春には咲き連ねる椿の美しさを
思い浮べて詠んでいます。
すでに奈良時代末期〜平安に
かけては「椿」という字が定着してきます。
なんとこの「椿」という漢字
驚くことに古代中国の漢字を
充てたのではなく、
春夏秋冬の季節感を大切にした
古代日本人が作った漢字とも云われ
春に咲く木という意味から「椿」
夏に「榎」
秋に「楸ひさぎ」
冬に「柊」
そして万葉期には草とみらていた
「萩」
が国字(和字)として作られたとする説が
牧野富太郎氏をはじめ
現代の定説となっています。
◼️日本の「椿」を決めた、思想家・荘子
古代中國の思想家、
荘子(紀元前369年頃 - 286年頃)が
記した内篇・逍遥遊より
上古、大椿(タイチン)なる者あり、
八千歳を以て春と為し、八千歳を秋と為す。
而(しこ)うして彭祖(ホウソ)は
乃(すなわ)ち今、久(ひさ)しきを以て
特(ひと)り聞(きこ)ゆ。
衆人これに匹(ひつ)せんとする、
亦(ま)た悲しからずや。
⚫訳
大昔、大椿という木があって、
八千年を春、八千年を秋としていた
ところが、(七百歳の)彭祖は現在
長命によって特に有名で、
人々は、長寿のことを話題にする時は
必ず彭祖をひきあいに出す。
何と悲しいことではないか。
上古時代の大椿という木は、
なんと八千年を春とし、
八千年を秋としていました。
後世、この一節から人の長寿を祝って
「椿寿ちんじゅ」という言葉が生まれ、
人が長生きすること、長寿の象徴と
されてきました。
この大椿はもちろん
実在する樹木ではないのですが、
(樹木でさえ無い可能性もあります。)
しかし長寿の霊木であると信じた
万葉期の日本人はこの「大椿だいちん」の
イメージと春の木「椿」を
重ねた事によって
日本の「椿」は、
迎春そして長寿、賀の樹木とされ
現在にいたっているのです。
★SOSHIN_NUMAJIRl instagram
次回は、
「万葉集や日本書紀の中の椿」
「東大寺二月堂・お水取りの椿」
「秀吉公、利休居士の茶の湯の椿」
をまとめて「椿」を終わりたいと思います。
敷松葉に覆われた腰掛待合
茶事の際
客は亭主の迎えがあるまで
腰掛待合で待ちます。
ひときわ目立つ大きな
足元の石は正客石です。
または貴人石と正客石を分ける
場合もあるようです。
腰掛待合には、
円座(えんざ)を重ねて置き、
莨盆(たばこぼん)を置きます。
冬には手焙(てあぶり)も置かれます。
大切なお客様をお迎えする
茶事のために、樋や四つ目垣、
棕櫚箒(しゅろぼうき)も
清新なものへ全て改められています。
茶事であれば
亭主が迎えにきてくれますが
飄として陌上の塵の如し
分散し風を逐いて転ず
此れ已に常の身に非ず
地に落ちて兄弟と為る
何ぞ必ずしも骨肉の親のみならん
歓を得ては当に楽しみを作すべし
斗酒 比隣(ひりん)を聚(あつ)む
盛年 重ねて来たらず
一日 再び晨(あした)なり難し
時に及んで当に勉励すべし
歳月 人を待たず
ピアッザ広場で開催された
パリ日本文化祭の「茶室」でした。
時代や職種の違ういかなる世界でも、
極めた方々は同じような
覚悟があります。
そこを横断的に學ぶことができるのも
茶道の懐の広さであり、素晴らしさだと
私は思います。
「無患子(むくろじ)の実」 12/6東京
羽根つきの起源は平安時代から行われていた
因みに左利きの人が毬杖を左手に持ったことから、ひだりぎっちょうの語源とする説もありました。
また正月の行事「左義長」にも関係あるようです。
羽根つきに関連した言葉が出て来るのは、
室町時代に伏見宮貞成親王が
あらわした「看聞日記」に
「正月五日に宮中で、こきの子勝負をした」
という記載があり、これが最初だとされています。
”コギ”または”コキ”とは
古代の中国で”トンボ”のことを表す言葉でした。
羽根つきの羽の飛ぶ様が”トンボ”に
似ていることから、それを突いて
遊ぶ板の羽子板は胡鬼板(こきいた)とも
呼ばれました。
昔から、蚊が病気を媒介することを認識していた人々は、トンボが蚊を食べることから
子供が蚊に刺されないようにと
厄除け・厄払いの願いを込め
正月に羽根つきが行われてきたようです。
因みに、羽根つきで負けたり、
正月あそびで負けると、顔に墨を塗りますが、
名残だと私は思っています。
◼️京菓子「鳥羽玉うばたま」
羽根つきに関する和菓子としては
「烏羽玉うばたま」があります。
江戸時代創業200年以上の歴史を持つ
京菓子司「亀屋良長」さんの銘菓です。
◼️「お正月シリーズ三部作」後記
前回の「薺・春の七草、大正月と小正月」、
お正月シリーズ三部作となりましたが、
残念ながら日本人の私にも
「こんな大人に誰がした!」と思うほど
沢山の発見ばかりでした。
ぜひ、皆さんの暮らしや心の中にも
あるいは、ご両親からお子様の心の中に
日本の伝統文化を生かしていただけたら
幸いです。
陶芸でご指導をいただいている
鈴木藏(おさむ)先生(志野 人間国宝)の展覧会
菊地寛実記念 智美術館に伺いました。
また
今回の展覧会には
鈴木藏の志野
「造化にしたがひて四時を友とす」
というタイトルがありました。
引用:図録より
これは地元岐阜県にゆかりある
俳聖 松尾芭蕉さんが記したと伝わっている
「笈の小文(おいのこぶみ)」の
序文の一節です。
⚫原文
しばらく身を立む事をねがへども、これが為に
さへられ、暫ク学で愚を暁ン事をおもへども、
是が為に破られ、つゐに無能無芸にして
唯此一筋に繋る。西行の和歌における、
