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茶碗 志野 「大雄峰(だいゆうほう)」  銘々:鵬雲斎大宗匠 作:荒川豊蔵先生  /  沼尻真一


一見志野特有の大ぶりな茶碗に見えるが、手に持ち
茶を飲んでみるとしっくりと手の中に収まる。

それは口縁下の一筋のロクロの絞りによって全体が引き締まり、
茶溜まり茶筅擦りから丸みを帯びて
この絞りに達することで、まるで見込みが魚篭のように広がり
丸く茶を包み込んでいるからだろう。

高台脇を削り込んだのではなく、
まあるくアールを描いて高台先端へととがり、
その中に、中の茶溜まりが収まっている。

それ故にこの茶碗全体が一体化し、
この特有の佇まいを見せていると思う。

高台に見える土が赤黒いところを見ると、
相当に鉄分のある土にも見える。

従って、志野ではあるが長石と鬼板が混ざり合った肌は
全体に鼠志野のようにグレーがかりながら、真っ赤に
緋色が発色している。

これだけの鉄分のある土を使って、
これだけの緋色がでるものなのかと感じた。

豊蔵先生の釉がけの手の動きに沿って流れた
細かな梅花皮は雷雨のようで、その合間から
陽が差し込んで来ているようにも見える。
それは激しく穏やかである。

沼尻真一


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ある時、一人の僧が百丈の懐海禅師に尋ねて言うのには、
「如何なるか是れ奇特の事―この世で一番有り難いものは何ですか。
一番貴いものは何ですか」どんな宗教でも、まず一番有り難いものは神であり、
仏と言うであろう。あるいは法と言うであろう。

禅宗ではいったい何が有り難いのか、と。うっかり百丈が仏だの法だのと
答えるならば、ただではすまさんという所存だ。


そこで百丈が答えるのに、「独坐大雄峰―俺が今現に生きて
ここに坐っておることが一番有り難いわい」何と爽快な一句ではないか。

これしかないであろう。めいめいが生きて、そこに坐っておるという
事実以上の有り難いものはない。

金が有り難いか、屋敷が有り難いか、身分が有り難いか。
生きておるから金がいるのだ、生きておるから屋敷がいるのだ、
生きておるから出世も悪くないのだ。

一番大事なのは、今ここに生きておるということだ。
言うならば、釈迦も達磨も、俺が生きておるから苦労されたのだ。

俺が生きておるから太陽が照っておるのだ。

俺が生きておるから空気があるのだ。

丈云く、独坐大雄峰。

俺が今現に生きてここに坐っておることが一番有り難い、と。


《引用:山田無文著『無文全集』》