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陶芸と現代美術

JUGEMテーマ:アート・デザイン
 
 
 
粘土は表現に限界がある。
彫刻家は何を表現したいかで、石、金属、木、粘土から
自由に選んで、最適だと思えば粘土を表現するだけだという。
では陶芸作家はどうだろう。
 
はじめから粘土ありきでものを考えてつくる。
制約の多い粘土だから、制約がでてきたら
理想を変える。妥協する。我慢する。
 
いや我慢するのではなく、受け入れていれば
我慢ではなくなるのかもしれない。
 
イマジネーションがあって本来つくりたいものがあるけど
制約が多くてつくれないから、それを受け入れ
少しUターンさせて作る。
そんな制約の多い抑制された世界が工芸で、
現代美術とは一線を置かれている。
 
アントニオ猪木VSモハメドアリのように
異種格闘技では同じリングに立ったら
方やなんでもありの現代美術に
圧倒的に不利というわけだ。
 
粘土で作らなくてもいいのにと思うような
作品まで粘土でつくるのか?とよく聞く。
どこまでが、その限界だろうか?
では逆に、
この作品こそは粘土でつくるべきだという話は
聞いたことがないというのはなぜだろうか?
時代が進化して、もはや
粘土にだけできることが無くなったせいだろう。
 
漆器でワイングラスをつくるような
違和感ありのたくましい世の中において。
複雑だけど軽くできる。
陶磁器からプラスチックに置き換わって
需要がなくなるのも、こんな所に答えが
あるのかも知れない。
 
では制約の多い陶芸界がそれでも
前衛だアバンギャルドだって、現代美術よりも
やんちゃに主張できたのは、
やっぱり人間国宝のおかげではなかろうか?
現代美術にも人間国宝がでれば
まったく違った世の中になるはずだ。
 
つまり伝統工芸というお父さんの足元で
やんちゃに遊びまわる子供たちが
陶芸のアバンギャルド、もっと言えばオブジェ
ではないだろうか?
伝統工芸という分野が日本で確立されていなかったら
どんなに人類はじめての創造が縄文土器だとしても
やっぱりその前に狩猟するための鏃、つまり
石工が先だとなってしまうのかもしれない。
 
美術や芸術という言葉も、まったく人間がいい加減に
カテゴリーに直訳しただけの話でなんの根拠もない。
神術だろうが、心術だろうがなんでも良かった。
 
陶芸という伝統工芸がなければ
ただの一表現素材として粘土というものがあるだけだろう。
 
グラフィックデザインや他のデザインから見ても
陶芸の表現が新しい表現に見えたり、
なにか精神的な意味を持っていたりするようには
全然見えないということも、
伝統工芸という垣根も取り去って
あっちこっち全部フラットにしてみれば
古臭く感じることが多い。
伝統だろうがクラフトだろうがそんな細かい
話は、テレビ業界の逆さ言葉のようでなんか違和感を感じる。
 
また現代美術の作品もなにかを感じてあげる
必要なんて、作家の個人的事情を
わざわざ金を払ってまで
分かってあげる必要もない。
見ておもしろければそれでいい
 
極論を言えば、何でもありの表現という世界の中で
現代美術や歴史的美術と闘えるのは
器に宇宙を見る茶碗ぐらいしかないだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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