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<< 茨城県陶芸美術館・上巳桃の茶会/現代の茶会・茶道/沼尻宗真・沼尻真一 | main | 利休忌と菜の花/沼尻真一 >>

茨城県陶芸美術館・現代の茶陶展・現代の茶会・ワークショップ総括/沼尻宗真・沼尻真一

 

 

板谷波山住工房兼住宅には床が無いので、

床をどのように作るかが、

今回の茶会の大きなポイントと考えました。

 

そして一つだけ私達が決めた事は、波山住宅

の中に、もう一つ別の箱をいれない事、

この波山先生が住んでいた雰囲気を大切に

その空間を生かして室礼する事と致しました。

 

 

床編

 

 

一月 正月茶会の床

 

 

オープニングの茶会、板谷波山先生の工房、

そして陶芸笠間の地をリスペクトし、

陶芸の象徴 「火」 を床荘りに。

 

長年使い込まれた陶芸の窯道具である

棚板とツクを、笠間の作家額賀さんから

お借りして、あくまでサラッとラフに

波山先生だったらと考えて床を作る。

 

寸切青竹の花入れは映画HAZANに倣い、

つくばの自宅の裏山から伐採し作ったもの。

 

あくまで松は真っ直ぐに。節をその場で

アドリブで抜き、そして松竹梅を入れる。

 

 

二月 節分茶会の床

 

 

長さ4mのムシロ琳派作品、海老澤さん筆。

表は金に染め、お多福さん。

裏は銀に染め、鬼。

 

お多福のおちょぼ口に、自宅の 椿一輪。

鬼には、自宅の池の 枯蓮。

 

吊りはもちろん、工事現場の虎ロープ。

 

本来冬季使い捨てのムシロを金銀に染め、

芸術に昇華させる。昭和までムシロ旗で

闘ってきた茨城の百姓/沼尻家の気概と

記憶。または琳派へのアンチテーゼ。

 

 

三月 上巳茶会の床

 

 

西王母と青い鳥三羽。海老澤さん筆。

大盃に桃。

桃花酒に本席の桃源郷が映る。

オーガンジー布に絵具が吸い込まれ

苦闘した海老澤さん筆が、

「光背」になる奇跡。

 

布は全長約15mそのウネリとヒラリで

西王母の存在を醸す。

 

 

 

本席編

 

 

正月茶会の本席

 

 

企画の段階から映画Hazanを何回か見て、

下館の波山記念館にも行った。

岡倉天心に寵愛を受け、久谷焼の産地である

石川県工業高校教諭という安定した職から、

陶芸家へ。

陶芸へ転身した後、食う米もままならない

極貧生活に陥った。

妻は大事にしていた着物を質に入れ、

米を得るシーンがある。

 

そんな子だくさんの波山家の正月。

質入前なら正月には皆で振り袖を通すだろう、

そんなエレジーが自分の中に動いた。

 

男の子用も用意した、やっぱり虎だ。

 

 

節分茶会の本席

 

 

大正生まれの祖母が、

「爺さん刈り取った稲の小田掛けやんなくちゃなぁ」なんて良く言ってた。

祖父は良く冬支度の為に、大きくて

分厚い手を上手に操りながら納屋で

ムシロ編んでいた。自分は横目で見て、

ジョイフル本田にあるよそんなの、何て

ぜんぜん手伝わなくて、だけど

霜が降りたらやたらと恩恵を受けていた。

 

二月になると節分・立春で、氏神様や

神棚に豆まきして、じいちゃんが

歳の数だけ豆食ったら、大変だろうな〜

ってコタツで見てた。

それから村の鎮守様が稲荷様だから、

初午に旗揚げと、そんな具合に二月は

農家も祭で忙しいという、自分の

実体験から生まれた室礼です。

 

日本で初めて亭主が躙口から

入って来るという、逆躙口を作りました。

火鉢を囲んで皆でホッコリしたいという

海老澤さんのアイデアです。

 

