「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」など
父観阿弥の遺訓をまとめた能楽論書『風姿花伝(花伝書)』を著す。
風姿花伝は芸術の技術論ではなく精神を論じた書であり、
このような書物は世界にも殆ど例がない。
能役者が観客に与える感動の根源は「花」である。
「花」は能の命であり、これをどう咲かすべきか、
「花」を知ることは能の奥義を極めることである。
桜や梅が一年中咲いていれば、誰が心を動かされるだろうか。
花は一年中咲いておらず、咲くべき時を知って咲いている。
能役者も時と場を心得て、観客が最も「花」を求めている時に
咲かせねばならない。花は散り、花は咲き、常に変化している。
十八番の役ばかり演じることなく、変化していく姿を「花」として
感じさせねばならない。
「花」が咲くには種が必要だ。
花は心、種は態(わざ、技)。
観客がどんな「花」を好むのか、人の好みは様々だ。
だからこそ、能役者は稽古を積み技を磨いて、
何種類もの種を持っていなければならない。
牡丹、朝顔、桔梗、椿、全ての四季の「花」の種を心に持ち、
時分にあった種を取り出し咲かせるのだ。
「家、家にあらず。次ぐをもて家とす」と言うのも。
血縁者が「家」となるのではなく、真に芸を継ぐ者を「家」とする厳しいもの。
将軍に謀反した重罪人として逮捕され、実に71歳という高齢で
佐渡に流されてしまう。
1441年、暴政を行なった足利義教が守護大名の反乱で暗殺されると、
一休和尚の尽力で78歳になっていた世阿弥の配流も解かれ、
娘夫婦の元に身を寄せ80歳で亡くなった。
世阿弥の墓は一休が住職をした京都大徳寺真珠庵にある。
能「羽衣」
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佐渡島には祖父母に連れられ、確か五才の頃船で渡った。
遠い旅はおそらくこの時が初めてで
電車から船に乗り
船酔いして船着場で涙して
座り込んで吐きながら、着物姿の祖母に介抱されて
やっと島に辿り着いた。
太平洋側には無い島の景色は、深緑の森と、ワシなのか
トンビなのか知らないが、とにかく大きな鳥が宿の窓から見えて、
いつ襲われるかもという、子供の勝手な恐怖におののいていた。
よく記憶している理由はただ一つ「金山」「鬼太鼓」だ。
金山内部は当時の罪人たちの発掘した模様が
人形によりリアルに再現されていて、
ご一行はトロッコに乗って進むという、
40年前としては20年前にいった
ユニバーサルスタジオマイアミにも負けない
アトラクションができていた。
そんなわけで
薄暗い炭坑に解説も聞こえないほど鳴り響いたのは
結局自分の大きな泣き声だけだった。
たまたま名古屋高島屋の茶碗展展示会に来ていた
旭化成の支店長さんが
佐渡島出身で、実は佐渡島は
多くの天皇や公家、それこそ世阿弥も流された島ですが、
そのようなおかげで
京都の文化と相まって、
金は出るわ、飲めや歌えでわざわざ罪人となって、
佐渡島に来たほどなんですよ。
水戸黄門の見過ぎで
事実は大分イメージが違っていたようだと
あれから数十年が経って判明した。
日本は狭いと言われるが、確かに国土は狭いが
これほど多民族化した土着文化のある国だから
一人ひとりが違う文化を持っている。
沼尻真一