宗祇の連歌における、雪舟の絵における、
利休が茶における、其貫道する物は一なり。
しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて
四時を友とす。見る処花にあらずといふ事なし。
おもふ所月にあらずといふ事なし。
像花にあらざる時は夷狄にひとし。
心花にあらざる時は鳥獣に類ス。
夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、
造化にかへれとなり。
⚫現代語訳
一度は立身出世を願ったこともあったが、
この俳諧というもののために遮られ、
または学問をして自分の愚かさを悟ろうともしたが、俳諧のために破られ、ついに無能無芸のまま、ただこの一筋をつらぬくことなった。
西行の和歌における、宗祇の連歌における、
雪舟の絵における、利休が茶における、
その道をつらぬく物は一つである。
しかも、俳諧というこの風雅の道は、
天地自然にしたがって四季折々の移り変わりを
友とすることである。
見るものすべてが花であり、
思う所すべてが月のように美しいというようで
なければならない。見るものに花を感じないなら
野蛮人であり心に花を思わないなら
鳥や獣と同類だ。野蛮人や鳥獣の境地を離れて、
天然自然に従い、天然自然に帰れというのだ。
引用:図録より
特に原文最後の
「造化にしたがひ、造化にかへれとなり。」
という部分について
があるのではないか?という観点も
会場の中に提言されていたように
記憶しています。
やきものは、人知を越えた世界に
度々出会う事ができます。
それは作為の規範を越えた世界です。
しかし炎任せではありません。
利休さんや織部さんが生きた
日本人が初めて作った
白いやきもの「志野」
それは万葉の時代から継承された日本人の風雅を内包し、映し出す器です。
緋色も釉調も全く表層に過ぎません。
それが真の「志野」の魅力なのだと
私は感じています。
引用:図録より
この志野香炉は2020年の最新作です。
先生の気迫が伝わってきました。
鈴木藏先生が到達した世界
そしてさらに、その先の世界への探究心。
一流の作品を見ることでしか
受ける事のできない
沢山の刺激をいただけた
素晴らしい展覧会でした。
このように陶芸だけでなく
茶道を學ぶ事で、日本の伝統工芸である
陶芸や茶碗も全く見方が変わります。
それは私達が、
日本人としての「礎」を
學べるからだと私は思います。
京都 北野天満宮にお詣りした帰り道
前回皆さんにご紹介した
山人艸果「橙糖珠」をもとめる為に
上七軒茶屋街を通り、老松さんに伺いました。
上七軒のシンボルマークは
御手洗(みたらし)団子です。
室町時代、北野天満宮を修築した資材の残りで、
この地に7軒の水茶屋を建築し
「七軒茶屋」から始まったそうです。
上七軒は京都でも最も歴史の古い花街として
知られています。
老松さんの北野店で購入しました。
「山人艸果さんじんそうか」
樹果は人をして
山を愛せしむるに
足るものがある
樹果即ち菓子
と書いてあり、
この絵の解説には
葉盤(ひらて)
古代菓子は、木の葉を円くつないだ
この皿に供した。と解説がありました。
さらに詳しく「葉盤」を調べて見ると
菜菓などを盛って神に供えた器のこと。
数枚の柏(かしわ)の葉を竹ひごなどで刺し
とじて円く作ったもの。
後世、この形の土器(かわらけ)をもいう。
枚次(ひらすき)。とも云う。
また《日本書紀》神武紀には大嘗祭に
カシワの葉を綴り合わせた〈葉盤(ひらで)〉を
もって神饌を供えることが書かれている。
また上加茂神社などに,
やはり祭祀用神饌具として葉盤を用いる
伝統がある。とありました。
小紫陽花(こあじさい) 11/3山梨県
皆様こんにちは
今回も茶花から、茶道や日本の文化
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
今回は【紫陽花(あじさい) 】です。
紫陽花の原種は日本に自生する
額紫陽花(がくあじさい)です。
また紫陽花の中で紅葉するのは
小紫陽花、柏葉紫陽花、山紫陽花 などが
知られています。
◼️紫陽花を愛でる、それは新しい感覚
紫陽花の歌は万葉集に二首あるのみで、
平安時代にもほとんど詠まれていません。
あぢさゐの 花のよひらに もる月を
影もさながら 折る身ともがな
源俊頼
この「影」は水面に映った月光です。
紫陽花の繁みを洩れた月の光が、
池の水面に四ひらの花のように映じています。
その影をさながら折り取ることができたら、
という幻想を詠んでいます。
前回の記事
【村上天皇と定家の「月と茅」それは月見の起源】をお読みいただいた方には
理解しやすいと思いますが、
源俊頼は平安後期の歌人です。
すでに『月』への美意識は
しっかりと確立されて
いたことがこの歌からもわかります。
しかし、紫陽花への美意識は
まだまだほど遠く、それは昭和に入ってから
各地の寺に紫陽花が植えられてからだと
云われています。
◼️紫陽花の寺
鎌倉の古寺と紫陽花はとても似合いますね。
今回は代表的な紫陽花の有名なお寺
を紹介します。
鎌倉 長谷寺
鎌倉 東慶寺
鎌倉の紫陽花見物の帰りには、明月院さんから
歩いて10分「御菓子司こまき」さんで
私も和菓子と抹茶をいただきたいと思います。
炉開きが終わり
新茶の味わいが舌に馴染む師走。
一面に敷き詰める「敷松葉」の
侘びた景色が見られます。
.