 

上巳茶会の本席

 

 

西王母の住む崑崙山には、三千歳に一度

不老不死の桃「蟠桃」が実るという。

 

鈴なりの桃が本席だけに圧迫感があるぐらい欲しい。

しかしヘリウムガスは規定の時間しか持たない、

前日は、下地をテグスで仕上げる。

 

近くのホテルに宿泊し、朝から一か八か

一気呵成にとにかく桃を実らせる事にのみ集中した。

 

茶の湯史上初、毛氈ではなく人工芝を用いた。

 

 

露地

 

 

モルタルのグレーに白い風船をフワッと

浮かべた景色を見て、

どこか懐かしい風景を見た気がした。

芝生がグリーンならなおのことだろう。

 

風に揺らぐ姿、その影を露地石に

見立て影踏みしながらつたうのも

面白そうだ。

 

露地は何のためにあるのか?庭園学の

尼崎博正先生に問われた事を思い出した。

尼崎先生と無鄰菴に一緒に行った事は、

忘れません。

庭作りは、排水が第一である。

 

 

 

「現代の茶会」と「侘びWABI」

 

 

「自給自足の茶」もっと簡単に言えば、

自分たちの手で実際にモノを作る

茶が、現代の茶ではないかと思います。

 

茶をするとなれば、道具が必要になるから

季節や趣向、点前や格に合わせた道具の

取り合わせが必要になる。

 

この道具の取り合わせだけでも生涯の

研鑽と知識を要する事は、

お茶を嗜む者は、理解していると思う。

故に何十年も稽古や茶の実践に励んでいる

数多くの先達がいるのだろう。

 

この点については従来の古典や

流儀を尊重した茶の形として

すでに成立し、広く普及している。

 

あえて「現代の茶」と括れば、

結局、古の茶人が茶室、釜、道具

などを特注で作ってきたように、

現代に生きる自分達が、様々な情報を

生かし、自らの手で作れるものは作る

という所に、完結できると自分は思う。

 

笠間益子→手仕事→健康的な美

 

という民芸思想を言うつもりではないが、

実は手仕事が奏でる琴線が茶の湯の

根底には確実に流れていると思っている。

 

逆を言えば、柳宗悦氏の唱えた民芸思想の

一端は確実に茶の湯文化に依るものです。

 

 

では「作る」となると芸術表現となるが、

しかし、茶が単なる芸術表現活動と

あきらかに違う所は、季節感、

点前や道具の格、道具の系譜による

取り合わせ、形態による取り合わせ、

趣向による妙、係る万物への畏敬の思い

などが強く存在する点だろう。

 

故に、茶の湯関係の美術館では、

道具の取り合わせ展示が非常に

興味をひくのである。

 

つまり取り合わせできなければ、

あるいは知らなければ、茶にならない、

という事も事実である。

 

 

そして何よりも優先されていることは、

あくまで「客をもてなす」という精神が

第一義であるという事だろう。

 

故に思うまま、何でもかんでもモノを、

作り手の主観や妄想心理で、

奇抜で面白ければ良いという、

自由な芸術表現とは

あきらかに解離するという事だろう。

 

つまり難解あるいは個人的な事情に

すればするほど、作品が面白くなる

芸術世界とはまったく別という事になる。

 

誤解無きように、

現代美術は現代美術として成立し

自分は好きですし、使える使えないを

云うつもりはありません。

 

しかし、茶の湯あるいは茶道具としての

生まれるプロセスは、まったく違うという

事です。

 

 

故に茶のいずれの規範を知る意味でも、

自分は古典が必要なのだと思う。

 

つまり桃山の茶はもともと自由であった、

だから茶は自由で良いなんて理論は、

まったくあてにならない。

 

生まれた時から、

茶の湯に自由は与えられていない。

 

故にここに

 

「茶がある、茶が無い」

 

という話になってくる。

 

それを自分なりに解釈すれば、つまり

それは「侘びWABI」があるかないか?

