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ブルーノ・タウト、テレンス・コンラン卿のテルマエ・ロマエ/沼尻真一

 
こうして日本人は、西洋よりもはなはだしく、様式の外面的模倣に
狂奔した。

そこで旧来のすぐれた伝統は断絶し、それと共に「質」の概念もまた
消失したのである。昔ながらの伝統に対するすぐれた感情はこれを
拒否したにもかかわらず、日本人は挙がって外国の文物の模倣に
明け暮れた。それは異国的であるが故に、彼らの興味をひいたからで
ある。

私たちは、日本で実に多くの美しいものを見た。しかしこの国の
近代的な発展や、近代的な力の赴く方向を考えると、
日本が何かおそろしい禍に脅かされているような気がしてならない。

1933年〜1935年の来日した
ブルーノ・タウトの日記

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1933年昭和8年の1月にヒトラーがドイツ首相となり、ナチス政権が誕生。
日本は「満州国」が国際連盟で不承認となると、国際連盟を脱退した。
のちの昭和12年日中戦争へと発展していく時代。
昭和8年に日本に亡命したタウトは、日本を旅した
日記の中でこのように記している。


その後は誰もが知っているように、第二次大戦により
日本の主要な大都市は空襲により焼け野原になった。

3.11も甚大な被害により数多くの家屋が失われた。


タウトは料理屋、旅館、住宅などの一部に
茶室的要素を取り入れることは
いかもの(なんちゃって)となると否定的に言っているが、
その元の茶室でさえ、100年という時の美が
刻まれることで初めて、価値をなしてくるのであり、
極論を言えば、新築の茶室でさえも
どれも最初は「なんちゃって」なのではないだろうか。

多湿な日本にあって、木造建築で100年経ってやっと
一人前というサバイバル感覚が日本の
建築物にはあるのだろう。

先日の二期倶楽部の代表の北山さんとの話の中で、
建築や空間が人をつくるという話をさせて頂いた。


それは、日本で初めて二期倶楽部東館のデザインを
テレンス・コンラン卿への依頼をした際に、北山さんが
オーダーした事。

それは部屋から目的の場所へは
常に屋外を通って移動するという事であった。
つまり従来の温泉施設のように、すべて雨風しのげて
館内だけの移動で終始しないというものである。

雨が降っても、雪が降っても
一歩
外に出ることは本当に「覚悟」がいることなのではないだろうか。
ましてそれがひとけの無い暗闇の中であればなおさら。

トイレもお風呂も昔は別棟にあって、しんしんと冷える冬でも
幽霊タイムの丑三つ時でも、
一度、
てめぇの体を戸外に放りださないと、
用がたせない始末となっていた。

平成の世だと言うのに、実は自分の家もいまだに風呂に入るのに、
いちいち外に出なくちゃたどり着かない。

だから雨でも夜でも、たかだかリラックスしたくて風呂に
いくのに、あえて「追いはぎ」や「獣」に襲われはしないかと
いつどこから何が来ても対処できるように
毎晩「覚悟」を決めて風呂に行くこととなる。

もともと日本では神道の風習で、
川や滝で行われた沐浴で
禊(みそぎ)の慣習が風呂に入るという行為になったんだから
文句を言わず、ガンジス川より那智の滝よりましだからと
知識があれば。


あらためて建築が人をつくるという感覚。
つまりそれは環境が人をつくるという事である。

建築、空間、家族、村や町、自然、周りの住民、
学校などなどである。

三つ子の魂百までもだけでなく、
孔子の孟母三遷
虎穴に入らずんば、虎子を得ず、
近墨必緇、近朱必赤
という話がある。

大の大人になっても、年を重ねても、
いつからでも人間は周りに望む環境を
つくる努力、浸す努力をしていく事で
吸収し変化することができるだろう。

人間の器は限られているが、多くのものを
ぶらさげ持ち過ぎているのに気づかず、
自然に見えたとしても、実は自分の思い過ごしの
誤解で、悪影響を持ち続けている場合の方が多い
そのために取捨選択、英断が必要である。

それには良い影響がどういうものか
自分が知っているということが必要だろう。


沼尻真一



















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