本来、霜で苔が傷むのを防ぐための
冬の装い「敷松葉」は、
今日では茶の湯の大切な風情となっています。
この「敷松葉」にも
種類があります。
点前、菓子、花、懐石、様々な
茶の湯のもてなしの中でも
特に露地のもてなしこそ
長い時間をかけなければできない
茶の湯の中でも一番の難しさでもあり
そこが醍醐味だと皆さんに認識
してもらえたら嬉しいです。
金柑(きんかん) 3/30撮影 神奈川県
桜蓼 (さくらたで) 10/14箱根
柚子(ゆず) ミカン科 10/21神奈川
◼️侘び茶のシンボル「柚子」
『茶話指月集』の中では
利休ハ柚の色つくを見て口切を催し
古織は樅(もみ)のわか葉の出る此、
風炉の茶の湯よしを申されき
またこの中では
大坂のわび茶人が「柚みそ」で
利休をもてなしたところ
「わびのもてなし、一段と面白い」 と
記録されています。
このように深まる秋と共に
だんだんと色づき野趣に富む柚は、
茶の湯の中の「わび」の象徴でも
あったようです。
丸葉禎祥草(まるばていしょうそう)キク科
11/16つくば市
皆様こんにちは
今回も茶花から、茶道や日本の文化
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
今回は【禎祥草(ていしょうそう)】です。
日本の固有種で、
千葉〜四国などの太平洋側の
林内などに自生しています。
名前の由来はハッキリしませんが、
禎祥とは、めでたいしるし。よいしらせ。
瑞祥や吉兆などと同様に
めでたい前ぶれという意味がある
名前のついた植物です。
◼️茶の湯の中に見るハレ
皆さんはいくつ分かりますか?
瑞雲ずいうん
めでたい兆しとして出現する
紫色や五色の珍しい雲
祥瑞しょんずい
縁起のよい前兆
中国,明代末頃に日本の茶人から
注文され焼成された染付磁器。
器底に「五良大甫」「呉祥瑞造」の
縦書き2行の染付銘があるところから
この名が起った。
いろどりの美しいおおとり。五色の鳳凰(ほうおう)
慶雲けいうん
めでたい時に現れる瑞兆で五色に彩られている
暄風けんぷう
春の風であり、陽風
椿壽ちんじゅ
大椿の長生きにあやかった長寿
嘉祥かしょう
目出度いしるし。幸運の徴候
新禧しんき
新年のよろこび。神から授けられる幸
頌春しょうしゅん
新春を褒め称えて言祝ぐ
『慶雲五彩を生ず』鵬雲斎大宗匠 初釜 結び柳・白椿・紅梅
古代中国では、聖天子と賢臣がこれを補佐して善政が行なわれ天下泰平・万民和楽の実があがると、天帝がこれを嘉よみして、五彩の色の雲をたなびかせると信じられていました。 .
因みに本日11/23は本来は、勤労感謝の日ではなく新嘗祭の日なのです。
.
山粟 イネ科 9/2箱根
皆様こんにちは
今回も茶花から、茶道や日本の文化
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
今回は【山粟(やまあわ) 】です。
名前の由来は、
花や穂の姿が粟に見える所から。
穀物にはなりません。
7/18
◼️万葉集の粟
足柄の 箱根の山に 粟蒔きて
実とはなれるを 粟無くもあやし
詠み人しらず
⚫訳
足柄(あしがら)の箱根の山に、
粟(あわ)をまいて実らせたように、
私の恋も実ったはずなのに、
逢えないのはどうしてなのか
◼️近代数奇者・茶人
根津嘉一郎氏の「粟餅ぜんざい」
根津嘉一郎氏
今まで近代数奇者・茶人として
や、
などをご紹介しましたが、
東武鉄道を手掛けた根津青山さんも
近代数奇者・茶人として有名ですね。
今は根津美術館にて、その御遺徳を偲び
ながら、私達も茶の湯を學ぶことができます。
高橋箒庵氏の『大正茶道記』『昭和茶道記』の
記録によれば、根津青山さんが席主で
毎年開かれた「歳暮茶会」には
温かい「粟餅ぜんざい」で
もてなしたと記録されています。
ちょうど炉開きの季節
今年は根津青山さんを見習って
「粟餅ぜんざい」でもてなしてみるのも
一興です。
和菓子博士!京都の鈴木宗博先生の著書は
オススメです。
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「稽古場茶道」ではなく、心と暮らしに生かせる茶道を學びましょう!
茨城・笠間茶道教室 体験講座受付中!
