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中村昌生先生から学んだ【茶室】とは何か?男の茶道/沼尻宗真

こうした今日の住宅が新しい町はもちろん、
古い町にも農村にも広がった。

確かに国土の景観は変貌し、
さらに拡大しつつある。

外国人がこうした
「日本の住宅はバラックだ」と評したと
聞いた。列車の中から家並みを眺めると
確かにそう見える。

これが戦後の復興の道を走り続けてきた
現況なのである。これだけ便利で
快適な住居がバラックに見えるのは
なぜであろう。

久々利休の茶室待庵を訪れ、ふと考えた。
簡素な素材で組み立てられた
木と土と紙の小空間、これも外国人は
バラックと言うのであろうか。

恐らく言わないだろう。
岡倉天心をしてギリシャの
パルテノンに並ぶ高い芸術性をもつ、
と言わしめた小建築である。

便利で快適な住居がバラックに
見えるのは、そこに日本の伝統の
背骨が貫かれていないからである。

日本人は昔から自然との共生を通じて、
あらゆる生活の知恵を生みだしてきた。
大気と共に呼吸し続ける家造りなのである。

戦後の住宅復興は、そうした大工技術を
放棄する道をたどってきた。

世界に比類のない大工技術を活用すること
こそ、住居に日本の伝統が蘇生し、
各地に日本の町並みや
家並みをよみがえらせる道であると
考えている。

京都工芸繊維大名誉教授 中村昌生
(出典 一部抜粋:京都新聞社 京都新聞文化会議)


私は裏千家学園時代に茶室を
中村昌生先生に学びました。

裏千家学園ではもちろん御家元や大宗匠の
授業をはじめ
座学は茶室の中村昌生先生、
伝統芸術の倉澤行洋先生、
陶磁器は学園の大先輩 赤沼多佳先生、
禅は大徳寺第530世住持 泉田老師、
熊倉功先生、末富の山口先生、能の種田先生、
瓢亭の高橋先生、庭園の尼崎博正先生、
野村美術館の谷晃先生、谷端昭夫先生
和歌の八木先生、書道の綾村先生、
茶室 飯島先生などなど(順不同)

すみません全員の先生を書ききれませんが
時代を代表する各分野の一流の先生方に
座学の指導をいただきました。

点前指導はもちろん毎日、業躰先生や
ベテラン講師の先生方です。

なので、点前だけ習う学校では無く、
茶道・日本文化・衣食住全てを学びます。

もちろん各種試験もあります。
それを毎日、早番は朝5時前には起床し
毎日着物、冬コート不可
完全寮生活で三年間過ごします。

茶懐石料理や和菓子作りの実習を含めた
日本文化全体の座学と、毎日が研究会の
ようなシビアな点前指導をいただける
日本唯一の学校です。

私が思っている
茶道観学園の各先生方に学んだ事を
自分なりにまとめたものです。

茶道の真髄を著しく難解にまとめるのも、
簡単にまとめるのも全ては
自らの茶道とは何か?次第。

分かんないからいつまでも
まとめないのが一番まずい

裏千家学園だから裏千家の事は
もちろんですが、茶道全体を学びます。

茶道とは何か?茶の湯とは何か?侘びとは何か?自ら掴まなければいけない場所
だと私は思います。



実地研修では大徳寺の茶室や、
織部好みの茶室そして最後は
国宝茶室「待庵」を見学し
中村先生の見解を伺う事ができました。

先生の授業は、
常に茶人の人となり
その美意識や、茶の湯観に焦点がありました。

その形を具現化したものが
茶室であるという事を私達に
熱心に教えてくれました。

つまり茶室は亭主そのものなんだと
今では見るようになりました。


また先生は愛知出身なので、多治見から来た
私に可児市の織部庵名古屋の
白鳥庭園の茶室などを教えてくれました。


織部庵



偶然そのいずれの茶室も私は茶席に
入った事があり話が弾みました。

名古屋も、そして岐阜県東濃地域も
中村先生が監修された茶室があるなんて
本当に素晴らしい街です。
首長が日本文化に精通してる街はいいですね。

中村先生から紹介されて
自分で見に行った茶室の中でも
特に思い出深いのは


庭もスタッフの方々も素晴らしい美術館です。

床には床框がなく全て「土床」なのです。

また茶室に内露地があり
中潜りが付いています。

それが後に、
今のように内露地、外露地などに分かれ
二重露地へと発展した事がよくわかります。

つまり先生があえて復元したこの茶室には
そんな歴史のヒントが沢山あります。
まさにそこも先生の信念である
伝統の蘇生なんだと思います。

「場」が生まれ〜そこに文化が育まれる


一畳台目の「今日庵」や
利休四畳半を再現した「又隠」を作った
宗旦居士の茶道観を考えながら
「梅隠」を見るのはとても参考になりました。


寒風吹きすさぶなか、中村昌生先生の
待庵と一体となった威厳ある姿は、
まさに利休居士そのものでした。

もうそれだけで、戦国の世の
利休居士の茶の湯がなんであったのかを
先生が私達に無言で教えてくれました。

先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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