ではないかと思う。

 

「侘びWABI」を明確に表現する事は、

難しく、しかし実は簡単な部分もある。

 

 

それは、少なくとも日本人であれば

誰に教わる事なく、この「侘びWABI」の

感性が実は、誰にでも備わっているからだ。

 

あの茶の稽古は?茶事は?

実は何のためにしているのか考えた事はありますか?

あるいは先生に聞いた事はありますか?

 

自分は少なくとも茶の稽古、あるいは、

茶事を何のためにするのか?

と問われれば、

 

その一つに必ず

茶の湯の核心である「侘びWABI」を

体感するためだと思っている。

 

ここで「侘びWABI」とは言いましたが、

「寂さび」とは一言も自分は言って

無いのでお間違えなく。

 

お茶なんて「侘び寂び」だろ。

 

なんてステレオタイプの事を

高らかに主張して茶の活動している人が

いますが、自分はまったく違うと思います。

 

「侘び」「寂び」はまた別の意味なので、

自分は「侘びWABI」しか言いません。

 

 

あたりまえだが誰もがこの

「侘びWABI」日頃から意識して

感じていないし、あるいはあえて

この「侘びWABI」表現する機会が

ないだけだと思っている。

 

 

だから今回、世界初「侘びWABI」を

体感するためのワークショップを

まったくお茶が初めての方にあえて

開催させて頂いた。

 

皆が入れた花には明らかに、

自分自身の内部や記憶と向き合った

「侘びWABI」が表現されている。

 

レンゲに蓮

 

「侘びWABI」は日本人誰の中にもあり、

世界に誇れる感性だと思います。

 

それを五感で表現・体感できるものが

茶の湯なのです。

 

国際化社会を迎えた日本で、こんな素晴らしい感性を生涯眠らせて置くのはもったいない事です。

 

英会話を学ぶか、お茶を学ぶかだったら

やっぱりまずは日本人として、日本を学びたいから

お茶を習います。

 

日本人が「日本人としての誇りが無い」の

ではなく、自分も含め日本人教育を

受けた事が無いだけです。

 

畳の拭き方、掛け軸の名称や掛け方、日本画の素晴らしさ、陶磁器や漆の扱い方、日本家屋の建築技術の高さ、日本で自生する花々、着物や裂地などなど、日本で暮らす私達が当たり前に知っておくべきもの、義務教育で本来教えるべきものばかりです。

 

それを、お茶では知る事ができます。

もちろん学べるなら、お茶以外でも構いません。

 

しかし、残念ながら日本の学校では日本人になるための教育は皆無「0」です。

 

大学生になれば海外留学や旅行に行って、

肌で海外や言葉を実体験で知るのに、

子供のうちから西洋教育ばかりです。

 

そして生涯西洋教育上の価値観で

日本人なのに評価されます。

おかしくないですか?

 

戦後復興に尽力し、阪急電鉄、宝塚歌劇団を作り、

政治家であり茶人であった

小林一三氏は、各学校教育に「茶道」を

必須科目にするべきだと唱えました。

 

現在の学校クラブ活動のお茶で無くて、

教育としての授業だったら、

点前の順番・右左だけでない、

日本人教育もできたのでしょう。

 

やらされるお茶でなく、

自分の生活や、家族を豊かにする為のお茶、

自分に役立てるためのお茶の学び方が必ずあります。

 

今回の私達の活動が、皆さんの新しい選択肢や

新しい価値観につながれば幸いです。

 

 

沼尻真一


 ・沼尻真一の茶道や茶の湯に関する記事

https://profile.ameba.jp/ameba/chazenichimi

 

正月茶会・節分茶会・上巳茶会・ワークショップ

 

 

特攻を語れば右翼か。まぁしかし

祖母父が伝えてくれてたらいいでしょう。

特攻の地生まれですし。

 

 

 

茶の湯 風炉 二文字押切灰形 − 沼尻真一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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