霜柱(しもばしら) シソ科 10/5 東京都
皆様こんにちは
今回も茶花から、茶道や日本の文化
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
今回は【霜柱(しもばしら) 】です。
関東〜九州の森林や渓流側に分布する
日本固有の植物です。
名前の由来は、
花の姿からではなく、枯れた茎の根元に
霜柱が出来るというのが由来です。
枯れた根元にできた霜柱 1/17
ちょうど11月12日頃は七十二候の
「地始凍(ちはじめてこおる)」です。
寒さで大地が凍り始める頃となりました。
谷深き 岩屋にたてる 霜柱
誰が冬籠る 住家なるらん
藤原光俊
⚫意味
谷深い岩屋に霜柱が立っている
誰が冬ごもりをする住家なのだろう
◼️私の思い出の和菓子。銘菓「霜ばしら」
私が茶道を始めたばかりの頃に
先生に振る舞って頂いた
思い出の菓子があります。
それがこちら
仙台の九重本舗玉澤さんの銘菓「霜ばしら」です。
霊峰 蔵王の嶺々が冬の粧いを整え、
麓にも霜柱が立ち始める頃に作られる
限定の和菓子。
菓子職人の手作業によって作られた菓子は
まるで本物の霜柱のようです。
また口に含むと、舌の上でとろける食感にも
当時、茶道初心者の私はとても驚きました。
このような
全国の素晴らしい菓子匠の技術に
触れる事ができるのも
茶道の魅力の一つですね。
和菓子博士!京都の鈴木宗博先生の著書は
オススメです。
↓↓↓
野葡萄のぶどう 9/20 神奈川県
皆様こんにちは
今回も茶花から、茶道や日本の文化
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
今回は【野葡萄のぶどう】です。
野葡萄の紅葉 12/3
実葛(さねかずら) 雌株 7/23 東京都
皆様こんにちは
今回も茶花から、茶道や日本の文化
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
今回は【実葛さねかずら】です。
雌雄異株で、関東以西に自生しています。
雄株 8/27 千葉県
秋の深まりと共に
実も葉も赤く変化していきます。
実葛の実 1/28 千葉県
名にし負はば 逢坂山のさねかづら
人に知られで くるよしもがな
三条右大臣 後撰集
⚫意味
恋しい人に逢える「逢坂山」
共にひと夜を過ごせる「小寝葛(さねかずら)」
その通りならば逢坂山のさねかずらを
たぐり寄せるように、ひと知れず
あなたを連れ出せればよいのに
サネカズラは、蔓の先が分かれ
絡み合うことから「後に会う」を意味し
いつまでも続く恋心が詠われています。
◼️自然の美(蔓草かずらぐさ)を取り入れた髪飾り
日本でも古代の頭飾具として
蔓草(かずらぐさ)を頭にかける習俗があり、
花や葉、珠などの飾りを花蔓、柳蔓、玉蔓などと
呼ぶようになり、そこから「かつら」の語が
派生したとされています。
鬘(かずら)帯とは能の装束で
幅3センチ、長さ2メートルくらいの
装飾的な帯。鉢巻きのように、鬘の上から締めて
後ろで結んで垂らす。高貴な女役に用いる。
鬘帯文様は「鬘(かずら)」は
つる草の連綿と続く、美の生命力の強さから
古くから着物や工芸の中に生かされてきました。
残念ながら茶道では髪飾りは用いません。
しかし、現代でも慎ましやかに
女性の帯や着物の中に自然の美は
しっかりと受け継がれているようです。
「稽古場茶道」ではなく、心と暮らしに生かせる茶道を學びましょう!
支那朮(しなおけら) キク科 09/04
皆様こんにちは
今回も茶花から、茶道や日本の文化
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
今回は【朮(おけら)】です。
◼️万葉集 朮(うけら)の歌
恋しけば袖も振らむを 武蔵野の
うけらが花の 色に出(づ)なゆめ
⚫意味
恋しいときは袖を振ったり
するでしょうけど 武蔵野の
オケラの花が咲くように
けっして気づかれることのないよう
顔には出さないで
◼️利休居士のケラ判
戦国武士の手紙や証書の
最後に描かれているマークは
花が咲いたように見える書体から、
「花押かおう」と呼ばれています。
利休居士の花押はオケラの姿に
似ていることから「ケラ判」と
よばれています。
利休居士はケラ判を含めて4つの花押を使い分けていたようです。
オケラ
茶の湯では道具と共に、今まで誰が
その道具を所持してきたか?というのを
箱書きや、書状に認め共に保管し
私たちの身近に考えてみれば
旅の思い出の品、家族や恩師、
友人にもらった品、あるいは祖母の着物などにも
様々な思い出や物語があるはずです。
そんな道具を生かして、
取り合わせ「見立」てみることは
自分の茶の湯を愉しくする第一歩です。
ぜひ暮らしの中の
茶の湯を愉しく工夫してみましょう。
晒菜升麻(さらしなしょうま) 9/6撮影 山梨県
皆様こんにちは
今回も茶花から、茶道や日本の文化
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
今回は
【晒菜升麻(さらしなしょうま)】です。
名前の由来は、若葉を茹で、
アク抜きのため水にさらし(晒し)てから
食べることからきた名前です。
◼️「麻の葉」印の背守り
日本では、千人針や吊るし雛、
茶道の茶巾など、針目には魔物を寄せ付けない
力が宿ると考えられています。
特に背中は守りの要であり、
背中から魔が入ると考えられてきました。
大人の着物には背縫いが、目となり
身を守ると信じられていましたが、
身幅を一幅の生地で仕立てた産着には
背縫いがありません。
そこで、背後から魔が入り込まないよう
糸で縫い、魔除けの印としたのが
「背守り」です。
神の依代となる麻の清浄な力、
丈夫な成長にあやかって
赤ちゃんの産着や子どもの着物に
茶道では四ケ伝から紋付きの着物で
稽古をしますが、私たち大人の着物の
家紋も決して伊達につけてる訳では
ありませんね。
また何故?茶道で用いる茶巾が麻布であり
縫い目が大切なのかも見えてきたかと
思います。
車百合(くるまゆり )ユリ科 7/13撮影 富士山
皆様こんにちは
今回も茶花から、茶道や日本の文化
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
今回は
【車百合くるまゆり】です。
名前の由来は、風に揺られる様から
「揺り〜ユリ」と呼ばれたという説があります。
車百合の実 9/17撮影 長野県池ノ平湿原
◼️百合の歌人・大伴家持
『万葉集』では百合の歌はわずか10首ですが、
その半数が大伴家持の作品です。
宴の席でユリの花を
あしらった髪飾りを贈られた家持は
さ百合花 ゆりも逢はむと 思へこそ
今のまさかも うるはしみすれ
大伴家持
⚫意味
百合(ゆり)の花というように、
また後(ゆり:のち)にもお会いしたいと
思うからこそ、今この時も
大切にしたいと思います。
◼️尾形乾山と益田鈍翁の百合とは?
