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岩清水八幡宮 − 沼尻真一




八幡宮(はちまんぐう)は、八幡神を祭神とする神社。
八幡神社、八幡社、八幡さまとも表記・呼称される。
全国に約44,000社あり、大分県宇佐市の宇佐神宮に起源があり
宇佐神宮を総本社とする。


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三重の伊勢神宮、京都の賀茂神社(上賀茂神社(賀茂別雷神社)と
下鴨神社(賀茂御祖神社)または奈良の春日大社とともに
日本三社の一社であり、宮中の四方拝で遥拝される一社。
9月15日の例祭は石清水祭と呼ばれ、京都葵祭、奈良春日祭とともに
日本三大勅祭の一つとされる。天皇の勅旨が直に
参拝に来る希少な神社。

御祭神は御本殿中央に応神天皇様、西に比彗膺斥諭
東に神功皇后様をお祀りしている。
この御本殿に鎮まる三座の神々を総称して
八幡三所大神(八幡大神)様。

三韓征伐(さんかんせいばつ)は、『古事記』『日本書紀』に記載されている、
仲哀天皇の后で応神天皇の母・神功皇后が行ったとされる新羅出兵を指す。
新羅が降伏した後、三韓の残り二国(百済、高句麗)も相次いで日本の
支配下に入ったとされるためこの名で呼ばれるが、新羅征伐と言う場合もある。
三韓征伐つまり日本の西側を抑えないと、安定した国の統治ができなかった。
そのために九州の要である所の、宇佐神宮を奉じた。

平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から
勧請されたもので、745年に奈良東大寺で大仏の鋳造が始まったが、
神託によって大神氏は奈良に入り, 鋳造にともなう諸問題を神託によって
たびたび解決した。宇佐神の祭祀集団が最先端の金属加工技術を
持っていたことをうかがわせる。

大仏が完成した天平勝宝元年(749)には宇佐神が奈良に入り, こ
れをきっかけに宇佐神が国家の重大事に関与することになった。

京都盆地南西の男山(鳩ヶ峰、標高143m)山上に鎮座する。
従って、日本でも珍しい 九州出身の神様である。

男山は都からみて裏鬼門(西南の方角)に位置し、鬼門(東北の方角)に
位置する比叡山延暦寺とともに京の都の守護、国家鎮護の社として
篤い崇敬を受けてきた。

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                            重森三玲の庭

十世紀ころから清和源氏が氏神として信仰し、
源義家は岩清水八幡宮で元服して「八幡太郎」を名乗った。
これ以後,武士の勢力範囲の拡大とともに、八幡信仰は関東・東北にまで
広がっていった。
鎌倉幕府が岩清水八幡宮から分霊して鶴岡八幡宮を建てて
崇敬するようになってからは、 武神としての性格をいっそう強めた。
ことに十三世紀末に中国が企てた侵略戦争(文永の役、弘安の役)では、 
神威を遺憾なく発揮し、中国(元)朝鮮(高麗)連合軍の戦意をくじいてこれを殲滅した。

「幡(はた)」とは「神」の寄りつく「依り代(よりしろ)」としての「旗(はた)」を意味する。
八幡(やはた)は八つ(「数多く」を意味する)の旗を意味し、
神功皇后は三韓征伐(新羅出征)の往復路で対馬に寄った際には
祭壇に八つの旗を祀り、また応神天皇が降誕した際に
家屋の上に八つの旗がひらめいたとされる


平将門は『将門記』では天慶2年(939年)に上野(こうずけ)の国庁で
八幡大菩薩によって「新皇」の地位を保証されたとされている。

このように八幡神は武家を王朝的秩序から解放し、
天照大神とは異なる世界を創る大きな役割があり、武家が守護神として
八幡神を奉ずる理由であった。

関東で八幡宮といえば鶴岡八幡宮で鎌倉ありきの、流行に乗って
参拝している人に会ったことがある。
そんな奴はハトサブレがなぜ鳩なのかも知らない。
 
それは茨城の笠間稲荷を三大稲荷だと信じてデマカセを
信じきっているようなレベルで、つまり神社ならどこでも
いいような連中だろう。
それは信仰ではなく観光でしかない。
観光ならもっと面白い場所があるのに
何かご利益でもあるかという下心で神社を観光しても意味がない。
 
日本は島国であり、古来より多くの侵攻がある中で
周りの海が守り神であると同時に、遣隋使、遣唐使、日宋貿易など
国外文化導入には歴史的に大きな障壁にもなっていた。
海神であり武神である八幡信仰は、黎明期の日本にとって
無くてはならない神であったことが伺える。
 
現在もなお多くの信仰を集める岩清水八幡宮から
学ぶ事は、あまりに多い。