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外側・内側 − 沼尻真一

   
同じ目線にならないと、
見えないものが世の中にはたくさんある。

生活をするために会社に仕えて、サラリーをもらい
業務の指示を忠実に遂行するというのは、
立派な仕事であり、それがサラリーマンである。

自分が生きていくために働くというのは
とっくのとうに過ぎていて、誰かの指示をもらって、
その指示に従うことが仕事だ、生きるだ、充実してる
なんて時代は、自分の中では記憶が喪失した。

しかし、それも当たり前にできなければいけない事で
契約書を作って弁護士と対等に打ち合わせ肉付けする、
または相手方と交渉し契約をまとめる、
あるいは指示を受け、自分の専門知識や技術を提供したり、
つくったりまたは連携して各社に協力してもらうなんざ、
どんな仕事でもあたりまえに、ぺーぺーの社会人として
しっかりとできなくてはいけないことだ。

が、それは全て外の世界に気が行ってることでもある。

つまりは、人の顔色を伺いながら生きることでもある。
だから周りが全て気になりだす。

あいつはこいつは今、何をしてるんだろう。
リアルでもフェイスブックやネットでも気になる。

共感も、仲間意識も生まれるだろうが、
妬み、僻み、コンプレックスも生まれる。


生きるために食うためにサラリーマンをするまでは、
いいが、結局仕事がその人のライフスタイルや
人格や習慣まで決定していく。

ただ、自分が何をするべきか、何のために生まれてきたか
何に命を使うか、やらなければいけないか、
どのような生き様をしなければいけないか、
何のために生まれてきたか
自分の内面を見つけることは一生ない。

自分は人の記事を読んだことがない。
人が何をしていても全ていいと思う。
思う通りに生きればいい。

ただ、同じ修羅場をくぐったり、同じ志
同じステージに上ってなければ、人の生き方を
理解することも、
「あなたは何で、そんなことをしているんですか?」
「あなたは何で、そんな生き方をしているんですか?
なんて聞くこともできないことだけは、肝に銘じておく。

中には、やらなければいけない年代に
すでに20代でもおばさんおじさんになっていて、
通り過ぎて取り返せない生き様もすでにある。

内側に向かっている人間と、
外側に内側が支配されている人間では
理解しあうのは無理がある。
同じ美意識も美の景色も、言語も音ももっていない。

人類平等だなんて小学生標語を信仰する
のではなく、付き合う時間を共有してしまう
人間の仕分けは必要である。

誰もゴミと過ごしたり、共生する必要はない。

口臭や体臭のように、誰も匂いが一番気になるから。












































 
 
 

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