豪放磊落なイメージがある益田鈍翁さんでしたので、私には「百合の向付」所蔵とは意外でした。
しかし益田鈍翁さんの経歴をみると私には見えてくるものがありました。
引用元: 益田鈍翁さん
益田鈍翁さん15歳の時、ジェームス・カーティス・ヘボンが横浜で開いた「ヘボン塾」を起源とする、日本最古のキリスト教主義学校(ミッションスクール/現在の明治学院)に通われていたからだろうと私は思っています。
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花筏(はないかだ) ミズキ科 8月撮影 天城山
皆様こんにちは
今回も茶花から、茶道や日本の文化
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
今回は
【花筏はないかだ】です。
花筏は北海道から九州まで
広い範囲に分布するミズキ科の落葉低木です。
名前の由来は、花や実が乗った葉を
筏に見立てたものといわれています。
雌雄異株なのですが、葉の上の花の数で
見分ける事が可能です。
雄株は一枚の葉に3〜6本以上の数の雄花を咲かせます
雌株は一枚の葉に一輪花
実を付けるのは雌株です。
実は熟すと黒くなり食用することができます。
◼️「花筏」の有為転変
ひさかたの 光のどけき 春の日に
静心なく 花の散るらむ
紀友則 古今和歌集
⚫意味
柔らかな春の日差しの中を、桜の花びらが散っていく。こんなのどかな春の一日に、花びらはどうしてこんなにあわただしく散っていくのか、静める心はないものか
室町時代の流行歌の歌詞を集めた
『閑吟集』1518年には
「吉野川の花筏 浮かれてこがれ候(そろ)よの 浮かれてこがれ候よの」という歌があり、「花筏」という言葉は室町以前から
あったと推測されています。
桜で有名な吉野は、吉野杉の産地であり、
筏を組んで川を下る
「筏流し」が盛んに行われました。
桜の花びらがひらひらと降りかかり
筏とともに川を流れる姿の中に
諸行無常を感じたのかもしれません。
茶道でも良く知られている
「高台寺蒔絵」の中にも花筏の文様があります。
花筏[はないかだ]高台寺
(桃山時代・重要文化財)
霊屋(おたまや)にある花筏(蒔絵)は
川の流れに筏を浮かべ、人間の生命(いのち)を
表現したものです。
あらゆるもの、私達の生命ですら一点に止まることなく流れている、お釈迦様の教えを見事に蒔絵に描かれた作品です。引用文:高台寺
花筏蒔絵 / 宗旦好写
藤原定家の歌で表現しました。
見渡せば 花も紅葉も なかりけり
浦の苫屋の 秋の夕暮
藤原定家
茶の湯の「侘」は誰の中にも
自然に宿っているものです。
それを學び覚醒し
一盌の茶で身近な方と共有できることが
茶の湯の素晴らしさです。
松村草(まつむらそう) イワタバコ科
11月25日撮影 つくば市
皆様こんにちは
今回も茶花から、茶道や日本の文化
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
今回は
【松村草まつむらそう】です。
松村草の実
名前の由来は植物学者の
松村 任三氏(まつむら じんぞう)に由来しています。
松村さんは私と同じ茨城県の出身で
小石川植物園の初代園長にして
牧野富太郎さんの師という
植物界の偉人なのです。
今回は松村草(まつむらそう)イワタバコ科
【イワタバコ】を取り上げます。
岩煙草(イワタバコ) 8月15日撮影 東京都御岳山
◼️万葉集の中の岩煙草(イワタバコ)
山萵苣(やまぢさ)の 白露しげみ
うらぶるる 心も深く わが恋やまず
柿本人麻呂
⚫意味
山ぢさの花が白露の重みにうなだれるように、
心も深くしおれて、
私の恋は止むことがありません。
この山萵苣(やまぢさ)が
岩煙草を指しています。
鵯花(ヒヨドリバナ) キク科フジバカマ属
8月29日撮影 榛山
皆様こんにちは
今回も茶花から、茶道や日本の文化
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
今回は
【鵯花ヒヨドリバナ】です。
原産は中国で、
日本では北海道〜九州まで分布しています。
ヒヨドリが里に来て鳴くころに花が
咲くことから鵯花ヒヨドリバナという名前が
付いています。
同属の秋の七草の藤袴との見分け方は
藤袴の葉は深く3裂(3枚に見える)する
部分でのみ可能なようで、とても難しいと
評判です。
今回は【鵯花ヒヨドリ〜山鳥】を
掘り下げてみます。
◼️平安貴族の流行!「鵯合せ」
平安時代の貴族の間では
ヒヨドリを飼うことが流行り、
鵯の鳴き声や羽毛の色、
籠の趣向の良し悪しなどを競い合う
「鵯合せ」が盛んに行われたといいます。
◼️和歌の中の山鳥は「明鏡止水」
万葉集の時代から山鳥が
数多く詠まれてきました。
【万葉集巻十四の東歌】
