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遣唐使から、日宋貿易そして、宋代の白磁へ − 沼尻真一

JUGEMテーマ:アート・デザイン

遣唐使は630年〜838年までの約200年以上にわたり、
20年に一回、当時の先進国であった
の文化や制度、
そして
仏教の日本への伝播に大いに貢献した事は
良く知られています。

唐が滅んだのちも、唐の後の宋(
960年 - 1279年)の
宋商船は三十数回も
肥前国大輪田泊(現在の神戸港の一部)へ
来航し、
日宋貿易を通じ、鎌倉時代には多くの宋人が住む
博多が拠点となり貿易が行われました。

宋側からは「唐物」といわれる
香料陶磁器書籍
南海産の鳥獣・医薬品・銅銭などが輸入され、
日本からは
刀剣・水銀・硫黄(いおう)・木材・
砂金などが輸出されていました。

僕の教科書でもある、宋代・白磁の杯も
おそらく
960年 - 1279年この辺りの輸入によって
日本に入ってきた可能性があります。

とくに日宋貿易を通じて輸入された銅銭、
最新の建築・
土木技術禅宗は日本の社会経済・
文化の諸分野に多大な影響を与えていました。
それにともなって、僧侶のなかには宋商船に便乗し
入宋する者もでてきたそうです。

1072年の入宋中の成仁(じょうじん)の日記
「参天台五大山記」には、神宗皇帝に謁見して
日本国が漢地のものを必要とする物貨は何か?との問いに
「香、薬、碗、錦、蘇芳(すほう)」なりと答え、日本における
唐物崇拝の実情が伺えます。
それ以降平安後期から、鎌倉時代も
唐物崇拝はまったく衰えることはなかったようです。

鎌倉時代(1185−1333)末期の元徳、元弘ごろに書かれた、
吉田兼好の「徒然草」にも記録が読み取れ、
吉田兼好にゆかりのある金沢文庫を発展させた
北条一族の武将で、金沢貞顕の墓石から発掘された骨壷が
宋の官窯で焼かれた、砧の青磁の壺であったという
エピソードも当時の唐物趣味が伺えます。

















































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