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寂連と光悦の村雨 ー 沼尻真一


  村雨の露もまだ干ぬ  
                          槇の葉に
        
     霧たちのぼる   秋の夕暮

                           寂蓮法師・八七


 あるいは三夕の和歌として知られている、


    寂しさは  その色としも 
                               なかりけり

        槇たつ山の   秋の夕暮



寂蓮のこの二つの和歌には
どちらも共通して「槇」が詠まれているが、その意味も
分からずに三夕の和歌を知っていた。

この寂蓮の和歌は、歌が詠まれる背景にあるものを
知る事が、実に必要だと自分に教えてくれた。


「光悦 村雨」の画像検索結果


自分は、「村雨」と聞いてまず本阿弥光悦の茶碗を思い出したが、
村雨という銘が、どこから付けられたのかは定かではない。

寂連1139-1202と、光悦1558-1637の
間には実に400年の隔たりがある。

しかし、寂連も光悦も共通して書家としての顔や
和歌に通じている事からも、光悦が
寂連を知っていることは当たり前だっただろうから、
寂連の和歌から影響されたのかもしれない。


雨の降っているようにも、

あるいは色無き槙山がそそり立って

いるようにも見える光悦の茶碗の景色。

寂連と光悦を比べ、そこに浮かび上がる何かを
想像してみるのも、また面白い。

沼尻真一













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