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織田有楽斎の茶の湯・国宝茶室「如庵」・京都正伝永源院での茶事/沼尻真一 




織田信長の実弟、織田有楽斎は
天文16年1574年に尾張で生まれ、
名を長益といい、出家し有楽斎如庵と号した。

国宝茶室「如庵」は、元和4年(1618年)に、
織田有楽斎によって、京都・建仁寺の塔頭・
正伝院が再興された際に建造された茶室である。



沼尻真一

一説によれば庵主織田有楽斎の
クリスチャンネーム「Joan」から付けられたという。

杮葺き入母屋風の妻を正面に向け
二畳半台目の向切の茶室。



正面左側に袖壁を持つ土間庇を設け、
右躙り口、正面控えの間へ続く。

篠竹を打ち詰めた「有楽窓」、
古暦を腰に貼った「暦張り」も有名な茶室です。
 





織田有楽が亡くなったのが、
元和7年75歳なので
如庵完成からわずか3年程しか経っていない事からも
最晩年の集大成の茶室だと思われる。

実際に如庵で茶事を体感した感想は


・有楽作の茶杓と茶碗

茶杓の削りや折り撓めも素直だったが、
追取に鬆が入り、両横の竹で支えているような
瀟洒な雰囲気。

茶碗は赤楽、碗なり端反り。
茶溜、練り返しもきつく付いていた。


・鱗板の存在感

空間や導線が想像以上に広がりを見せる。

茶道口と給仕口を兼ねるこの勝手口から
給仕の動線に沿って斜行する壁を立て
足元には三角形の板畳「鱗板(うろこいた)」を敷く。


・点前座の前の板壁+火灯窓

亭主座の風炉先に中柱を立て板壁で仕切っている。

中柱と板壁で風炉先にある相伴席の半畳を点前畳と
区切るとともに下部は丸く切り欠いて
吹き通しにして相伴者の視線への配慮もぬかりない。

板壁の向こうは相伴席になるという事で
あきらかに、あの半畳に座れば、
別格になると思えるスペースだった。

やはりこのような相伴席をどのように
作るかも、千家の茶の湯とは違い
武家の茶の湯・茶室づくりでは
考えられていることが、燕庵や待庵などと
共通するように感じられる。


沼尻真一

・沼尻真一の陶棲



























































 

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