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禅語【只管打坐】ただひたすらに座る!その二★男の茶道★沼尻宗真



前回は禅語【只管打坐】ただひたすらに座る!
その一から


密教を伝えた空海さん、最澄さんの

次のステップ


宋の時代に進んでいただきましたウインク




密教ではなく

禅宗全盛期の宋に渡り

二回目の帰朝後に、喫茶法を伝え


そして1215年に栄西さんが入滅


それから8年後


道元さんは1223年に入宋しました。


1227年に帰国後



【只管打坐しかんたざ】ただひたすらに座る!

日常生活そのものが修行である
という教えを説いていきます。




茶道にとても縁のあるのは
建仁寺や大徳寺です。
こちらは全て臨済宗ですねニコニコ

調べてみると

曹洞宗は一般民衆の間に広まり、
臨済宗は鎌倉幕府の庇護を受けたこともあり、
上級武士層に広まりました。

そこで、「臨済将軍、曹洞土民」と 
いわれたそうですびっくり

ちなみに臨済宗と曹洞宗の教えの違いは




13世紀ですから
やはり、まだこの頃の日本では
喫茶は、禅宗の僧侶はもちろん
武士や貴族、富裕層のものだったのでしょう。

その名残から、臨済宗に茶の湯文化が
現在でも密接なのだと思いますニコニコ


やはり私たちが、今の時代に
茶道をさせていただける事は
大変ありがたい事なんだな〜照れと感じます。


ちなみに15世紀に珠光さんが登場するまでの
一番分かりづらい
13〜14世紀の茶の湯の歴史も
この際いっきに
おさらいしていまいましょう爆笑


高山寺は日本ではじめて茶が作られた
場所として知られる。

栄西禅師が 宋から持ち帰った茶の実を
明恵上人につたえ、
山内で植え育てたところ、
修行の妨げとなる眠りを覚ます効果があるので
衆僧にすすめたという。


この栂尾の高山寺の境内や

その周辺に植えた茶の樹からできた茶が、

最も品質が良いとされ、鎌倉に住んでいた

武士たちも争って栂尾の茶を求めたそうです笑い泣き


鎌倉末期から南北朝にかけては、
寺院を中核とした茶園は京都からさらに広がり、
伊勢、伊賀、駿河、武蔵でも
栽培されるようになりました。

全国的に広まった茶の栽培は、

産地によって差があったため、

次第に茶の味を飲み比べが

行われるようになります。


14世紀になると、 


栂尾の茶を本茶といい、

それ以外の産地の茶を非茶といって

「本非の判断」を行い、

この茶の味を飲み分けて勝敗を競う遊び

「闘茶」に興じるようになりました。



武家のほか、公家や町人の間にも流行し、

鎌倉、京都をはじめ全国的に

闘茶や喫茶が行われるようになりました。




次回は、最終回ラブ

道元さんの映像や、まつわるお話を聞いて
皆さんなりの茶の湯の姿を
一緒に見つけましょう〜爆笑

→禅語【只管打坐】ただひたすらに座る!
 その一を見る


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