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黒い扉のある柿の蔵/蔵の流儀 − 沼尻真一




「柿と蔵」まさに日本的な風景だと感じます。
こんな風景を見ると本当に心が落ち着きます。

この蔵は大谷石で作られています。
大谷石の表面にノミの後がありますので、
機械ではなく、手で切り出されたものだと思います。

先日伺った、益子のパネムさんのパン工房
大谷石の石蔵でした。あれも手で切り出されていました。
大谷石の石蔵いいですね、固さの中にやわらかさがある。

大谷石は栃木県宇都宮市(旧大谷町)で採掘されて
いる石で、細目、中目、荒目があると聞きました。
この石倉は良い細目の大谷石が使われていると思います。

日本民藝館の西館長屋門は、この大谷石で屋根が葺かれて
いましたが、初めて見たときには驚きました。

採掘が本格的にはじまった江戸時代の中頃から、
機械化される1960年(昭和35年)頃までの道具といえば、
数本のツルハシ類と、石を運ぶときに使われた背負子(しょいこ)
ぐらいしかありませんでした。

ツルハシによる手掘り時代の採掘法では、
厚さ6寸×巾10寸×長さ3尺(18cm×30cm×90cm)を
1本掘るのに、ツルハシを3,600回も振るったといわれます。
また、1人の石切り職人の採掘量は、1日で約12本でした。

故に、手掘りの大谷石の蔵が今も残っているとすれば、
1960年代以前の代物であろうと考えられます。

 


感激したのは、この黒い扉です。
おそらく鉄製だと思いますが、ヨーロッパの古城でもありそうな
デザイン性だと思いました。良いデザインは西も東も関係なく
通用するのでしょう。
扉周りの石の処理も堂々としています。

傍には菊と松、この石倉をつくられた方のセンスの良さを感じます。








そして最後の締めに左に柚子。柑橘系ですね。

桜橘でしょうか。 
京都御所の左近の桜、右近の橘。
向かって右に桜、左に橘を飾る。
雛飾りでもそうですし、京都の寺社でもこの設えは多いですね。

桜=永遠、橘=忠誠の意味があり、
万葉集にも「橘は 実さへ花さへその葉さへ 枝に霜降れど いや常葉の木」と
詠まれているように、常緑なところから縁起がいいとされました。

この蔵を作った御仁はなかなかの粋な方とお見受けしました。

良い蔵を拝見させて頂きまして、ありがとうございました。











家蔵/蔵の流儀 − 沼尻真一

JUGEMテーマ:アート・デザイン


興味が向いていることは、
やはり意識に留まりやすくなるようで、
最近は様々な「蔵」に出会う機会が増えてきました。

茨城県内だけでなく地方に行っても
残念ながら蔵がとても少なくなってきています。

蔵に保管する品物が変わってきているでしょうし、
建物を維持するための負担もありますので、
壊してしまわれる場合もあるのだと思います。

しかし、
蔵ほど各々の家風や地方の特色の出る建物は
ありませんので、今後は特に残って欲しい建物の一つです。



たまたま自分が蔵のある家に育ちましたので、
まず家の蔵から紹介したいと思います。
この蔵ですが、築約100年ほどです。
居間からはいつも蔵を見ながら育ちました。

蔵というものは、風水という事ではありませんが
南向きの母屋が建ちますと、母屋の裏側つまり北側
厳密には北西に蔵が建つというのが
日本の昔ながらの家の建築になっています。

そして母屋の北西の部屋が
主の部屋になります。
確かに祖父はこの部屋に寝ていました。

食料を保管する場所としての機能から、やはり
この北西といのが、一番ものが腐りにくい場所であると
言うことですから、自然のなかからそのような
場所を先人の方たちは見つけていたのだと思います。

もし各地の蔵をみる機会がありましたら、
ぜひ母屋と蔵がどのような位置関係に建っているか
みるだけでも面白いと思います。

この蔵もまったくこの道理にしたがって、
母屋の裏、北西に建てられています。

構造としては、木造建築2階建てで、
1階は各々8畳ほどの2部屋に分かれておりまして、
一つは杉板貼りの床、もう一つは土間になっています。

この土間の方ですが、味噌部屋という名前がついておりまして
昔は味噌や醤油をつくり、保存して置く場所であったと聞いています。
この辺りでは、米だけでなく大豆や小麦を作っておりましたので
納豆はもちろん、味噌も醤油もすべて家で作っていたようです。
納豆までは、やはり記憶があります。

祖母がまだ元気な時は、糠漬け、白菜、瓜の漬物など
漬物部屋として、あるいは花梨酒、梅酒の貯蔵場として使っていました。
そのぐらいの場所なので、暗くひんやりとした空気が今も流れています。




もう一つの杉板貼りの部屋ですが、
2Fにあがるための急な階段がついており、
ここが蔵の入口となっています。

こちらには、収穫した米などを保管します。

小学校にあがる前、いたずらなどをした時には
よくこの蔵の中に閉じ込められ、出してほしいあまり
一生懸命泣いた記憶があります。
今考えると、真っ暗な蔵に閉じ込めるお仕置きというのは
DVや人権侵害のようにも感じてしまいます。

ここから急な階段を上がり、2階は大きな一間になっています。

2階は大きな梁がむき出しになっておりまして
とても開放感のある場所です。

自分の部屋が無かった中学生の頃は
ここにコタツを出して、英語や社会の勉強をしました。

今でもここで覚えた単語や年表を覚えていますので
押入れに隠れて遊ぶように、相当に静かな
心地よい場所だったんだと思います。

ただやはり蔵ですから、どこかカビくさいというか
空気がこもっている感じの違和感はありました。

ここは自分にとって博物館のような場所です。
置かれている物ももちろんですが、
空気まで当時の息吹を感じる事ができます。

子供の頃にクレヨンで書いた絵や、蓋の破けたランドセル、
大きな鯉のぼり、自分のものだけでもいくつか
祖父母がとっておいてくれたと気づいた時には
ありがたい気持ちになりました。



その他目立つものとして、古い桐の箪笥が三棹あります。
いずれもこの家に嫁いできた、曾祖母などの箪笥です。
ミイラの箱のように長持なども一緒に置かれています。

どこの蔵にも骨董的な価値があるものはないと思いますが、
蔵に何気なくしまわれてこのような埃をかぶった
箪笥の一つ一つに物語があるところが
面白さなのではないでしょうか。

今は亡き人でもその存在を改めて感じることができる
場所、それが蔵という場所なのかもしれません。