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京都に住むアメリカ人の視点からの学び − 沼尻真一

JUGEMテーマ:アート・デザイン
 

残念ながら京都という町は病気です。
京都に移ってまもなく、その「病気」に気が付きました。

友人に「京都の堕落はいつから始まったのでしょう?」と
聞くと、彼らは「大体江戸初期からだ」と答えるではありませんか!

それから京都はずっと江戸に対して深い嫉妬心を抱き、
明治になって首都が東京に移った時から京都は
自己嫌悪に陥ってしまったのではないかと思います。

京都は京都が嫌いなのです。

京都市民は京都は「東京」ではないという事実に耐えられません。
なるべく東京に近づこうとしていますが、それでも京都は
東京に追いつかない、という情けない気持ちになっています。

              *

この話や文体はアメリカ人特有のものかと思いますが、
実際に日本学に精通した京都に住んだアメリカ人の
とってもストレートな表現と意見なので気になり
取り上げました。

逆に京都の方からは、何千年という歴史から見れば、
天皇さんはちょっと東京に出張にいっているようなものだと
聞いたことがあります。

地方から見れば、東京も京都も違った魅力のある場所ですが、
やはり一番であったというプライドが
様々な気持ちを産むものだと感じます。

つくば市内でも東西南北の地質が違い適した野菜も違う
ぐらいですから、まして関東、関西という遠距離で
気候も風土も違う場所で、同じところをせめぎ合う必要が
ないといういうことでしょう。

京都に相応しい、東京に相応しい最適な
進む場所があるのと同じように、人間ひとりひとりにも
最適な道や場所があると思います。

    ・自然×OO+自意識 = 進む道

    ・自然×OO+無意識 = 回り道

それは生まれ育った場所や環境もあれば、縁もあれば、
環境もあれば、努力もあれば、運もあれば
といったところで最後は意識を持って定まって
くるのではないでしょうか。


              *

人間を宇宙、世界の中心におき、人間の「理性」によって全存在を分類し、
意味づけるといった人為的作為的な科学の生き方の方向をとるのではななく、
日本的美意識とは人間をも含めて、すべてをあるがまま、
なるままの全体的自然として置くことである。

本来一体となっている自然にわざわざ裂け目を入れる
小さな人間のなまじの知性や理性を排除し、
全存在の中へ人間及び自分自身を溶け込ませてゆくことによって、
美的法悦の境地に達することができる「あはれ」の感覚


              *

沼尻真一















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