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【客】漢字の意味・お客様は神様です!男の茶道/沼尻宗真


スタジオジブリ・千と千尋の神隠し


前回は茶道の中で良く使われる



今回は、亭主とセットで

稽古をすれば必ず誰もがする

【客】という漢字について、

ご紹介致します。




「お客様は神様です」

日本人なら誰もが知っている

このフレーズ



1961年、演歌歌手・三波春夫さんが、

営業先で漫談家・宮尾たか志さんと

掛け合いをした際に

誕生した言葉と言われています。

それ以来、

日本人の「おもてなし」の精神を表す

代名詞になっています。


この【客】という漢字


宀部(べんぶ)は、大きな屋根の形で、
祖先を祭る廟みたまやを表しています。

各は、口が祭器を表し
神様が天から廟の中に降り、
格いたる形を表しています。

つまり、他から迎えた神様
客神を表しています。

日本では客神を
【まろうどかみ】
【まれひとがみ】とも呼んでいます。



平安時代前期の仏教説話集
薬師寺の僧 景戒著
『日本霊異記(りょういき)』には
「仏の神像なり」とあり、
外来のものに対する畏敬の念を
表しているようです。

客はのちに
神様を言うのでなく
人間の事を言うように変化し

客人つまり、お客様の意味となりました。

つまり、

三波春夫さんの

【お客様は神様です!】は

まさにその通りだったのです


茶道においては亭主以上に
お客様ほど、知識と経験が必要ですから

やはり、お客様は神様でした。





















茶道炉開き・茶人の正月・一様来復の意味とは?男の茶道/沼尻宗真

前回は



【炉開き】の疑問?




なぜ炉開きは、亥の月亥の日にするのか?

     亥の子餅にまつわるお話をしました。




今回は


なぜ「開炉の時期」に 


 「茶人の正月」一陽来復」と

   言われているのか?です






江戸の一様来福!  写真: 田中 佐代子さん



古代中国の周暦が

冬至を含む、子の月として、

そこを正月にしたからと言われています。



その後の陰暦では、


〜戌の月→ 陰暦  9月・亥の月→ 陰暦10月
・子の月→ 陰暦11月・丑の月→ 陰暦12月
・寅の月→ 陰暦  1月・卯の月→ 陰暦2月〜


64卦で、亥の月は

つまり年末のようなイメージで

太陰となり


陰が極まり、

冬至を持って、子の月が正月となり、

初めて 陽の卦が一つ入ってきます。

つまり


これこそが一つの陽の卦が

復活してきたという事で

 

 

「一陽来復」

 

復→福もいいですね。

 

という言葉になります。



故に11月の開炉の時期を指して、


「茶人の正月」

 

と言われていますが、

太陰から陽の気が復活した


おめでたい


11月ですから、茶人だけでなく

 

「国の正月」でも良いぐらいですね。 




因みに大正生まれの祖父母に


育てられた私は


私の育ての親・祖父母です。


子供の頃、冬至の日には決まって、


ばあちゃんから


体の砂を除くから〜と言われて


コンニャクの煮物を大量に食べさせられた

思い出があります💧


今では皆さんより

肉体の事については大分詳しいですが、


あの頃は本当に

体には砂が溜まるんだ〜と

真剣に思ってました💧


もちろん小学校しか出てなくて

働きづめのばあちゃんだから

一陽来復なんて言いませんでしたが、


農作と暦に従って生きてた時代の方が

自然の摂理に合った暮らしができるなんて〜

やっぱり人間も半分は植物なんですね。


そこで茶道は暦と四季を意識しながら

生活できるので、

本当に素晴らしい文化ですね。


広島の友人は子供達のセラピーに

茶道を活用されていました。




因みに、これなんだかわかりますか?


ダイエットにコンニャクゼリーは
食べてても

きっと皆さんは
コンニャクの花を知らないと思うので、
紹介しました。

いつかコンニャクの花も
茶花として入れたいです〜

因みにアスパラガスやオクラの花も
本当にキレイですよ
野菜の花は食べる事もできて
かつ、全て美しいです。


次回は、

【炉開き】 と 【 口切りの茶事】 について

です。

また見ていただけましたら幸いです。




 




 


【中置】本当に冷え枯るるからですか?男の茶道/沼尻宗真





朝晩はすっかり
多治見も冷えてきました。

子供の頃、藁葺き屋根の
真っ暗な曾祖母の家に行くと、
いつも陶器の火鉢があって、
ストーブとは違う、
しっとりなめらかな陶器から
伝わる温もりを思いだします。


【中置】の時期ですね。

中置の季節は、
ちょうど名残の時期
冷え枯るる故に、風炉の火を
少しでも近づけるという、心配りに

茶の心は凄いな〜と本当に感心しました。

日本人で良かったぁ〜



まして、勝手付が狭いから
細水指という茶道具もあり、
焼き物やとしては、
自分も作ってみたくなりました。


しかし、【中置】 は 風炉が畳の
中心に来る事で

何故か?

