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帰国します!茨城県陶芸美術館・現代の茶陶展/沼尻真一

庄六賞047.jpg

 

茨城県陶芸美術館にて

1/2〜3/14まで開催される、


「現代の茶陶展」に

 

 

美濃からはるばる

 


美濃陶芸・庄六賞茶碗展大賞を頂いた

「白月盌」が展示されます。

 

 

初めてのふるさと茨城入りで、
地元の方々や友人、
首都圏の方々に見て頂けるのが楽しみです。

 

 

当代楽吉左衛門さんの茶碗や、

 

現代美術家の奈良美智さんの茶碗や茶室等々、

 

数多くの現代の茶陶作家の方々の作品が

展示されるようですので、

 

ぜひ初春の笠間稲荷詣での後に

お立ち寄り頂けたら幸いです。

 


またこれに合わせて、
茶席を持ちたいと思います。


お茶が初めての方でも

参加しやすい茶席にしたいと思いますので、

詳細が決まり次第紹介させて頂きますので、

宜しくお願い致します。

 

 

沼尻真一

 

⬛「日本的モダニズムの創出はいかに可能か 」伊藤 俊治(美術史・東京藝術大学教授) × 柏木 博(美学美術史・武蔵野美術大学教授)× 新見隆(キュレーター・武蔵野美術大学教授)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


京都 鈴木宗博先生の夜咄の茶事/沼尻真一

 

京都 洛北 洗心庵にて開かれた、

恩師 鈴木宗博先生の
夜咄の茶事に参加しました。

 

今年も真紅に茶席が染まりました。

 

辻留の平さんには懐石の秘訣まで

教えて頂きました。

 

平さんには今年は茶事で

本当にお世話になりました。

 

 

 

宗博先生といえば

 

ベストセラー
「京都 和菓子めぐり」が有名です。

 

 

親子二代に渡る京和菓子の著書は、

 

江戸時代から

 

京都や江戸で


薬屋、菓子匠を営み

 

圓能斎宗匠と交流のあった

 

鈴木家だからこそ書ける内容です。

 

 

続く若き四代目も

裏千家学園で頑張っていて安泰でした。

 

沼尻真一

 

京都の茶事・ナゾナゾの主菓子/茶道・茶の湯 沼尻真一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


40年ぶりに母親は/沼尻真一

冬になると

 

よく
訃報が届きます。

 

 

車を運転していて
夕日が射し込んでくる時

 

なんかに、

 

ふと

 

そういえば

 

 

あの  おじさん

 

おばさん

 

 

元気かな〜なんて思っていると

 

 

訃報が届いたりするのが、
この頃は不思議です。

 


今日も一つ訃報が届きました。

 

というより

 

 

姉が知らせてきました。

 

 

40年前に

 

自分たち子供を置いて
家を出ていった母親の

40年間連れ添っていた男性が

昨日亡くなったとの事でした。

 


母親から連絡じゃないし

 


姉からの連絡だった事にも

 

 

なんだかとても
今まで感じたことのない
みょーな気分になりました。

 

 

あの時 俺は小四だったな〜

 

 

何だかうまくその時も
感情が

 

悲しいんだか、
喧嘩が無くなって
ホッとしたのか


感情がなんだか

わかりませんでしたが

 

 


どんな誰が亡くなっても
今となっては…。

 

 

とりあえず今日は
ここに記してみました。

 

 

沼尻真一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


光悦会の素晴らしさ/沼尻真一

 

憧れていた光悦会に
参加する事ができました。

 

 

 

毎年秋に本阿弥光悦ゆかりの地、

京都鷹ヶ峯光悦寺にて

光悦会が開催されています。

 

 

今年は101回目という事で、

次世紀への第一歩という好機に

参加する事ができました。

 

 

まさに日本一の茶会に相応しい、

一流の美術品による洗練された道具組でした。

 

実際に手に取り拝見させて頂けたり、

菓子匠がその場で作った主菓子が

振る舞われたりと、

そのもてなしに感銘を受けました。

 

