profile
selected entry
categories
links
archives
recent comment
others
<< 秋の美 − 沼尻真一 | main | つくばハーブ農園の夕景 >>

民藝運動・不自由と束縛から美が深くなる − 沼尻真一

JUGEMテーマ:アート・デザイン
 

実用品を「不自由な藝術」と呼びました。
実用ということに縛られているからであります、

かかる不自由さあるために、かえって現れて来る
美しさがあるのであります。

色々な束縛があるために、むしろ美しさが確実になって
くる場合があるのであります。

実は不自由とか束縛とかいうのは、人間の立場かする嘆きであって、
自然の立場に帰ってみますと、まるで違う見方が成立ちます。

用途に適うということは、必然の要求に応じるということであります。
材料の性質に制約されるということは、自然の贈物にまかせきるという
ことであります。
手法に服従するということは、当然な理法を守るということになります。
人間からすると不自由ともいえましょうが、自然からすると
一番当然な道を歩くことを意味します。

これに引きかえ人間の自由はとかく我儘で、かえってこれがために
自由が縛られることがしばしば起こります。

実用的な品物に美しさが見られるのは、背後にかかる法則が
働いているためであります。
これを他力の美しさと呼んでもよいでありましょう。

他力というのは人間を超えた力を指すのであります。

自然だとか伝統だとか理法だとか呼ぶものは、
凡てかかる大きな他力であります。
かかることへの従順さはこそは、
かえって美を生む大きな要因となるのであります。

これに反し人間の自由を言い張るとき、多くの場合
新たな不自由を甞めるでありましょう。

自力に立つ美術品で本当によい作品が少ないのは
この理由によるものであります。

・「手仕事の日本」柳宗悦 昭和18年

不自由という事が美しさを深め確実にするという事に関しては、
何も工藝の品だけに当てはまらないように感じてしまいます。

すべてを満たされている時に、幸福感を感じない事や
何もストレスがないという状態は、
かえって不健康な事だと思います。

腹八分目ではありませんが、
買えても買わない、持てても持たない、
欲しくても所有しない
そんな「欠けた部分」を、物でも心でも
いつも持っていたいと僕は思います。

憧れをずっと追いたいから、叶えたくないからなのかもしれませんし、
自分の準備が整っていないからという本能が働いていて
ストップさせているのかもしれないのですが、
そんな「欠け」をいつもどこかに気にしています。

刺激がさらなる刺激を求めるように、
欲に限度が無いように
刺激と欲の奴隷にならないために
身構えているのかもしれません。

化学調味料を使ったり、食したりするのを止めた頃から
薄味がより鮮明に分かるようになりました。
なので、今では外食をするときでも出汁がとられたものか
化学調味料なのか分かるようになってきましたし、
醤油などもかけなくても、食べれるようになってきました。

それは自分の舌をニュートラルな状態においておきたいと
思うのと同時に、口という場所が自分の体と直結する場所であり、
何を体内に入れるかという選択権は
すべて自分が決定できることであり、
それが、タバコであっても、覚せい剤であっても、
美味な料理であっても構わないわけですから、
これほど人間の煩悩や強欲が表れる
場所はないと思うわけであります。

口ほどは、とても本能的で
食事を取り入れる部分と、排泄する部分ほどは
人間の一番原始的でそこに理性をどう持ちえるかに興味があります。
それほど自分の脳や意思と直結している
場所なのではないかと思うのです。

食育という言葉の意味が良くわかりませんが、
恐らく、舌や口が荒廃するかどうかは幼少期に決まり、
それが荒廃することで
同じく脳や心、思考も荒廃するのではないかと思います。
一見すると学歴も高く、そうとは分からなくても
仕事ぶりや生き方、考え方の部分でかなり精神的に不安定で
刹那的な方を実際見たことがあります。

つまり、「口が品格を表す」といっても過言でないと思います。
それは、「香り」もそうですが。

刺激がさらにもっと強い刺激を欲する、
感じないからもっと強い刺激をもとめる

そんな「刺激のl闘争」に、
脳や心が迷いこまないようにしたいと思います。


























































コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック