profile
selected entry
categories
links
archives
recent comment
others
<< 柳宗悦・民藝運動 職人の功績 − 沼尻真一 | main | 民藝運動・品物が美しい理由 − 沼尻真一 >>

柳宗悦 柳宗理 民藝運動・日本民藝館 2 − 沼尻真一 

JUGEMテーマ:アート・デザイン


柳さんが亡くなった後、日本民藝館の品物の蒐集は行われていないようです。

そこで僕には疑問が浮かびました。
民藝運動が良い品物をつくる、職人や品物に光をあてて
いくという精神が一つの要素にあるのであれば、柳さんが亡くなったのちも、
日本民藝館は、その蒐集を続けていくべきだったのでは
ないだろうかという疑問です。

特に柳宗悦さんの長男であり、日本民藝館の館長もつとめられた
インダストリアルデザイナーの柳宗理さんやその他の息子さんなどが中心となり、
民藝運動の意思を受け継ぎ蒐集を継続されなかったのは、
なぜだろうという疑問もあわせて沸いてきました。

民藝運動の精神が、この国の世に広く浸透したため止めたのでしょうか。
そしてその運動が日本中に浸透し、役割を終えたからでしょうか?
それともパトロンとして支えたクラボウ・クラレ、大原美術館をつくった
実業家、大原孫三郎などの経済的な支援が終了してしまったためでしょうか?

柳宗理さんのデザインが僕も好きで、ナイフやフォーク、スプーンなどの
品物を使っていますが、そのどれもが工業製品であるにも、
関わらず「温かい」それこそ

一つ一つの「品物と対話」できる品ばかりです。

この点で、柳さんが蒐集された手仕事の品物と共通しています。

今の時点でわかっていませんが、なぜ民藝運動が終わってしまったのかは、
これからも理解してみたいテーマの一つです。

ただそこにヒントがあると思うことは、
柳宗理さんをはじめとした息子さんたちが、幼少の頃から民藝運動を
身近に見てきた者であれば、なるほど明らかにそこから派生していると
思われる仕事をされているという事だと思います。

父である柳宗悦さんと同じように、品物を蒐集するという活動ではなくとも
逆に今の時代にはそれぞれのその活動こそが
民藝運動をわかりやすく、身近に伝えられるという手段になっていったの
かもしれません。

・長男に
インダストリアルデザイナー柳宗理、次男に美術史家柳宗玄
三男に園芸家の
柳宗民。甥に染織家の柳悦孝、美術史家の石丸重治



















コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
トラックバック