 

 

またこの日を迎えるべく、

隅々まで考えつくされ、

手の行き届いた光悦寺の庭も

まさに一流の芸術品でした。

 


また美濃の陶芸家として、

どうしても伝えておきたい事があります。


それは、開炉の季節も関係していますが、

どの席にも必ず美濃桃山陶が

用いられていた事です。

 

美濃の先達が作った陶器が
この一流の茶会で

用いられていた事です。

 

 

いくら陶芸で茶碗を作っていても、

本場京都の茶の湯の中は見えません。

 

こんなに数多くの美濃焼が
茶の湯の大切な道具として

取り合わせられています。

 

この嬉しい現実を見て、
黄瀬戸、志野、織部など美濃焼全体が

もっと盛り上がっていけたらいいなと

感じました。

 

 

点心は瓢亭さんです。
以前ご主人の高橋さんには出汁の取り方から、

ご飯の炊き方を教えて頂きました。


どの料理もしっとりコクのある旨味に

常のように感激しました。

 

このような素晴らしい茶会を

101年続けられている方々への敬意と、

参加の機会を与えて頂いた事に

感謝いたします。

 

沼尻真一

寂連と光悦の村雨 ー 沼尻真一

 

京都の茶事ー露地のしつらえ/茶の湯、 茶道 沼尻真一

 

納屋で生まれたのは、キリストだけじゃない。ブルーノ・タウト/沼尻真一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


つくば市長選挙・飯岡宏之さん応援/沼尻真一

ふるさと 
つくば市長選挙が
11月6日から始まります!

 

 

今回は20年来の友人の
飯岡宏之さんが出馬しています!

 

ヒロさんは
人格、人柄いつも謙虚な姿勢、

その人間性すべてに
自分は心から尊敬しています。

 

 

本当に新しい市長像になると感じています。

 

 

つくば市って科学未来都市とか言われるけど、
すでに50年。

 

 

古いものも大切にしながら、

100年に向けた新しい変革を

ヒロさんならやってくれると

信じています!

 

 

つくば市長選挙は
11月13日投票日

 

 

がんばれー 飯岡宏之!

 

 

沼尻真一

 

・100年後のつくばを世界遺産に/沼尻真一

 

 

・第79代内閣総理大臣 細川護煕さん不東庵を訪ねる/沼尻真一

 

 

・「衆人愛敬」祖父と祖母を忘れない/沼尻真一

 

 

・いばらきシェフズダイレクト試食交流会開催/沼尻真一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


炉開き、猪の子餅、口切の茶事とは!/沼尻真一

 

11月になると、

 

茶の湯では「炉開き」が行われます。


江戸時代の記録にもあるように


炬燵開き

 

炉開きの日が

 


「亥の月の亥の日」と

 

 

決まっていました。

 



第一亥の日が武家


第二亥の日が町人

ちなみに


2016年平成28年の


第一亥の月亥の日 11月1日 旧暦10月2日 


第二亥の月亥の日  11月13日 旧暦10月14日

 

 

陰陽五行では、

亥は「水性の陰」として

とらえられるため、

火に勝つとされていることから、

 

亥の日の亥(イノシシ)は、

火(火難)を免れるという

信仰が生まれました。


そこから亥の月の亥の日に

火(暖房器具)を使い始めれば、
その冬は火事にならないと

信じられてきました。




亥の重なる亥の日は

 

「玄猪(げんちょ)」

 

と呼ばれ、唐の風習が伝り
『古今要覽稿』では、

貞觀(859-877)以前としている。

形状は不明確ながら、

豕(中国では猪は豚のこと)形の
7種の餅を作ったようです。


宮中では平安〜明治三年まで
行われていたようです。

多産である猪(亥)にあやかり、

子孫繁栄を願い


大豆、小豆、大角豆、胡麻、

栗、柿、糖の7種の粉、新米で

 