山鳥のをろの初麻(はつを)に鏡懸け
唱ふべみこそ汝に寄そりけ
⚫意味
山鳥の尾のように長い初麻に
鏡にかけて唱えて祈ったからこそ
あなたと寄り添えました
【枕草子】では
山鳥、友を恋ひて、鏡を見すれば慰むらむ、
心若ういとあわれなり。
谷隔てたるほどなど心苦し。
⚫意味
山鳥は、友達を恋したいて鏡を見せると
(鏡にうつった姿を友だちだと思って)
心が晴れるそうだが、
純粋でたいそう心をひかれる。
(夜になって山鳥の雌と雄が、)
谷を隔て(別々に暮らし)ている時などは、
かわいそうだ。
山鳥と鏡が数多く読まれてきた理由は、
光沢のある雄の山鳥の尾に、
(谷をへだてた雌の影がうつるというところから)
尾が光って影が映るのを鏡にみなしていったもの。異性への慕情のたとえなのです。
このように「山鳥の尾の鏡」を意識してみると
拾遺集 柿本人麿の有名な歌も
違って見えてきますね。
あしひきの
山鳥の尾のしだり尾の
ながながし夜をひとりかも寝む
山鳥の長く長く垂れ下がった
尾っぽのように長い夜の中に映る
慕情が見えてきませんか。
そんな万物を映す「鏡」「明鏡止水」は
茶道の中にも存分に生かされています。
まず柄杓を構えた際の「鏡柄杓」
まさに「明鏡止水」
蹲踞のたっぷりと溢れる豊かな水も
そして前回紹介した石水博物館の特別展に
「瀟湘八景図八角釜」があり、
釜蓋は銅鏡でした。
.
久しぶりに石水博物館に来ました。
皆さんは行った事はありますか?
ANAの新しい訓練施設には茶室や日本庭園が作られ、CAさんに茶道プログラムがあります。
しかし朝日新聞さんは、現在も茶の湯や陶芸など日本の伝統文化を支援しているなと感じます。
本展では、香雪美術館の珠玉の
コレクションの中から重要文化財1点と
重要美術品3点を含む名品を中心に、三重県ゆかりの数寄者・村山翁遺愛の茶道具を紹介します。
ゆったり落ちついた美しい空間で
これだけの量の一流の茶道具が見られる機会に
感激しました。
しかも入館料が500円!
もはや半泥子さんから
後世の我々日本人への茶道教育であり、奉仕です。
茶道の稽古をしている方には
丸壺茶入 銘 利休丸壺
南宋時代(重要美術品)
唐物茶入で瓶子蓋はなかなか見れませんから。
一重切花入
千利休 桃山時代
千利休が天正18年の小田原攻めに同道し,
伊豆韮山の竹をもって作った園城寺と共に
作った3作の内の1作。
井戸茶碗
燕庵井戸 朝鮮時代
その他出品リストや詳しい情報は
石水博物館サイトにあります。
道具を見れば村山龍平氏の道具の好みや、
どのような茶の湯だったのかな?と
谷先生が、館長の野村美術館10/24(土) - 12/13日(日) 野村得庵没後75年 茶の湯のわびと美」 はぜひ、伺いたいと思います。
10月20日は秋の土用入なので
「お伊勢参り」に来ました。
土用は古代中国から伝わった「陰陽五行思想」
陰陽五行思想では、
自然界は木・火・土・金・水の5つの
要素から成り立っていると考えます。
季節もこの5つの要素に当てはめて、
春は木、夏は火、秋は金、冬は水の気と
考えられました。
そして、土は季節の変わり目である
立春、立夏、立秋、立冬の前18日間に
割り当てられました。
この時季は土の気が盛んになるとされ、
「土旺用事」と呼ばれ、
それが「土用」となりました。
つまり、土用はそれぞれの季節の
変わり目にあたります。
この時季は体調を崩しやすく
土用の期間中は新しいことは始めず
【養生週間】のイメージですね。
因みに茶道や茶室の中にも
陰陽五行思想は生かされています。
裏千家なら中置「五行棚」
または茶室の陰陽など考えられています。
おかげさまで当日は
爽やかな秋晴れに恵まれました。
神宮内宮(ないくう)で神職の皆さんが
汚れを祓(はら)い心身を清める祭典
「大祓(おおはらえ)」も行われる
五十鈴川で身を清めさせていただきました。
透き通る水の中には小さな魚が
沢山泳いでいるのが見えます。
色づきはじめた紅葉と美しい五十鈴川を
動画撮影をしてきましたので
ぜひ御高覧ください。
帰りは伊勢名物 赤福さんを
いただきました。
平日でしたが、老若男女たくさんの方々が
お伊勢参りをしていました。
皆さんの願いが通じ
早く世の中が良くなることを
ご祈念しております。
筑紫見返草(つくしみかえりそう)
11月13日撮影 つくば市
おばあちゃんやお母さんの着物など
最後に和歌を味わいましょう。
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
いまひとたびの 逢ふこともがな
和泉式部
【意味】
老いさらばえて私は死の床にあります。
もうすぐ私は死ぬでしょう。
さいごの思い出に、もう一度だけ
あなたにお逢いしたいと思うばかりです。
見返りとは、振り返る事。
感性豊かで才色兼備と伝わる和泉式部も
