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二期倶楽部で朝食を。 北山ひとみさんからリルケもだって/沼尻真一

 
北山ひとみさん

学校の先生、家、近所の変わった人、親戚の変わったおじさんなどなど
世の中は怖いものばかりでした。
 
だから多様性がもう子供の頃から身について。

でもとってもそのおじさんは素敵だった。
私たちが子供の頃、家族の前に
ある日突然現れたかと思えば、舶来の品をお土産に買ってきてくれたりして。

着ているものなんかも、ホントに素敵で。
親戚が集まったときなど
怪訝そうな私をみると、私にばっかりちょっかい出してきて。
それが恥ずかしいやら、ちょっと興味深いやらで。

でも威厳のある父から叱られるとまたプイッといなくなってしまう。
そんな風来坊的な人が、世の中には大勢いた時代がありました。

そんな人が違う文化を持ってきたりしていましたよ。


沼尻

それって、山田洋二監督の映画「母べぇ」の鶴瓶さんみたいですね。

僕は子供の頃、何が怖いって家が怖かったですよ。
暗くて、外の外灯の下で祖父が帰ってくるの待ってました。

北山さん
それリルケも言ってますよ。
 
北山さんにまた一つ教えてもらうことができました。
世の中は狭い門です。
 
 
ライナー・マリア・リルケは、知られているように幼い頃、
自らを女児であることを自ら演出した。そうすることは、
母の願いに叶うことでもあり、リルケが母と深い絆を保つ
最高の手段でもあった。
幾部屋もあって、幼い子供には迷宮のような館に生まれ
育ったリルケ。孤高を保つ祖父と権威を示そうとする祖母、
仕事にかまける父、そして実務にはうとい母。そして使用人たち。

 
誤解されがちであるが、『マルテの手記』は、小説である。
一応、小説のモデルもある。そうと程度にリルケの
思い入れが読み取れそうに思えるし、実際、そうした誘惑に
駆られることもこの「手記」を読むとしばしばである。
われわれは読むうちについ、「リルケの手記」であるかの
ように読んでしまうのだ。
 が、しかし、そんな誤読など、どれほどの非難に値しようか。
リルケ研究の専門家になろうとするわけではないのだから、
思いっきり「リルケの手記」の世界に没入していけばいいのだ。
誤読を恐れてはいけない。実際、安部公房もそのように
読んでいたのではなかったろう。


何一つ見えない暗黒な夜。
何一つ映らない窓。注意深く閉ざされた扉。
昔のままの調度。ただ次々に引渡され、認知されただけで、誰にも理解されたこと
のない部屋の道具類。階段のひっそりした静寂。隣室のもの音もせぬ沈黙。屋
根裏もしんかんと静まり返っている。ああ、子供のころ、このような切ない静
けさを救ってくれたのは、ただ一人僕の母があっただけだ。母やこの静けさを
いつもか弱い自分の身に引受けて、ちっとも怖いことなんかないんだよ、しい
んとしているのはお母さんだからね、と言ってくれたりした。夜ふけの静けさ
におびえきって、息が詰まりそうな子供のために、母は暗闇の中で、自分があ
のしいんとした静けさだと言ってきかせる勇気を持っていたのだ。(p.78-79)









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