『亥の子餅』

 

を餅を作り食べて祝ったそうです。

 

 

摂津能勢の村人達より『亥の子餅』や小豆や
農作物が明治3年まで京の禁裏へ

献上されていたという記録があるそうです。

 

なぜ摂津能勢村から献上されるのかは、

応神天皇が皇太子の時に、

猪に危難を救われた事が起源との事です。

 

非常に似た話は、

国魚となっている

 

      「鮎」

 

にもあります。

 


ちなみに平安時代に書かれた

 

源氏物語の若紫の段に


『その夜さり、亥の子餅参らせたり

 かかる御思いのほどなれば 

  ことことしき さまにあらで
  こなたばかりに をかしげなる
  檜破籠などばかりを』

訳:その夜のこと、(館のものが)

亥の子餅を御前に差し上げた。

このような(葵の上の)喪中の
ことであるから儀式ばらず、

こちら(紫の上)だけに
美しい檜破籠(ひわりご)に入れられて)。

つまり平安時代は結婚するものは、

三日間女性の下へ通い


三日目に、三日夜餅みかよのもちい

といい紅白の餅を用いるるのが

慣わしであったが、葵の上の喪中でもあり
光源氏が亥の子餅を

紫の上に贈ったと書かれています。

下賜される亥の子餅は身分により異なる紙


(大高檀紙・小高檀紙・杉原紙)で包んで、


小さな角型の折敷にのせ、水引で結ぶ。


(『禁中近代年中行事』は引合紙・

大奉書・杉原紙)。

 


包みの中には、

 

一の亥は菊としのぶ、


ニの亥は紅葉としのぶ、


三の亥は鴨脚イチョウとしのぶを入れる。

また、鴨脚の葉に下賜する人の名を書いて、
包み紙に差し挟む。

 

餅の色は三色、 


公卿は黒白品々、


殿上人は赤、

 

五位殿上人以下は白、


子供は赤、

 

地下は白、


禁中の女性の上臈は黒、中臈は赤、

下臈は白である。


黒は黒胡麻で和える、

赤は小豆の汁で色を付けるとあります。

以後鎌倉〜江戸幕府まで

それぞれ形を変えながら
続けられていきました。

茶人は

 

仁清の「玄猪包香合」や

 

裏千家八代家元一燈の「臼水指」

 

などが知られています。

現在では、猪を祀る京都 護王神社で、

11月1日午後5時より

亥子祭(いのこさい)が斎行されています。


亥子祭は、平安時代の宮中で行われていた

年中行事「御玄」を再現し、

「亥の子餅」をつくり振舞われています。

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「亥の子餅」の説明だけでも

 

 

 

かなり

 

 

時間を要しましたが、


茶の湯をする人にとって

 

最も重要なのは、

 


なぜ「開炉の時期」に

    「茶人の正月」と言われているのか?

 

 

 

なぜ「口切」なのか?

 

 


なぜ「善哉」が振舞われるか?

 

 


なぜ「三部」が目出度いのか?

 

 

 

が疑問ではないでしょうか?

 

 

この疑問に迫ってみたいと思います。

 

 

 

⬛なぜ「開炉の時期」に

   「茶人の正月」と言われているのか?

 

古代中国の周暦が旧暦11月を

冬至を含む、子の月として、

そこを正月にしたからと言われています。

64卦で、亥の月はつまり年末のような

イメージで太陰となり陰が極まり、

冬至を持って、子の月が正月となり、

初めて 陽の卦が一つ入ってきます。

つまり


これこそが一つの陽の卦が復活してきたという

 

事で

 

 

 

「一陽来復」

 

 

 

という言葉になります。


故に11月の開炉の時期を指して、

 

 

「茶人の正月」

 

 

と言われていますが、

太陰から陽の気が復活しためでたい

めでたい

11月ですから、茶人だけでなく

 

 

「国民の正月」

 

 

 

でも良いぐらいですね。 

 

だから11月は元気にめでたく行きましょう!