詠んでいるのかも知れません。
燕万年青(ツバメオモト)ユリ科 6月19日撮影 尾瀬
皆様こんにちは
今回も茶花から、茶道や日本の文化
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
今回は
【燕万年青ツバメオモト】〜【万年青】です。
実りの秋
晩秋には様々な実がなりますが
北海道から本州の高地に自生する
燕万年青の瑠璃色の実は格別に美しいですね。
和名の由来には、
葉が万年青(オモト)に似ていて
実の色がツバメの色に似ていること
などの説があるようです。
実がなる頃には花茎を30センチ以上も立て、
このような綺麗な実がなりますから
やはり燕の説が似合いますね。
なんだか燕が飛び交うようです。
秋の燕万年青(ツバメオモト)ユリ科 引用
因みに万年青/スズラン亜科は
下記のような植物です。
古いお宅の庭には良く見かけますが、
その理由がありました。
万年青(オモト)の名前の由来には
常緑の葉を老母に、赤い実を子に見立てて、
老母が子を抱く姿に見なして
“母人”(おもと)という説があります。
万年青に関する和歌としては
万葉集に防人の歌として一句が伝わります。
父母が 殿の後方(のしりへ)の ももよ草
百代(ももよ)いでませ 我が来るまで
◼️訳
お父さんお母さん、屋敷の後ろに生えた
ももよ草のように、百代(百歳)まで
長生きしてください。私が防人から戻るまで
このももよ草が、屋敷の北側という場所から
推測され菊の類ではなく万年青ではないかとも
云われています。
◼️徳川家康公の引っ越し祝い
江戸城本丸完成を祝い三河の 長嶋長兵衛が
万年青を3鉢寄贈し徳川家康が
大変喜んだという逸話が残っています。
以来、引っ越し祝いやお祝いに
万年青を贈る習慣が江戸時代から盛んに育まれ、
今日まで伝わっています。
常緑で赤い実をつける生命力が
縁起の良い植物として華道では正月にも
用いられるようです。
華道では珍重される万年青ですが、
茶道では見かけた事がないのが不思議です。
婆蕎(ばあそぶ)ききょう科 8月28日撮影 つくば市
本阿弥光悦の黒楽茶碗にも
銘「姥捨」がありましたが、
なんだか「老い」とは
響きが良くないな〜と未熟な私は感じていました。
本阿弥光悦 黒楽茶碗 銘「水翁」頴川美術館蔵
しかし
月も出でで 闇に暮れたる 姨捨に
何とて今宵 尋ね来つらむ
更級日記 第八十六段
「更級日記」は菅原道真の子孫
菅原孝標女により平安時代中頃に
書かれた回想録です。
「更級」とは姥捨山のある長野県千曲市あたりの
地名で、今では更科と書きます。
更科の長楽寺は月見の名所とされています。
因みに島崎藤村も千曲に住んでいました。
それではこちらが舞台となっている
謡曲「姨捨 おばすて」のあらすじを
見てみましょう。
★SOSHIN_NUMAJIRl instagramその昔、更科の姨捨山に捨てられた、
老いた女の霊が、中秋の名月の夜
都から来た旅の男の前に姿を現します。
澄みきった夜空に輝く満月の光の下で
老女の霊が美しく舞うというものです。
能「姨捨」は、大和物語などを題材としつつも、
老女遺棄の悲惨な話としてではなく、
昔を恋ふる老女の思い出語りという
体裁に仕上げられています。
姥捨、卒塔婆小町、関寺小町とともに
三老女は「幽玄の極致」とされています。
.
馬籠宿の藤村記念館の石畳にひっそり
秋海棠が咲いていました
秋海棠という名は秋に海棠に似た色の花を
咲かせることからつけられたようです。
.
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茶の湯の花は
「花は野にあるように」
華道とは違いますね。
馬籠宿にはあちこちに素敵な秋の花がありました
9月26日の東京都庭園美術館での茶会には
どんな花が入れられるのか楽しみです
馬籠宿の秋海棠【Begonia grandis】
Flowers that can be used
for the tea ceremony.
At Magome, Nakatsugawa-shi, Gifu-ken
.
How to put flowers in the tea ceremony
"Like the flowers are in the field"
It's different from flower arrangement.
.
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Also, the types of flowers that can be
used are limited, and most of them are buds.
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.