構えてみると
草なのにとてもフォーマルに感じます。

茶事や茶会、稽古でも

位置が変わったり、数が減ったり
高さや大きさを変えたりするのは、
特別警戒注意報です。


師匠の茶会で初めて
長板・二つ置を見た時には感動しました。
全ての方々の突っ込み所を
本歌の水指が一刀両断していました。

茶道って「知識の格闘技やわ〜」

大組織を束ねるのは
三拍子そろわなできまへん💧


台子より〜
長板より〜【中置】ぐらいで
茶会を年中やれそうな気配があります

ではなぜ、中置を名残の時期に
するようになったのでしょう。

点前が変化してきた「名残」があるのが
 【中置】!

こんな「名残」と名残の掛け合い、
まるで和歌のよう

すみません。
これは私の勝手な創造、男のロマンです〜

現代は様々な流儀の茶道がありますし、
オリジナルの茶の道も、
数寄の道もあります。

全て正解。

道歌は学びますが、
南方録は深くやりません。

利休居士がこう云いました。

真摯に受け止めながら、
あくまでも伝です。

そこを礎に
尊敬する恩師の方々は、流派は同じでも
自分なりの お茶の道を求め
歩んでいるように見えました。




現在【中置】は
ちょうどの季節に取り込まれ
その風情をより一層感じる事ができる
格別な点前となりました。



私の好物の柿の絵だと、
何だかマズイので
秋の風情ある
細水指をいつか作ってみたいです。

ちなみに岐阜の柿は
関東では見たこともない柿があり、
本当においしいです。




















そうだ、静かな【京都】行こう!京都観光・男の茶道/沼尻宗真


きっと皆さんの中にも
これから 【秋の京都 】に旅する方も
多いのではないかと思い 

今回は京都です

2018 秋 「一休寺」

そうだ京都行こうのポスターって


毎回ため息がでるほど素晴らしいですね。


以前、東京・京橋に住んでる時は

見るたびに癒されながら

この仕事が終わったら

そうだ今度は行こう!

来年は行こう!

と毎回思っていましたが💧
行けませんでした。


でも実際 

京都に住んでみると
年々凄い人気で、そう京PRお断りの
寺社仏閣もあると聞いた事があります。

全国の地方には、素晴らしい名所があっても
なかなか観光客やインバウンドの方が
少ない場所もあるので
やっぱり京都はうらやましいですね。


そんな世界一の人気都市 京都でも、

なるべく〜    静かな〜
ゆっくりのんびりを味わえる場所で、
私の好きな場所をご紹介致します。






・静かな甘味処【茶寮 宝泉】さん











大徳寺〜今宮神社へ散歩し、
    あぶり餅を頂きます。




座禅が初めてでも、ご指導いただけます。





・北野天神さんから、上七軒散歩


あまり珍しい京都観光には
なっていませんが、

同じアメブロの
見識が深く、いつも玄人好みでグッときます。


日本文化や歴史、和の文化
茶道に興味のある方なら

以上のような、
こんな静かな京都も
実は一つ一つに深い意味がありますから、
きっと役立てていただけると思います。























東京・九段に新しい茶道教室オープン 【海老澤茶道教室×二期倶楽部】ギャラリー册/沼尻宗真





日本文化に根付いた


このたび九段にある 
ギャラリー「册

11月10日 
海老澤宗香茶道教室 〈九段教室〉が
オープン致します。


ギャラリー「册」は  二期倶楽部が経営する

松岡正剛校長プロデュースの
一流の知的カフェギャラリーです。




春には千鳥ヶ淵の桜が素晴らしい

着物で散策するにも気持ちの良い空間です。






長く続ける為にも、

ましてや着物を着れるようになれば

やっぱり場所や空間って大事ですから〜



これから茶道を初めてみたい方や、

興味のある方は、ぜひご検討ください。

もちろん男性・女性・学生やお子様も

ご一緒に!


特長として〈九段教室〉は

単なる 点前だけの茶道教室ではなく、

毎回 歳時記や和歌など日本文化を学び

暮らしに生かすための座学があります。


私も非常勤講師として

皆さんに 〈陶磁器〉 を紹介させて

いただけたらと思います。



詳しい内容やお申し込み方法は

↓↓↓↓↓

海老澤宗香茶道教室 

〈九段教室〉オープン!ブログを

ご覧ください。









秋の京都【無鄰菴・有朋名残の特別茶席】受付中・男の茶道/沼尻宗真


もう一人、
私の好きな作庭家は
七代目 小川治兵衛さんです。

その傑作は、なんといっても
山縣有朋さんの別邸 
京都 【無鄰菴】です。

建物と庭の一体感、
東山の借景を取り入れた
遠近両用の良い庭は見事です。

またそれらを、現代まで
美しく維持管理する苦労は
庭の難しさを知る男には、想像を絶します。



そして来る10/26 京都 【無鄰菴】で
特別な茶会が開催されます。


無鄰菴初の、
和蝋燭の灯りのみで行う
夜の茶会という事で、今から楽しみです。

私もお手伝いに伺います。






     柳田國男





茶道だけに残る【亭主】漢字の本当の意味!男の茶道/沼尻宗真


【亭主】という言葉は
茶道では頻繁に使われていますね。

何気に使う 
この【亭主】という言葉


実は茶道だからこそ、
ピッタリな言葉なんです。


【亭主】の【亭】という字は、

アーチ状の出入りの門のある
高い建物の形を表しています。

またその上に
ものみやぐらを設けて、
宿舎と、ものみを兼ねた建物を
漢の時代には【亭】といい、
宿、宿場、ものみの意味でした。



時代がさがり、

屋根をふいただけの壁の無い
小さな建物である、
あずまやの意味にも用いるように
なりました。

建築家の藤森照信さんが手掛けていますが、
あえて高い場所に茶室を作るのは、
古代中国のこの【亭】という意味を表して
いるからだろうと私は読んでます。


このように【亭主】の 【亭】 だけでも

小さな簡素な建物

まるで 数奇屋 
茶室を表しているようです。





次に 【主】という漢字を見てみましょう。

主という漢字は、
油皿の中で燃えている炎  
火主 の形を表しています。




古代の人は、
火を神聖なものと考え

祭祀において
火を執る人、火を扱う人は
氏族や家の中心になる人であり、
物事を主/つかさどる人でした。

それで【主】は
「ぬし、あるじ、おも、おもに」の
意味となりました。

つまり

【亭主】の意味は

「小屋で火をつかさどる人なのです。」


まさに、茶道の世界にこそ
本来の【亭主】の意味が脈々と
残っていました。

世の中がどんなに変わっても
茶道の中には、古い言葉や
聞き慣れない言葉や漢字が
数多く残されています。

実は漢字の本来の意味と、
茶道の作法の実態がちゃんと合っています。

「茶道と漢字」の関係
本来の意味を知り、稽古をする事は
大切な事ではないでしょうか。




















門外不出【藍 志野】酒井博司先生・美濃焼★男の茶道/沼尻宗真




前回の記事では、

私の住んでいる多治見や土岐、可児、
瑞浪で作られる

美濃焼の一つ




今回は桃山の名陶も数多い
美濃焼【志野】を紹介させて頂きます。


志野といえば、茶道をしている方は
ピンときましたか?


国宝茶碗【志野焼・卯花墻ですね。

志野茶碗  銘【卯花墻】 三井記念美術館蔵

解説:日本で焼かれた茶碗で国宝に
指定されているのは、本阿弥光悦の
白楽茶碗(銘不二山)と、
この卯花墻の2碗のみである。

ちなみに

・大阪席 薄茶 黄瀬戸茶碗 銘【難波】美濃
・東京席 濃茶 本阿弥井戸茶碗 銘【玉川】高麗
・名古屋席 濃茶 柿の蔕茶碗 高麗
・京都席 濃茶  志野茶碗 銘【猛虎】美濃

ご覧のように四席中、二席が桃山陶の美濃焼
後の二席が高麗茶碗です。

京都席が志野を主茶碗にしているように
志野は格のある焼物である事が分かります。



皆さんは【志野焼】といえば白を
イメージされると思いますが

酒井博司先生は、
現在の人間国宝 加藤孝造先生に師事し

【現代の志野】として
上記の藍志野を完成させる事に成功しました。


私は初めて藍志野を見た際、
安藤忠雄さんの建築空間に置いて
みたいと思いました。


美濃焼の伝統的な技法なのに、
それくらい現代にマッチします。




志野の魅力 見所の一つとして
梅花皮 かいらぎ があります。



普通に焼けば自由奔放な長石釉 
つまり 肌あいは、溶けたり溶けなかったり
無造作に動いてコントロールができません。


しかし、酒井博司先生の志野は
理性的に肌あいがコントロールされ、
しかも藍色で表現することで

美濃桃山陶を現代的に昇華している点が
圧倒的だと感じました。


桃山の写しをつくる、李朝の写しをつくるのも
空気までは写しきれません。


実は後の歴史は作るのだろうと、
酒井先生の作品を見ていつも思います。



酒井先生には私が陶芸学校の学生の頃から訪ねては、大物ロクロを指導いただき
今も様々な相談にのっていただいています。

現在は作家活動と共に
所長としても活躍されています。

日本各地で開催される
日本伝統工芸展などでその実物が見れます。











【炉開き・新字体漢字】実は簡易字・略字です★男の茶道/沼尻宗真


【炉開き】の 炉 旧字体

日本国家による最初の標準的な漢字の選定と
なったのが、臨時国語調査会による
「常用漢字」の選定です

(1923年5月9日「常用漢字表」1963字、
1931年5月3日「修正常用漢字表」1858字)。

常用漢字とは、
「もっとも普通に使用されていて
これだけで国民生活上大体
さしつかえないもの」として
選定されたものでした。

その選定の際に、それまで様々な
異体字が混在してきた漢字の字体を
統一するため、標準的な字体として
依拠したのが中国の『康煕字典』
こうきじてん  でした。

中国の漢字字典『康煕字典』は、
清の康熙帝の勅撰により、
漢代の『説文解字』以降の歴代の字書の
集大成として編纂されました。
編者は張玉書、陳廷敬ら30名で、
6年の編集期間を経て康熙55年閏3月19日(1716年)に完成しました。


康煕字典

日本では1780年(安永9年)
『日本翻刻康熙字典』として
翻刻された版が最初のもので
「安永本」と呼ばれています。

そのため、『康煕字典』で表記されている
字体が、いわゆる旧字体と呼ばれるものです。

日本では、
1923年5月9日、1931年5月3日の
修正と同時に
あまりに複雑な字体に
取って代わって簡易な字体を
正式な字体としたものを略字
あるいは簡易字体として選定し

(1923年5月12日「略字表」154字、
1931年5月3日「修正常用漢字表」内
簡易字体55字)
(例えば澤→沢や戀→恋など)、
これが後に新字体のもととなってゆきます。

戦後に入ると漢字を取り巻く環境は
大きく変わりました。



この中には簡易字体131字も含まれており、
これらを含めた当用漢字が
いわゆる新字体と呼ばれるようになりました。

以後、1981年に国語審議会が
常用漢字1945字を選定するまでの
約35年間、この当用漢字は
戦後標準的に使われる字体として
定着してゆきます。


では いよいよ
茶道に関する
一部の漢字の変化
見てみましょう。

わずかに調べただけでも
これだけの
漢字が新字体へ変更されています。

左が新字体 、右が旧字体です。

そこで 一番右側に

旧字体で、茶道に関する用語にして
みました。いかがでしょう?

炉  爐   爐開き


会  會   茶



円  圓   圓相




懐  懷   懷石



喝  喝    



禅  禪    座



点  點    點茶



伝  傳    奥



灯  燈    燈火



歴  歷  



何か、旧字体で用語を表すと
グッと ありがたい漢字になりました。

きっと組み合わせてある
その形や、漢字の意味から
日本人ならだいぶイメージが
持ちやすくなるからだろうと思います。

しかし、中には画数が多くて
難しい💧のも事実ですな。

そんなこんなを

わかって、使い分けるのが大切かな〜と
思います。

普段はなかなか使えなくとも
茶会を開いた際の会記など
特別な時に用いる事はできそうです。














東京【護国寺・重要文化財 月光殿 観月茶会】長谷川宗佳茶道教室/沼尻宗真


長谷川宗佳先生(左)と双龍風炉作者 
陶芸家 永見陶節先生/本席にて


仲秋の名月の本日、長谷川宗佳先生
東京・護国寺 月光殿 重要文化財にて
【観月茶会】釜を懸けてくれました。


待合



桃山期の書院風建築に床の間の壁画は、
狩野永徳の筆と伝えられ、
水墨で蘭亭曲水の図が画かれています。



琴生田流 大師範 田中先生の音色を聴きながら

ゆっくり一服頂く事ができました。



現在の月光殿は、昭和三年に
茶道本山の中心にふさわしい建物とし、
高橋箒庵さんの尽力で、移築されたものです。



高橋箒庵さんは私の故郷茨城県を
代表する偉人です。

水戸で生まれ育ち、福澤諭吉さんの
寵愛のもと、慶應義塾大学から
三井財閥の重役等を歴任
50歳のときに潔く実業界を引退し、
以後は茶道を中心に風雅の道を通じて
各界の名士と広く交流しました。 

『大正名器鑑』『東都茶会記』など、
茶道に関する著作が多数あります。

また高橋箒庵さんは
護国寺の檀徒総代を務めており、
護国寺を茶道の総本山にしようと
考えていました。

護国寺への松平不昧公の分墓、
園城寺日光院客殿の移築、茶室の整備などを
行い、茶道振興に尽力した日本の近代茶道を
代表する方です。

                               *


茶道が始まって以来、四百五十年のあいだに、茶人によって賞玩された名物茶器の数は、
ほとんど数え切れない。

利休時代までの茶書に載せられたものを大名物(注・おおめいぶつ)といい、
時代がくだって寛永時代(注・江戸時代初期1624〜45年)にいたり、小堀遠州らが、
その鑑識眼で選んだ名器を、中興名物と呼ぶ。それらが代々伝えられて、
貴重な宝とされているのである。

徳川時代においては、これらの名物が、
将軍家、諸大名、あるいは民間の諸名家の
宝蔵に秘蔵され、それらを簡単には見ることはできなかったので、数寄者の中には、
なるべく広くこれらについて調査し、
名物集を作ろうとするものも多かった。



なかでも、享保時代(注・1716〜36年、
徳川吉宗の時代)には、松平左近将監乗邑(注・のりむら、のりさと。老中)が非常な
努力(原文「丹精」)で「名物記」三冊(注・「乗邑名物記」)を編集し、続いて寛政年間(注・1789〜1801年)には、松平出羽守宗納【不昧公】が、九年を費やして、「古今名物類聚」十八冊を編集し、その後、本屋了雲が、「麟鳳亀龍」という名物記四冊を編集した。
これらの名物記が、従来は名物茶器の
記録として、茶人の金科玉条とする
ところであった。

封建時代には、諸大名が名器を各自の
藩地で保蔵しているだけでなく、
いろいろな意味で、極度に秘蔵する
習慣があったので、松平乗邑が当時の
幕府老中であったことが、その調査のうえで
非常に役立った。
松平不昧も、徳川の親藩であるうえに
十八万石の資力があり、それを背景にして
編集を行うことができた。

にもかかわらず、実物を見ることが 
できない場合もなきにしもあらずで、
伝聞によって記録を作成したので、
調査が正確を欠くだけでなく、
写真のような実物を写すことができる
便利なもののない時代だったので、
読者が実物を思い描くことが難しいという
うらみがあり、私はいつもそのことを
残念に思っていた。

ひとりの研究者の力
(原文「一学究力の独力」)では、
満足な名物記を完成することは、
いかに便利な世の中でも簡単な
ことではないと思いつつも、
なんとか奮闘して、この事業をやりとげて
みたいと私は思ったのである。
私が五十一歳で実業界を引退したのも、
半分はこれを実現させるためだった。




このように
それまで誰も成し得る事ができなかった
一級の茶道具の画像や詳細データを
集約する「大正名器鑑」を完遂する事に
成功しました。

その功績により、
現在は失われた茶道具の復刻や修復、
あるいは新たに作る茶道具の礎として、
現代まで一級の資料として活用されています。

水戸で漢学を学んだ高橋箒庵さんが
大正名器鑑」を成し得た背景には、
光圀死後も水戸藩の事業として
二百数十年継続し、明治に完成した
「大日本史」の存在があったように
私は勝手に男のロマンを想像しています。


水戸藩の水戸学は明治維新の原動力と
なったと伝えられています。

私は茨城県で小中高を過ごしましたが、
夢窓疎石国師と岡倉天心さん
水戸光國公と高橋箒庵さんなどの
郷土に縁ある方のお話や教育を受けた記憶は
残念ながらまったくありません。
おそらく日本中、同じなんだと思います。

世界基準、日本基準の学問も大切ですが
水戸学のような地域の学問や、
文化・伝承を伝える場所、
郷土に縁ある先達の功績を伝える場所は
もはや、各地域の茶道教室の役割に
なってきているように思います。


私も陶芸や茶道など自分にできる事で
表現していきたいと思います。