 



⬛「口切」ですが


宇治茶の茶摘が5月初旬として、

 

そこから半年間
まず抹茶の製造過程からすれば、


蒸して、乾かして、荒茶となり、


茎や不要な部分を取り除いて、
石臼で挽く段階まで来た

お茶の名として碾茶となり、


この碾茶の状態で、

茶壷などに入れられ半年間
冷暗所に寝かせ熟成させたものを、


開炉の正月祝いに合わせた

「新抹茶」として
お披露目されるということです。

 

「口切の茶事」と一言われますが、

 

床に荘れる名物の壷があり、

そして茶室内の畳や障子

露地の四つ目垣など

 

すべての物を新調して

 

黒紋付五つ紋で臨むべき

最高に格の高い茶事なのです。

 

ゆえに50年も60年も茶の湯を

 

している方々でも、

 

 

人生に一度あるかないかの

茶事となります。

 

 

 

もう一つ大切なことは、

 

夏口切もあるぐらいですから、

 

開炉と口切はまったく

 

 

関連していない、

 

 

 

という事です。

  

また実際には、

 

石臼で人数分の濃茶、まして薄茶の

 

量をひくのは、かなりの忍耐と

 

ロマンが必要です。

 

 

 

⬛なぜ善哉が振る舞われるのか?

 

また良く、善哉が開炉の時期に

社中のお茶の先生に
振舞われたりしますが、

 

これも先の宮中行事の
亥の子餅が下賜される意味と、

まったく同じです!

 

亥の月日が
陰であるのに対して、

小豆 陽のものを
頂き、陰陽の和合を図っている

という事です。

 

これは名越の祓え、水無月にも通じ

ますね。

 

 

 

⬛ベベべの三べに意味あります?

織部、伊部、瓢ふくべ =三べはめでたい?

に関して、

 

私は美濃焼だから織部はありがたいのですが、


お茶では大変に良く聞く 

 

 

べべべのさんべでですが、

 

 


茶人の洒落た言葉遊びです!

 

 

 

何らお茶の取り決めがあるかのように

言われてますが、

決まった風習や仕来たり、

もちろん呪いもありませんから大丈夫です!

 

そうしないといけないみたいに

書かれている方もいますが、

まったく決まりなんかありません。

 

 

決まっていたら理由を聞きたいぐらいです。

 


冬至にかぼちゃ南瓜を食べるように。

 


「ん」のつくものを食べると

 

「運」が呼びこめるといわれています。

 


「なんきんーかぼちゃ」「れんこん」「にんじん」「ぎんなん」
「きんかん」「かんてん」「うんどん(うどん)」を
冬至の七種(ななくさ)と言う「ん」のつくものを
「運盛り」といい、縁起をかついでいたのと
同じ発想です。

 

なので、

 

ベベベの呪縛から

 

自由に解き放れて

 

自分なりの楽しい言葉遊びを

 

創って

 

自分のお茶を楽しみましょう!

 

 

沼尻真一

 

 

⬛風露新香穏逸花ー利休宗易大居士/

  沼尻真一

 

 

⬛京都 茶事ー前礼・後礼の本当の意義/

  茶の湯・茶道 沼尻真一

 

 

 

⬛「無」なんてどこにもありまへん!/沼尻真一

 

 

 

ハーバードの茶の湯/沼尻真一

 

 

⬛日本的モダニズムの創出はいかに可能か 」伊藤 俊治(東京藝術大学教授)× 柏木 博(武蔵野美術大学教授)× 新見隆(武蔵野美術大学教授)/沼尻真一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 


北野天満宮の日本刀から分かる、茶の湯の釜のこと/沼尻真一

 

日本全国の八万の神社の中でも

北野天満宮は菅原道真公
つまり人が
神になっているという点で

他の神社と大きく違います。

 

 