笹葉銀蘭(ぎんらん)ラン科
7月7日撮影 霧ヶ峰八島湿原
皆様こんにちは
今回も茶花から、茶道や日本の文化
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
今回は【銀蘭ぎんらん】です。
黄色の金蘭に対し、白花を銀蘭としています。
日本原産の植物で北海道から九州まで広く分布し
明るい林内に自生しています。
蘭は現在ではラン科の植物をいい、
中国でも「四君子」(梅・菊・蘭・竹)の
ひとつに数えられ着物や工芸の中に
その紋様は数多く見られます。
君子とは徳と学識、礼儀を備えた人を
表しています。
古くは蘭草・蘭花は
キク科のフジバカマの類を指していうことが多く、またラン、フジバカマを含め
広く香りのよい草を全体を「蘭」と
呼んでいたようです。
詞書 蘭(らに)をよめる
新古今和歌集 巻第三 秋歌上 339
ふぢばかま ぬしはたれとも しら露の
こぼれてにほふ 野辺の秋風
公猷法師
◼️意味
藤袴よ。誰がぬぎかけたものか知らないが、
白露がこぼれるにつれてかぐわしく匂ってくる。
野辺の秋風に。
このように詞書は蘭(らに)ですが、
藤袴を詠んでいます。
また中国では「蘭草」が「藤袴」を
指しています。
これについては源氏物語や多くの和歌の
詠まれた平安時代でも
「藤袴」は古語として定着していましたが
「蘭らに」は未だ新語だった事も
理由の一つのようです。
銀蘭 6月7日撮影 山梨県芦川村
最後に大化の時代から数えて248番目に、
はじめて国書由来である 万葉集から生まれた
「令和」の一節を紹介します。
蝙蝠草(こうもりそう) キク科 9月1日撮影 富士山
こんにちは
今回も茶花から茶道や日本の文化、
工芸を一緒に學んでいきたいと思います。
本日は【蝙蝠草こうもりそう】です。
蝙蝠草は葉の形が
コウモリ(蝙蝠)の羽に似ている
ところから名付けられました。
本州から中国地方、四国など
様々な種類が広く分布しています。
コウモリは中国語では“蝙蝠 biānfú”と言い
“变福 biànfú”(福に変わる)と音が似ている
ため,慶事,幸運のしるしとされてきました。
または「幸(こう)盛り」や「幸守」もあり、
同音や似た音で縁起を担いだものですね。
百年以上生きたネズミがコウモリになる!
という伝説もあり、
長寿のシンボルとされる三千歳の桃と
蝙蝠の紋様の組み合わせ、
あるいは蝙蝠だけの紋様は
茶道具や工芸品の中に
至るところにありますから覚えておきましょう。
とくに私のお気に入りは
京唐紙の紋様で
蝙蝠桐 別名を光琳桐です。
蝙蝠達は活躍してくれそうです。
かはほりの 飛びかふ軒は くれそめて
猶くれやらぬ ゆふがほのはな
加藤千蔭
塊芋(ほどいも) マメ科 7月26日撮影 東京
塊芋(ほどいも) は明治時代に
北米から青森県へ輸入された
リンゴの苗木の土についてきたのが
日本の始まりとされています。
今では青森県で広く栽培されています。
マメ科なんですが、
塊茎(かいけい)がこのように
まるで芋です。
この塊芋、なんと原産国の北アメリカでは
ネイティブ・アメリカンの栄養源として
食されていたほど栄養価が高いそうです。
現代の日本では
芋といえばジャガイモやサツマイモ
だと思いますが
私の郷里茨城はホシイモが名産ですが、
江戸時代には
芋といえば里芋だったそうです。
今年は10月1日がちょうど
中秋の名月でしたが
皆さんは月を愛でる事はできましたか?
中秋の名月、
他に【芋名月】とも呼ばれています。
先日開催しました東京都庭園美術館
重要文化財茶室「光華」の
「重文わかる茶会」で特注しました
京風の月見団子は、そんな 里芋の形です。
里芋は親芋と小芋が一つの塊(かたまり)
となることから、八頭(やつがしら)と呼ばれ
江戸時代には子孫繁栄の縁起物として
贈り物だったそうです。
私の家では祖父が芽吹いた
八頭を観賞用に水耕で仕立てていました。
◼️最後に月の歌を紹介します。
秋風に たなびく雲の 絶えまより
もれ出づる月の 影のさやけさ
左京大夫顕輔
「心の文」という文章を残し
新たな美意識を確立した
わび茶の祖と云われる、村田珠光は
月も雲間のなきは嫌にて候
という有名な文章を残しています。
満月の皓々(こうこう)と輝く月よりも
雲の間に見え隠れする月の方が美しいと
伝えています。
いかがでしょうか?
300年以上も時代の違う
二人の美意識が同じですね!
そして
日本人の美意識が茶道として
古から未来へ繋がり
だから年齢にかかわらず
誰にとっても茶道は
本来楽しいはずのものです。
皆さんもぜひ一度
暮らしに生かし、心を豊かにする
楽しい茶道を体験してください。
立浪草/シソ科 7月14日撮影 長野県赤沢
立浪草は日本各地の半日陰の場所などに
広く分布しています。
花が 穂状に多数ついて
同じ方向に向いて咲く形と模様が
まるで北斎などに描かれる波頭の文様を
思わせることから由来しているそうです。
粋な名前のつけかたですね〜
葛飾北斎 富嶽三十六景《神奈川沖浪裏》(1831頃)
ことし
東京ミッドタウン・ホールで予定されていた
大規模な葛飾北斎展も2021年に
延期になりましが
来年を楽しみにしましょう。
会期中の茶会なら
江戸の粋!
大きな釣舟の花入に
立浪草をまさに波頭のように
入れてみたいですね。
もちろん富士釜にしましょう。
最後ににそんな立浪草に似合う
和歌を紹介します。
わたの原 漕ぎ出でて見れば
久かたの 雲ゐにまがふ 沖つ白波
法性寺入道前関白太政大臣
◼️意味
大海原に船で漕ぎ出し
ずっと遠くを眺めてみれば、
かなたに雲と見間違うばかりに
沖の白波が立っている
まさに北斎の作品にピッタリでした。
美意識は永遠ですね。
白花立浪草/シソ科 5月30日撮影 東京