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茶道 武者小路千家 千宗屋氏と美濃焼へうげもの茶碗/茶道・現代アート・茶碗 − 沼尻真一

 
唐物茶碗から和物茶碗へ移る歴史は
唐物の天目茶碗の写しから始まりました。
 
愛知県瀬戸市の瀬戸窯が鎌倉時代後期から室町時代
初期頃に茶陶の生産を始めたのを起点として、
桃山時代には日本でしか生まれない、独自の茶碗が
焼かれるようになります。
 
それが美濃焼の瀬戸黒茶碗、楽茶碗に見られる
天目形を脱した「半筒形」の茶碗でした。
 
和物茶碗最大の特徴となる半筒形がどのように生まれたかは
判然としませんが、16世紀から17世紀初頭にかけてをピークとして
美濃焼の黄瀬戸、瀬戸黒、志野、織部と楽焼という和物茶碗が
盛んに作られ、茶人の間で大いに用いられたのです。
 
それは必ずしも関白秀吉や武将たちの上流階級ばかりでなく、
特別富裕でない一般の町衆たちにも支えられた美意識だったはずです。
 
初期の美濃の陶工たちが、茶の湯の規範や茶人のディレクションとは
関係なく、時代意識と呼ぶしかないものを背景に作り出した茶碗には、
雄渾で自由な造形意識が横溢しています。
 
その規範を超えた自由さにこそ、桃山の茶人たちは魅了されたのでしょう。
 
■武者小路千家 千宗屋氏 

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抹茶茶碗の聖地である美濃なのに、
なぜか、千家の茶道と美濃の抹茶茶碗が
あいまみれないのかを疑問に思い、
先日下記のように自分なりの体験から述べましたが、
 
 
上記の千宗屋さんの話を見ると、大方同じように
見られていると感じました。

しかし、この美濃抹茶茶碗と千家茶道の関係の疑問を
特に説明してくれた方はいませんでしたが、
美濃の陶工の先生方を見ていてその気概から
読み取れたというのは、やはりこの場所に
日本のやきもののルネッサンスを起こした場所として
根底に流れている誇りがあるからなのだろうと思います。
 
また今も、平成の茶人を魅了できる現代の茶碗が
茶人、陶工との見立ての中でセレンディピティ
生まれていけばと思います。

※茶の湯は常に現代であるはずなのに
  いつから古典に限るになってしまったのか、
  古いものと新しいものを同居させていくのが
  本来の推進力のような気がします。


沼尻真一





























 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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