本殿は五間×四間あり
普通の神社の本殿は
三間×二間なので

本殿が大きく、拝殿が格天井になっており、
さらにその中央に天皇や
将軍が座る部分だけ、
折上げの格天井になっています。

 

 

実際に天皇や将軍の座る場所を

見てみると、

 

そこの部分だけ床が擦り減って

いました。

 

 

本殿に対して拝殿は
三段階になっていて、

 

 

最上段が天皇や将軍、

 


二段目が家臣や神職、

 


一番下が庶民というように

 


本殿に対して雛壇になっているのが

大きな特徴となっています。

 

さらに興味深い点は、
最上段は

本殿と眼の高さが一緒になっています。

つまり菅原道真公が神になったとしても
元は天皇に仕えた右大臣という立場、

祀られたとしても、

 

 

 

あくまで天皇や将軍と

目線が一緒

 

という具合になっているのが

大きな特徴です。

 

 

これを真似た造りとしては
日光東照宮や比叡山根本中堂などです。

 

この建築様式を天台造りと
言われています。

 

 

⬛京都一日本刀が奉納!


北野天満宮には京都随一
日本刀が数多く所蔵されています。

 

 

それは、
京都は平安〜江戸時代まで
日本刀の一大産地であった為です。

 

 

藤原家が道真公の祟りを

鎮めるために作った、
北野天満宮ですが、


祟り神を祀る事こそ
最強の守護神となるという発想に倣い

 

 

その後も豊臣家、徳川家、

道真公を祖とする加賀前田家などの大名

から太刀の奉納が続き、

 

さらには京都の町衆も連名により

太刀の奉納をしてきた

歴史があるためなのです。
 
それほど北野さんは、
昔から京都の人々に
人気だったんです。
 
 
⬛東京国立博物館 研究員 末兼俊彦先生

 

   

 
はじめに日本刀が

学問になっているのかと言われれば
骨董などを通して、
そのほとんどが

 

 

であるという
前提からお話を致します。

 


 
日本には縄文時代後期から

鉄があります。
 
弥生時代にはすでに鉄を

 

輸入

 

していました。
 
飛鳥、奈良時代までは
国内で採取できた鉄鉱石を用いて
鉄器を作っていました。
 
岡山、広島のカナクロ谷遺跡

滋賀の湖西遺跡などから

鉄鉱石の精錬所の跡が
発見されています。
 
その後、

 

 

奈良時代までには


鉄鉱石を採りつくして

 

しまったということです。
 
平安時代以降は仕方なしに

砂鉄から鉄を精錬して

行くこととなりました。
 

 
⬛昔から鉄鉱石で作ってましたけど、

  何か?


茶の世界では砂鉄から精錬した

 

和銑わずくが

 

日本古来の
製法のように言われていますが、

 

実際は日本からちゃんと出土した
鉄鉱石で作られたのが、

日本の製鉄の始まりだったようです。 
 
確かに茶の湯の釜は、

国内鉄鉱石が
無くなってから作られた

 


ゆえに、

 


砂鉄そして和銑が起源

 

かもしれませんが、
 
あながち、

 

いま作られている
釜のように、輸入した
鉄鉱石で釜を作るのも、
日本の起源といえば

本来の起源です。

 

 


●質問


福岡県の芦屋釜など

よくナマズ肌として
茶釜が有名ですが?
 
●答


重文に指定されているのは

一つだけなので
それが総じてその特徴とするのは、
疑問を感じます。
 
侘び茶が流行すれば、
すぐに釜肌の荒らしが
始まるので。
 
 
確かに天明の釜と比べれば、

芦屋はツルっとした肌が多いですが、

全てがツル肌ではありません。

 

強いてあげれば、天明との

傾向の違いぐらいと覚えて

おいたらいいのではないでしょうか。


 

 

⬛和銑わずくが不純で生まれた美


中国地方の真砂砂鉄、

赤目砂鉄などで
精錬されたのですが、


大変質が悪く
日本刀を作る上では、刀工が折り返し
鍛錬しながら、不純物を取り除いて
いかなければならない状況だったようです。
 
しかしこのような悪い条件や環境の中、

 


刀工達はその制限を越える
奇想天外な方法で、
あの美しい日本刀を
完成させていきました。
 
刀に限らず現代の美術工芸が、
まったく

 

当時のレベルを凌駕していない!

 


理由は、現代があまりに恵まれ過ぎて
いるからではないかと思います。


 
⬛根性の、焼き入れはイカスミで?

 

焼き刃土による、焼入れ処理とは
耐火性のある粘土に

炭素(イカのうるか)、窒素、水を

加えて刀に紋様のように塗りつけ
それに焼を入れるのだそうです。
 
その後、多種多様な砥石で磨かれ
刀は完成していきます。
 


良質の砥石が京都保津川で

取れたそうですが
今は入手困難な状況だそうです。

 

 

 

 

⬛刀の波紋なんてあてにならない?

 


また日本刀の波紋の美しさを語る人が
いますが、
 
波紋は焼きで作られているのではなく、


刀ぎ師の仕上げ意匠によるものです!
 
時代も紋様も

一流の刀ぎ師にかかれば


いかようにもなって

 

 

しまう所が
刀の鑑定の難しさであるそうです。

 

 


 
 
⬛刀の扱い方は、釜と一緒では?
 
金工はすべからく

 


白手(白い綿の手袋)はしない

 

 

そうです。
 
理由は滑って落とす事故の方が
圧倒的に多いからです。

 

これを聞くと、茶釜も

同じような扱いが良さそうですね。


 
1、まずウエットティッシュなどで
   手の油を綺麗にふき取る
 
2、素手、そして袖をまくる
 
3、白木の休め鞘は、刃を上に
    必ず縦にして、刃先まで見据え
    安定した状態で抜く
 
4、刃先の重みで、刃先が垂れて
    ぶつける事のないように注意する
 


 
⬛質問

 

太刀、刀、脇差の違いの定義は何ですか?
 
⬛答

 

用途が違うだけで長さの定義は
ありません。
 

 

馬上なら太刀

 

 

歩いてなら刀

 


脇差は

その人の好みの長さだそうです。

 


脇差は短いイメージがありましが、

何ら定義は無いそうで、

本人の使いやすい長さが脇差だそうです。

 

 

◆刀と茶の釜が東博で一緒に研究されて

  いるなんて意外でした。

 

  単なる伝承ではなく、学術的に研究されている

  結果から、ものの見方をする事は

  茶道具でも大切ですね。

 

沼尻真一

 

⬛京都 ハーバード大生の「夜咄茶事」/

 「自給の茶」の在り方を問うー沼尻真一

 

 

⬛納屋で生まれたのは、キリストだけじゃない。

  ブルーノ・タウト/沼尻真一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  

 

 

 

  


 


十五夜の月見と十三夜の月見の違い/沼尻真一

 

今年は10月13日が
十三夜のお月見でした。

 

十五夜の後の旧暦9月13日は
十三夜の月見と言われています。

 

中秋の名月の後なので、

 

「後(のち)の月」と呼ばれたり、

 

旬の栗や豆を供えることから

 

「栗名月(くりめいげつ)」

 

「豆名月(まめめいげつ)」

 

とも言われています。

 

 

十五夜(中秋の名月)は
芋を供えるため「芋名月」

とも言われています。

 

 

関東では月見団子は○です。

 

しかし京都の月見団子は

この芋の形に雲がかかったように、

餡がのってます。

 

 

こっこれが 月見団子!?

 

 

と、なりますわな。

 

 

 

団子の形が関東と京都で
こんなに違うなんて面白いですね!


この二つの月見ですが、

 


どちらか一方の月を愛でるのは

 

「片見月」と呼ばれ、

 

縁起が悪いともいわれています。

 

 

もともと十五夜、
旧暦8月15日に月を愛でる風習は

唐から伝わったもので、

 

 

欠けたところの無い満月を

豊穣の象徴として、
そのため十五夜には

豊作を祈る祭が行われる大切な
節目であったそうです。

 

 

一方、十三夜の月見は
日本固有の風習として

 

延喜19年(919年)に
宇多法皇によって

9月13日に観月の宴が行なわれた

ことが、

日本の十三夜の月見のはじまり

と言われています。

 

 

因みに宇多法皇は
陽成天皇の甥でもあり、
さらに弟でもあるという、
分かりにくさですが、

 

 

陽成天皇と言えば
  
私の故郷つくばを詠まれた、

 

 

筑波嶺の  峰より落つる 
男女川   恋ぞつもりて 
淵となりぬる

 

百人一首 十三番

 

 

が有名です。

さらには、宇多法皇の
父は光孝天皇で、

 

 

といえば、
百人一首でも
一番人気のある和歌

 


君がため  春の野に出でて 
若菜つむ  わが衣手に 
雪はふりつつ

 

百人一首 十五番

 

 

その他にも
臣下の菅原道真、

大和物語、伊勢物語でも有名な

陽成天皇の母 藤原高子、

在原業平などが関連してきます。

 

 

臣下の菅原道真からの申し出で

遣唐使の廃止を894年にした宇多天皇は

その後
歌合わせなどを多く開き、
多くの歌人を生み出すなど

 

『国風文化を生んだ

   きっかけを作った天皇』

 

としても知られています。


和歌が漢詩の影響を深く受けていたり、

平安貴族の人々が漢詩を

読めていた事からも、

 

唐の文化や風習に
影響されていた事が良く分かります。

 

そんな背景のなか、

国風となった


「十三夜の月見」を


考えてみると

何か違ってくるかもしれません。

 

 

新暦の今では、

 

十三夜の月見の方が、

澄みきった空気で月が見れる事と

収穫祭という点でもぴったりです。

 

 

多治見の工房の前には、
小さな山と川があり、
毎年この時期には
澄んだ美しい月を
静かに眺める事ができ、
本当にありがたい事です。

 

 

京都も多治見もどちらも
月がとても綺麗に見えるのは、

盆地が共通していて
まるで月を望遠鏡で覗いてるような

感じになるからではないかと、
小5から月を覗いていた
自分はいつも勝手に思っています。

 

沼尻真一

 

 

○「暦に生きる」

東京大学名誉教授・山内昌之先生、三味線演奏家 本條秀太郎先生/沼尻真一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


秋海棠の群生/沼尻真一

 

岐阜の秋。

 

偶然通りかかった里山で、

秋海棠、紅蓼、萩の群生を発見しました。

 

 

 

秋海棠は江戸時代初期頃に園芸種として、

日本に入ってきた植物のようです。

 

まるで琳派の秋草図のようで、

栽培ではない天然に
自生する花の強さに感激しました。

 

こんな場所があるなんて
岐阜は茶花の宝庫です。

 

沼尻真一

 

 

・炉開き、亥の子餅、口切の茶事ー沼尻真一

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


風露新香穏逸花ー利休宗易大居士/沼尻真一

京都は六月よりも

九月の方が雨が多いのですが、

ここ五日間位はずっと雨模様で、

改めて実感しました。

 

なかなか中秋の名月を

京都で愛でるのも、

難しい時期です。

 

 

それでも一雨ごとに

秋も少しずつ深まり

「秋の七草」も路地で

見かけるように

なってきました。

 

 

 

ハスキーなおふくろ!

 

 

 

いきなり変な言葉

ですね。

 

 

萩、芒、桔梗、撫子、女郎花、藤袴、葛

 

秋の七草の覚え方でした。

 

 

それ以上に

お茶に通じる方にとっては

秋の大切な禅語に

 

 

「風露新香穏逸花」

 

ふうろあらたにかおる

いんいつのはな

 

ですね。

 

沼尻真一

 

・嵯峨大覚寺、中秋の名月/沼尻真一